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上州の姫街道・佐久の中山道(2)

ドライブライン

茂田井は昔ながらの家並みが見事 佐久へ入ると、国道142号線と平行するように走る旧道、ここがかつての中山道だ。狭く曲がりくねった道筋に昔の面影を求めて車を走らせた。
塩名田宿から千曲川を渡り、ひとつ山を越えると望月宿だ。そして古くから造り酒屋が建ち並ぶ茂田井宿の先には、松並木が続く笠取峠が待っている。峠を下れば家並みがL字形の町、約350年前の建物である中山道最古といわれる本陣跡が残されている長久保宿に着く。
そして、皇女和宮を迎える7ヶ月前、大火に見舞われた和田宿まで、現在の国道では橋を渡りトンネルを抜けて20kmほどだが、当時は30kmくらいの道のりであった。各宿場町には、それぞれ案内所などもあるが、道は狭い上、駐車場は少ないので注意したい。


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ドライブライン

<コース>
(国道142号線と旧道を合わせて)塩名田宿−八幡宿−望月宿−茂田井宿−芦田宿−長久保宿−和田宿
行程 約40km

ルート付近のリンクポイントをクリックしてみてください

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●塩名田宿

JR長野新幹線佐久平駅から、ほぼ線路に沿うように千曲川へ向かう道をたどると、塩名田バス停に出る。バス停前に本陣・問屋場跡丸山新左衛門家がある。旅籠が10軒ほどの小さな宿場だったにもかかわらず、川の増水に備えて二軒の本陣と一軒の脇本陣があった。また通りの並びや向かいには、いまは食品屋となった本陣跡や古く由緒ありそうな豆腐屋などもある。

千曲川の渡し場だった塩名田宿
千曲川の渡し場だった塩名田宿
塩名田宿
塩名田宿

千曲川の渡し宿場だった塩名田は、川縁の周辺に宿場町の面影を残している。河原には、「舟つなぎ石」というのがある。大きな石に穴が空けてある。渡し舟を繋いだ跡だ。
休み茶屋だったという木造3階建ての家や、旅籠風の建物が残る一角に、瀧大明神跡があり、かつてはケヤキの大木の根元から大量の水が湧き、旅人の喉を潤したという。現在も量は多くないが、湧き水がある。
千曲川の舟つなぎ石
千曲川の舟つなぎ石

川縁には、川魚専門の割烹料理屋がある。創業は大正時代という老舗「竹廼家」。川面に面した小部屋、いっぱいに開け放たれた大きな引き窓と、廊下を挟んだ中庭へは、竹簾がかかり、川風が心地よい。常連客が多いと見えてメニューには料金が書かれていない。鮎や岩魚の塩焼きが一匹、900円前後。
/TEL 0267-58-2727

鮎の塩焼き
鮎の塩焼き
鯉の洗い
鯉の洗い

●八幡宿

千曲川を渡ると最初の宿場町だが、街道には皇女和宮が宿泊したという小松家の本陣の門が残るだけ。他に4軒の脇本陣があったそうだが、いまはない。
だが、ここには延徳3年(1491)、室町時代の建築である八幡神社の旧本殿「高良社」があり、国の重要文化財に指定されている。その他、天保14年(1843)に建立された八幡神社の随神門、天明3年(1783)とその翌4年に建立された本殿・拝殿の梁や桁回りに施された見事な彫刻は一見の価値がある。

八幡神社の山門は立派だった
八幡神社の山門は立派だった
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八幡神社・燉ヌ社本殿(重文)
八幡神社・燉ヌ社本殿(重文)

●望月宿

八幡宿からいったん国道142号線へ出た道は、再び「望月宿」への標識に従って、旧道へ右折。入り口には大きく、真新しい「むらおこし道祖神」が建っている。
トンネルを抜けると信号を右折、ここから宿場町だ。町の中央部に歴史民俗資料館がある。ここは本陣があったところ。縄文時代から江戸時代までの資料などが展示されている。町の案内地図なども手に入る。
/入館料 300円、TEL 0267-54-2112

望月歴史民俗資料館
望月歴史民俗資料館
水割石。水争いを避けるため、9分(左)と1分に分けた(望月歴史民俗資料館)
水割石。水争いを避けるため、9分(左)と
1分に分けた(望月歴史民俗資料館)


真山家(重文)
真山家(重文)
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望月の町並み
望月の町並み

望月・長坂の石仏群。今は家が立て込んでしまったが…
望月・長坂の石仏群。今は家が
立て込んでしまったが…

望月・信永寺の榧の木は幹が10本以上に分かれている、樹齢500年
望月・信永寺の榧の木は
幹が10本以上に分かれている
樹齢500年


本陣斜め前には鹿野家脇本陣跡、また土蔵造りの家や連子格子の家々もあり、宿場町の趣きを残す。とくに、問屋と旅籠を兼ねた真山(さなやま)家住宅は、天明3年(1783)の建造物で、うだつを残す軒を飾る木鼻彫刻が珍しい。
宿場町を流れる鹿曲川をはさんで、平安時代よりこの地に根をはった豪族望月氏が関わるといわれる寺「城光院」がある。寺は文明7年(1475)に開基したと伝えられている。大きな本堂と、よく手入れされた境内に涼風が流れていた。

望月宿の外れ、茂田井宿への道すがら「御巡見道」と石の道標が立っていた。
「巡見道」とは、江戸幕府が諸藩を査察する目的で派遣した巡見使が歩いた道のこと。
望月近くにあった巡見道の標示
望月近くにあった巡見道の標示

●茂田井宿

茂田井への標識
茂田井への標識
田の先には白壁の蔵
田の先には白壁の蔵

町の入り口の説明版によると、茂田井は規模の大きな町であったが、幕府から宿場としての許可が下りなかったと書かれている。大行列などで望月宿やこれより一つ先の芦田宿が対応できなかった際に、両宿の加宿として使われた。そのため「間の宿」ともいう。
白壁に土蔵が続く道は、時代劇映画のシーンのように江戸時代にタイムスリップ。街道沿いに並ぶ2つの酒屋の建物で、それぞれの門には造り酒屋のしるしである大きな酒林(さかばやし)がつるされている。酒林は杉の葉を毬形にした酒屋の看板だ。

茂田井は昔ながらの家並みが見事
茂田井は昔ながらの家並みが見事
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武重本家酒造(建物は文化財になっている)
武重本家酒造(建物は文化財になっている)

茂田井の酒蔵。内部が見られる(武重本家)
茂田井の酒蔵。内部が見られる(武重本家)
昔の酒造り用具(武重本家酒造)
昔の酒造り用具(武重本家酒造)

大澤酒造の住居部は3階建て。代々名主を務めた
大澤酒造の住居部は3階建て。
代々名主を務めた

大澤酒造には民俗資料館もある
大澤酒造には民俗資料館もある

手前は「武重本家酒造」で創業は明治元年(1868)、当時のままを残す30棟という建物のほとんどは、国の登録有形文化財指定されている。
もう一つは元禄2年(1689)創業という老舗の「大澤酒造」である。元文2年(1737)から明治4年(1872)まで茂田井村の名主を務めていたという名家でもある。
いまは何代目か伺いそびれたが、大澤酒造の主は「祖父の弟が絵が好きで、海外へ出かけて描いた」というヒマラヤの絵をはじめ、酒蔵を改造し、仲間の画家たちの作品を展示する「山林美術館」を開催している。その他、昔の酒造りに使った道具なども展示している(無料)。もちろん、本職の酒の直売もしている。

●若山牧水と茂田井宿

酒をこよなく愛した牧水は、茂田井宿を何度か訪れた。そこで詠んだ詩が、武重本家酒造の前に岩にはめ込まれた句碑にある。
「しらたまの 歯にしみとおる秋の夜の 酒はしずかに飲むべかりけり」
「ひとの世に たのしみ多し然れども 酒なしになにのたのしみ」他

●芦田宿

本陣の土屋家は中山道が整備される以前からここにあり、宿場町の開設に尽力し、明治までの約270年本陣を務めた。現在の表門は新しく、内部の家屋は住居となっているが、門を入った左の建物(客殿)は寛政12年(1800)に建てられたもの。皇女和宮はこの本陣で昼食を取られた。内部は公開されていない。
本陣の並びに昔ながらの風情のある味噌・醤油の蔵元「酢屋茂」がある。江戸時代には酢の醸造をしていたが、明治にはいって味噌・醤油醸造と販売をしている老舗だ。
この酢屋茂の前に建つ金丸土屋旅館は江戸時代から続く旅籠屋だ。
観光化していない佐久の中山道は、甘味処や食事処、みやげ物屋などはほとんどない。「この街道は生活路であり、古い建物も生活の場所」と茂田井宿の大澤酒造の主の言葉が思い出されるほど、ここもまた、昔からずーっと続いてきた町なのである。

芦田宿本陣
芦田宿本陣
門の中には堂々とした芦田本陣の建物が保存されている
門の中には堂々とした芦田本陣の
建物が保存されている


●長久保宿

芦田宿から国道を横断して続く「笠取峠の松並木」の標識に誘われるように旧街道へ。
小諸藩が芦田宿と次の長久保の間の峠道に数百本もの松を植え、保護管理してきたという。国道は、旧道を迂回するように通ったため、松並木は当時のまま残された。
国道には、松並木を眺めるための駐車場があり、休憩所と松並木の説明板などがある。ふたたび国道へ戻ると、一里塚跡碑が草の中に埋もれそうに建っていた。
笠取峠とは「浅間山の見事な眺望に、旅人が笠をとり仰ぎ見た」ということから名が付いたといわれている。昔の峠は、いまの国道の峠より高いところにあったので、浅間山が見えたのだろう。

笠取峠への松並木
笠取峠への松並木
並木は天然記念物
並木は天然記念物

笠取峠の一里塚
笠取峠の一里塚
中山道の国道にも松並木
中山道の国道にも松並木

長久保宿は全盛時代には旅籠50軒といわれ大いに賑わったところ、直角に曲がったL字型の変わった町のつくりである。
町の入り口には、万延元年(1860)に再建された総ケヤキの高床造りの酒の神「松尾神社」が鎮座する。神社から、遠くまで真っ直ぐ道が続く。この道筋が長久保宿の中心地で、竪町という。
最初に目につくのは、「一福処濱屋」といって明治初期に建てられた旅籠だが、江戸から明治になり、旅人の激減で開業はすることがなかった。現在は資料館として開放されている。近くには、江戸時代後期の門と、その中には江戸初期建築の御殿のある本陣跡があるが、生活住宅になっているので公開はされていない。
本陣の先には、造り酒屋「釜鳴屋・竹門家」がある。享保16年(1731)以前の建造物といわれ、長野県では最古の町屋だ。

長久保の道標。江戸方、京方の標示が珍しい
長久保の道標。江戸方、京方の
標示が珍しい

長久保は坂の宿だ
長久保は坂の宿だ

長久保本陣、高札場跡
長久保本陣、高札場跡
長久保資料館。この宿で唯一、中が見られる
長久保資料館。この宿で唯一、中が見られる
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長久保の松尾神社。不思議な棒にしめ縄の鳥居?
長久保の松尾神社。不思議な棒に
しめ縄の鳥居?

和田宿近くの一里塚跡、江戸より49里とある
和田宿近くの一里塚跡、
江戸より49里とある


長久保の旅籠、今も使われている
長久保の旅籠、今も使われている
直角に曲がると横町で、この角にある「旅館濱田屋」は、現在も営業中で、現代の旅人にも人気の宿という。

横町に入って間もなく見えるのは、連子の窓や格子の戸、出梁造りの大きな建物で竹重家住宅だ。江戸時代は「旅籠・辰野屋」といい、贅を尽くした建築は高級旅籠であった。現在も住宅として使われている。

●和田宿

江戸から数えて28番目の宿場町。中山道最大の難所であった和田峠をひかえ、泊まり客が多かったが、文久元年(1861)の大火でほとんどの建物を焼失した。
折しも、この年の11月、皇女和宮の降嫁で宿泊地となっていた。辞退を申し出たが、叶わず、幕府からの拝借金を得て、たった8ヶ月足らずで本陣をはじめとする宿場町が復興された。
現在の和田宿に残る歴史的建造物は、すべて約150年前のものだ。
和田宿本陣跡。中は和宮の資料が豊富
和田宿本陣跡。中は和宮の資料が豊富

本陣建物は「座敷棟」と本陣の所有者が生活する「居室棟」に分かれている。いま残る本陣跡は、居室棟の部分で、御殿と呼ばれた座敷棟は、借金返済のために手放したという。明治維新以後は、役場・農協事務所として使われ、平成2年(1990)解体修理され復元された。

国史跡である旅籠「かわちや」は和田宿の旅籠のうちでは規模が大きく、江戸末期建築様式を伝えている。いまは「歴史の道資料館」になっている。
「かわちや」の裏には黒曜石の資料館がある。和田峠付近から産出する黒曜石は石器時代から利用され、矢尻などの道具をつくった。火山岩の一種でガラス質であることから宝石としても人気がある。黒曜石とはどんなものか、また未来に向けての利用法など、わかりやすく解説し、原石などを展示している。
黒曜石。石器時代から鏃などに使われていた
黒曜石。石器時代から鏃などに使われていた

/入館料 本陣・歴史の資料館・黒曜石石器資料館共通 300円、TEL 0268-41-6123



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取材:2009年7月