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山寺と瀬戸内海を訪ねる

広島市(広島城跡・銀山城跡・不動院)-吉田町(郡山城跡・毛利元就の墓・猿掛城跡)-三次市(高杉城跡)-庄原市(甲山城跡・円通寺)-尾道(浄土寺)(泊)-因島市(金連寺・因島水軍城)-竹原市(加儀城跡・勝運寺・照連寺・普明閣・古い街並み)-三原市(三原城跡)-東広島市(鏡山城跡)




[広島市]

●広島城・銀山城跡・不動院

コース1をご覧ください。

[吉田町]

●郡山城跡・毛利元就の墓・猿掛城跡

コース1をご覧ください。

[三次市]

●高杉城跡

このあたり一帯に勢力を持っていた和智氏、その同族である江田氏の城の一つ。天文22年(1553)毛利元就によって攻め落とされた。後、城内にあった知波夜比古神社が元就、隆元親子によって再建された。
三次市高杉町/駐車場あり

[庄原市]

●甲山城跡・円通寺

山内首藤(やまのうち しゅうどう)氏の居城。天文22年(1553)毛利氏の支配下に入る。大内氏の尼子攻めの際、大内軍が大敗し元就は甲山城で難を逃れた。円通寺は山内氏の菩提寺で、甲山城跡の中腹にある。
庄原市本郷町/駐車場あり

[尾道市]

●浄土寺

聖徳太子創建といわれる寺。瀬戸内の海を覇権したい毛利氏にとって尾道の経済を掌握することが必要であった。そこで小早川隆景は尾道のシンボルだったこの寺に鐘楼の寄贈など申し入れた。本堂、多宝塔は国宝。
尾道市東久保町/駐車場なし

[因島市]

●金連寺(こんれんじ)

村上水軍の菩提寺で村上家歴代の墓がある。村上氏が山口県の周防へうつってからは廃寺同然になった。その後再興し五輪塔が多数ある。
因島ICから「水軍城」への標識にしたがって5分/駐車場あり

●因島水軍城

室町時代から戦国時代にかけて瀬戸内海で活躍した村上水軍の城の一つ。元就が大内氏の家臣と戦った厳島の合戦に、村上水軍は元就に加勢した。現在の丘にそびえる城は昭和58年(1983)に再現されたもの。
フェリーもある/駐車場あり

[竹原市]

竹原は、平安時代には「竹原の荘」といわれ、京都の下鴨神社の荘園として栄えていた。鎌倉時代には竹原、三原周辺を小早川氏の領地であった。天分13年(1544)毛利元就はこの竹原の小早川家に三男の隆景を養子としていれた。小早川家を通じて元就は瀬戸内海に勢力をのばした。

●普明閣(ふめいかく)

小早川隆景が京都も清水寺の舞台を模擬して造った観音堂。観音堂には木造十一面観音像(県の重要文化財)があるが、現在は守護堂の中にまつられている。ここからは竹原の町を一望に見渡せる。
竹原市竹原町/街並みの町営駐車場があり

●竹原の街並み

古い歴史のある竹原の街並みは江戸時代には製塩地として飛躍的に発展、製塩が支えた経済力は棒瓦の屋根、塗りごめ壁、れんじ格子と重厚で美しい建築を生んだ。江戸時代の町人文化の香りそのままを、いまに残す街並みである。また、近世には頼山陽(らいさんよう)を頂点として多くの町人学者を輩出した文教の地でもある。特に見落とせないのは「頼惟清旧宅」古くからの酒造を営む「竹鶴邸」や中世、竹原小早川氏の学問所であった照連寺など。
お問い合わせ/竹原市商工観光課/TEL0864−22−2270

●賀儀城跡

小早川隆景が水軍の大将とした浦宗勝(うらむねかつ)の居城 。JR呉線・忠海駅から海側へ800m、狭い道。車でも行くことができるが、駐車場はない。

●勝運寺

浦宗勝が建てた寺。隆景が贈ったと伝えられる弾薬輸送庫などがある。浦宗勝の墓もある。賀儀城跡とJR呉線の線路をはさんで山側にある。
竹原市忠海町/駐車場あり

[三原市]

●三原城跡

永録10年(1567)小早川隆景は新高山城から新しく築いた三原城に移った。これまでは戦うための山城だったが平城(ひらじろ)を造った。城下町をともなった平城は次第に文化、経済の発展を生んだ。安土城(1576)や大阪城(1583)より早く着工され、当時としては珍しい城で「浮城」といった。
いまは、わずかに石垣を残すだけ。JR山陽新幹線が石垣をかすめて走る。駅高架線下の市営駐車場がある。


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