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春は潮風にのって・三浦半島

ドライブライン

震災で隆起した岩盤に立つ城ヶ崎灯台 三浦半島といえば、三浦海岸、葉山、逗子といった別荘地や首都圏の海水浴場でありスイカやダイコンの産地といったイメージが強く、特別な観光地というわけではない。書店に並ぶ多種多様なガイドブックにも「三浦半島」の表紙はみかけた記憶もないほどだ。
しかし、首都高速と結んだ横浜横須賀道路を利用すると、都心から横須賀まではわずか1時間余り。春の光に誘われてクルマを走らせてみれば、青い海原と白い嶺の富士山を仰ぐ、それは素敵なドライブコースであった。
また歴史をたどれば、ペリー率いるアメリカ艦隊が開国を迫った浦賀港、東京湾の先端に建つ観音崎、剱岬の白亜の灯台、水産業で栄えた三崎港、そして北原白秋の詩の舞台の城ヶ島や油壺の景勝地もある。


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ドライブライン

<コース>
(首都高速湾岸線)−金沢文庫−(国道16号線)−横須賀−浦賀−観音崎灯台−(国道134号線)−三浦海岸−(県道215号線)−剱埼灯台−三崎町−油壺−(国道134号線)−葉山−(逗葉道路−横浜横須賀道路−首都高速湾岸線)
全行程 約200km、日帰りまたは1泊2日

ルート付近のリンクポイントをクリックしてみてください

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●称名寺と金沢文庫

建治元年(1275)北条実時が武蔵国金沢の居館内に開いた施設で、いまの図書館にあたる。大量の和漢の書や文書は金沢氏の氏寺である「称名寺」の学僧の学びの場所でもあったが、元弘3年(1333)鎌倉幕府の滅亡とともに衰退し、蔵書の多くも失われた。
かつての参道にはクルマ一台がやっと通れるほどの道を残して住宅がびっしりと並ぶ。境内には池があり、朱色の太鼓橋がかかり、門の左手に文庫がある。駐車場はないが国道357号線沿いの市営の駐車場を利用するとよい。徒歩約10分。
/入館料 250円(65歳以上は無料)、TEL 045-701-9069

大黒大橋
大黒大橋
金沢文庫のある称名寺
金沢文庫のある称名寺

●横浜・八景島シーパラダイス

海をテーマにしたアミューズメント「プレジャーランド」、世界の料理が楽しめる「ベイマーケット」そして「アクアミュージアム」などいくつかのゾーンがある施設。
1階から3階へと続くアクアチューブ、巨大な水族館とバンドウイルカとシロイルカの2つの水槽が自然に近い姿で見られる「ドルフィン・ファンタジー」がここの一番人気。そのほかイルカやペンギンの散歩といったショーなどもある。
八景島
八景島

島の手前に大駐車場があり、徒歩で橋をわたるか金沢八景と新杉田を結ぶモノレール“シーサイドライン”で行く。
入園料はアミューズメントとアクアミュージアムなど別料金であり、8通りの買い方がある。ちなみにアクアミュージアムは大人2,400円。
/TEL 045-788-8888

●三浦按針夫妻の墓

本名はウィリアム・アダムスといい、イギリス生まれの船乗りで、慶長5年(1600)台風に遭遇、仲間24名とともに、豊後国(現在の大分県)臼杵に漂着し、その後徳川家康に仕えた人物。家康の政治外交の顧問として実力を発揮し、江戸日本橋に屋敷を、またこの地に二百五十石の領地まで与えられ厚遇された。
三浦の姓はこの地から、名は当時水先案内人を按針といったことから日本名「三浦按針」と名乗った。

按針夫妻の墓所
按針夫妻の墓所
按針の墓所からの展望
按針の墓所からの展望

この地に供養塔がたてられたのは「我死せば、東都を一望すべき高敞(こうしょう)の地に葬るべし……」との言葉からといわれている。
「知らなかった!この地に家康に仕えた按針の墓があるなんて!」と一大発見でもしたように狭い民家や山肌を曲がりくねってクルマを走らせると、なんと年配者30名ほどの団体が徒歩で行進中だった。国道16号線から2km近い道のりを「三浦按針墓所」を目指して登っていた。ここは知る人ぞ知る隠れた名所だったのだ。

●三笠公園

三笠公園。東郷対象像と戦艦・三笠
三笠公園。東郷対象像と戦艦・三笠
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横須賀港米軍施設の隣りにある公園。
日本海軍のシンボルである朝日の旗がはためいているのは軍艦「三笠」だ。
明治37年(1904)2月に始まった日露戦争で東郷大将が率いる連合艦隊の旗艦として活躍、明治38年(1905)5月27日の日本海海戦でバルチック艦隊を全滅させた日本海軍の代表的な軍艦だ。その栄光を後世に伝えるために大正15年(1926)保存されている。

東郷元帥の銅像とともに黒く輝く軍艦と、巨大な艦船が入出港する米軍基地との隣り合わせに時代の流れを思う。

公園の前には“海軍さんのカレー”という店があり人気があるそうだが、この日はあいにくの定休日だった。
公園前の食堂。昔をしのぶメニューが面白い
公園前の食堂。昔をしのぶメニューが面白い

●観音崎公園

観音崎灯台と磯
観音崎灯台と磯
一帯は環境省の特定植物群落にも指定されている。周辺は自然林に囲まれている。岬は江戸末期には江戸湾防衛のために大砲5門と船見番所がおかれていた。
明治2年(1869)フランス人技師の設計によってレンガ造りの日本最初の灯台を建設したが、大正11年(1922)の関東大地震で倒壊し、現在は3代目だ。
8km対岸の房総半島富津岬と相対しており、浦賀水道から東京湾に入る湾口にあたる。公園内には自然博物館や青少年の村などもある。

●浦賀港とその周辺

港の歴史は古く源頼朝にも仕えた鎌倉初期の武士で、この半島の名にもなった三浦一族のころの書物に「浦賀みなと」と記されている。1,500mも入り込んだ自然の良港は徳川家康によって外国貿易の根拠地にと考えたという。

享保5年(1720)浦賀奉行が置かれると、江戸湾に出入りするすべての船は浦賀で船改(現在の税関)が義務づけられた。
以後、浦賀港は黒船来航など、ことあるごとに歴史の舞台に登場してきた。
深く入り込んだ湾の対岸には明治のころから渡し船が活躍していた。いま、平成10年に就航120年を記念して新船「愛宕丸」を建造、「浦賀街道」として運行。昔をしのびながら浦賀湾を渡るのも楽しい。
/片道 150円
浦賀の渡し。今は市営で片道大人150円
浦賀の渡し。今は市営で片道大人150円

●燈明堂

浦賀湾の入り口に慶応元年(1648)幕府の命でつくられた日本式の灯台で、明治5年(1872)まで220年間の長い歳月、船の安全を見守っていた。現在の建物は平成元年に残された石垣を利用して当時のままの姿に復元されたもの。
一般道路から外れた狭い道の行き止まりに駐車場がある。燈明堂付近はかつて浦賀奉行所の処刑場で首切場と呼ばれていた。大きな石の供養塔や石像がたっている。周囲は遊歩道があり、浦賀水道を行き交う小舟からタンカーまで見ることができる。
燈明堂。近くには江戸時代の処刑場があった
燈明堂。近くには江戸時代の処刑場があった
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●ペリー公園

ペリー記念館
ペリー記念館
嘉永6年(1853)、アメリカ東インド艦隊司令官ペリーが軍艦を率いて浦賀港、威嚇しながら条約締結を要求、開国を迫った地。

公園にはモニュメントとともに「ペリー記念館」もあり、館内にはペリー来航に関する資料や当時のものが模型展示されている。
/入館料 無料

●三浦海岸

県道212号線沿いの久里浜海岸から国道134号線沿いの三浦海岸は、緩やかな弧を描いき約7kmの砂浜が広がっている。
海水浴、サーフィン、魚釣りと一年を通してマリンスポーツが楽しめるところ。国道と浜の間のに沢山のクルマを収容できる駐車場も完備されている。
海辺の遊びにはまだ季節は早く、砂浜には三浦特産のワカメが冷たい風の中で揺れていた。
わかめを干す
わかめを干す

●剱埼灯台

国道と分かれ県道215号線を剱埼灯台へ、三浦ダイコンの畑の中を走る。迷いそうな狭い道だ。やっと灯台下へ着いたが、クルマ一台止めるスペースもない。幸い地元の方にお願いして10分ほど止めさせてもらい、古びた階段を登った。
三浦半島の南東端に位置するこの灯台は、明治4年(1871)に設置された。対岸の房総半島にある洲崎灯台と対で東京湾の入り口として、大きな役割を果たしている。
1660年ごろ、徳川幕府の管財を積んだ船が岬の沖で難破したとき、岬の突端にある海南神社の神主が剣を海に投げ、竜神の怒りを鎮めたことから“剱埼(つるぎさき)”と名付けられたという。晴れた日は房総半島、伊豆大島、新島さらに伊豆半島が望まれる。

三浦半島の光る海
三浦半島の光る海
剱埼灯台
剱埼灯台

●城ヶ島

北原白秋の詩「城ヶ島の雨」で名を上げた島は、昭和35年(1960)に城ヶ島大橋(575m)がかかり、観光地となった。
標高30mの台地状の地形は過去幾度となく隆起が繰り返され、現在の観光の目玉でもある広く露出した岩畳は関東大震災で隆起したもの。
切り立った崖や隆起してできた奇怪な岩礁が点在している。
城ヶ島への橋
城ヶ島への橋

南側の崖には海鵜の繁殖地になっている。島の東半分は広い公園に整備されている。また西端には公園と城ヶ崎灯台周辺はホテル、食堂、土産物屋が密集し、観光の中心となっている。
その密集地をぬけると、関東大震災で隆起した岩礁の上に小灯台があった。この日は快晴、相模湾の向こうに真っ白い富士山が浮かんでいた。

震災で隆起した岩盤に立つ城ヶ崎灯台
震災で隆起した岩盤に立つ城ヶ崎灯台
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城ヶ島からの富士山
城ヶ島からの富士山

●三崎港

水産港である三崎は各地から運ばれた魚を、東京をはじめ東北方面など、再び各地に運ばれていくという、いわば魚の中継地。だがなぜか「三崎まぐろ」がいつのころから有名になった。さっそくその「三崎まぐろ」味わおうと地元の人に尋ねたら、こんな言葉が返ってきた。
「上等なまぐろは築地から。だから値段も高い。三崎のまぐろはメニューにあるように、“かま焼き、かぶと焼き、胃袋、心臓などなど”旨い店は料理法や味付けを研究しているよ」「なるほど」とうなずいてしまったが、真偽のほどはわからない。

三崎港。マグロ船も入る
三崎港。マグロ船も入る
三崎漁港では三重から運ばれたタイが仕分けされていた
三崎漁港では三重から運ばれた
タイが仕分けされていた


マグロの頭もドカンとおかれるさかな市場
マグロの頭もドカンとおかれるさかな市場
今では少なくなった三浦大根も売られていた
今では少なくなった三浦大根も売られていた

●来福寺

油壺マリンパークのイルカのショーを見学後、国道134号線を内陸へと走る。わかりにくい道だったが、地元の人に尋ねながら寺にたどり着いた。
ここは三浦半島一大きな寺で、源頼朝の家臣であり義経とも交流のあった和田義盛の菩提寺である。和田義盛は武芸に秀でた豪傑で、頼朝が房総に逃れた折、主君を守った人物だ。
三浦半島は首都圏のベットタウンでもあるが、鎌倉から徳川時代までの史跡を残し、ときにはタイムスリップをするという半島である。

油壺のマリーナ
油壺のマリーナ
梅のほころぶ来福寺
梅のほころぶ来福寺

●葉山マリーナ

葉山ご用邸の海岸には雅子さまが、まだやっとお歩きになった愛子さまをお連れになって遊ばれた砂浜がいまは人影もなく静まりかえっていた。
ご用邸からほど近いマリーナはモンテカルロのような豪華ヨットやクルーザーはないが、日本のブランドマリーナの貫禄が感じられた。

葉山・御用邸の正門
葉山・御用邸の正門
御用邸に続く海岸
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取材:2005年2月