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水戸黄門と陸前浜街道(2)

ドライブライン

水戸黄門隠居の地

久昌寺 国道6号線、通称水戸街道は東京から水戸までだが、6号線はさらに陸前浜街道と名を変えて仙台市の南へと延びている。

今回は水戸黄門隠居の地である常陸太田へと走った。ここはまた常陸の国を統一した佐竹氏の城下町であり、古い神社仏閣、土蔵や木造の家屋が往時の面影をとどめている。なかでも必見は光圀が晩年を過ごした「西山荘」だ。


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ドライブライン

<コース>
水戸市−(国道349号線)−常陸太田市
行程 約20km
水戸−常陸太田間の距離は短いが、観光名所は市内の広範囲に点在しているので、これらを見学するには1日が必要だ。

ルート付近のリンクポイントをクリックしてみてください

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●西山荘

常陸太田市中心部から約3kmのところにある。水戸藩主を退いた徳川光圀公が元禄4年(1691)から同13年(1700)12月6日に亡くなるまでの10年間、隠居生活を送ったところ。光圀はここで『大日本史』の編纂にたずさわるかたわら、田を耕し滝や池を造り、あるときは敷居を隔てず領民にも快く接した。
庭先の池を中心に周囲の自然な山々を取り入れ、実用を兼ねた薬草が植えられ、紀州から取り寄せた熊野杉をはじめ、老松古杉などがうっそうとしげるなかに「御殿」と呼ばれた庵風の住居が建つ。
当時“西山御殿”と呼ばれた西山荘は文化14年(1817)野火により焼失し、現在の建物はその2年後の文政2年(1819)、規模を縮小して再建されたもの。
簡素であり閑静な佇まいの中で、安らぎと優雅さを信条に晩年を過ごした光圀の暮らしぶりを知ることができる。
/入園料 500円、TEL 0294-72-1538 内部撮影禁止

西山荘の入り口。黄門が晩年を過ごした
西山荘の入り口。黄門が晩年を過ごした
初冬の西山荘近く
初冬の西山荘近く

西山荘の入り口手前から池を回り込んだところには、黄門さまに仕えた助さん(本名 佐々介三郎宗淳)の住居跡がある。

いまは深い竹藪の中だが、助さんが当時使用していた井戸が残っている。
助さんの家跡は今は竹林
助さんの家跡は今は竹林

●久昌寺(きゅうしょうじ)

西山荘にほど近いところにある。徳川光圀の母・谷久子の霊を慰めるため建てた寺。
裏手の高台には昭和16年(1941)に光圀の徳を偲んで建てられたという「義公廟」があり、廟内には、生母の菩提を弔う法華経10巻が納められている。ここからは常陸太田市内が一望できる。
また寺の墓地には徳川家康の側室であった「お万の方」の墓もあった。

久昌寺
久昌寺
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家康の側室、お万の方墓所
家康の側室、お万の方墓所

義公廟への長い石段
義公廟への長い石段
黄門が教典を収めた義公廟
黄門が教典を収めた義公廟
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●佐竹寺

国宝・佐竹寺は人影もない
国宝・佐竹寺は人影もない
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市のはずれ、那珂川に近いところに佐竹氏470年の歴史を誇る国宝「佐竹寺」がある。
常陸の国を統一した佐竹氏代々の祈願所。寛和元年(985)花山天皇の命により元密上人が創建したといわれている。
昔、鶴ヶ池の北、観音山にあったが、天文12年(1543)兵火によって焼失、その3年後に佐竹18代義昭によって佐竹城の鬼門として現在のところに再建された。

佐竹寺の仁王(吽=ウン、向かって左)
佐竹寺の仁王
(吽=ウン、向かって左)

佐竹寺の仁王(阿=ア、向かって右)
佐竹寺の仁王
(阿=ア、向かって右)


時代が下がって慶長7年(1602)佐竹氏が秋田へ移封されてから寺門は急速に衰えたが、水戸光圀が保護、その後「水戸藩三十三札所」の中で、佐竹寺は十一番の札所となって賑わいを取り戻した。
しかし、明治維新の廃仏没釈などによって寺は荒廃したが、昭和4年(1929)に国宝に指定された。しばらくは無住の寺であったが、昭和24年(1949)から住職がおかれた。

茅葺、寄棟造りで主屋、正面中央に唐破風をあげている。正面の火頭窓や柱や組み物は桃山時代建築の先駆けとして注目を集めている。
本尊には十一面観世音菩薩がまつられ、安産、厄除けの仏様として古くから信仰された古刹である。
静かな佐竹寺の境内
静かな佐竹寺の境内

●正宗寺

佐竹一族の墓所
佐竹一族の墓所
創建は歴応4年(1314)、月山和尚が夢窓国師を招いて開いた寺。後に佐竹氏の菩提寺となり境内には一族の墓がある。
佐竹氏の国替えによって勢力は次第に衰えたが、江戸時代将軍家光により保護され、水戸藩歴代藩主の尊崇も厚かった。
本堂は老朽化のため昭和63年(1988)建て直された。

正宗寺。小型車がやっとの橋を渡った山際にある
正宗寺。小型車がやっとの橋を渡った山際にある
正宗寺近く、考える地蔵さん
正宗寺近く、考える地蔵さん

●助さんの墓

正宗寺は、おなじみの助さん「佐々介三郎宗淳(むねきよ)」が眠る墓がある寺としても有名だ。 あだ名を子朴(しぼく)、通称を介三郎といった。
15歳で京都妙心寺の僧となり祖淳と名乗った。僧として20年をつとめ、江戸に出て延宝2年(1674)徳川光圀に仕えた。“進物番兼史館”勤務となった。儀公(光圀)修史にたずさわる。
助さんの墓所。寺に案内板はなくわかりにくい
助さんの墓所。寺に案内板はなくわかりにくい

大きな柏の木だけが当時を偲ばせる
大きな柏の木だけが当時を偲ばせる
彼の仕事は史科で採訪収集、近県はもちろんのこと北陸・中国・九州まで及び、貴重な文書記録を集め、『大日本史』の編纂に力を尽くした。また下野の那須国造碑の修復や上下侍塚の発掘調査と復元にもあたった。元禄9年(1696)彰考館総裁を辞めて小姓頭として西山荘の黄門さまに仕えた。

ドラマ「水戸黄門」の全国行脚も、助さんの行動からヒントが生まれたのかもしれない。水戸からほとんど出たことのない「黄門さま」の知識は、助さん・格さんといった人々から得たものだろう。

西山荘で光圀に仕えて11年後、元禄12年(1699)59歳でこの世を去った。正宗寺の総門地近くには樹齢600年という柏の古木がある。創建当時に植えられたのだろうか。

●道の駅、さとの径

このあたりでは蕎麦栽培が盛んに行われているので市内には自家製粉で作る蕎麦屋が多い。市の北、国道349号線沿いのこの「道の駅」でも蕎麦自慢。
物産販売を兼ねた店内の食堂では、もり、かけ、天ぷら蕎麦とメニューはあまりないが、人気という“二色もり”のうどんと蕎麦の盛り合わせが食べられる。蕎麦どころで「なぜ、うどん」かは聞きそびれた。
/TEL 0294-82-2100
瑞竜山近くの「さとの径」
瑞竜山近くの「さとの径」

●水戸徳川瑞龍山墓地

水戸徳川家の墓所・瑞龍山は現在閉鎖
水戸徳川家の墓所・瑞龍山は現在閉鎖
道の駅「さとの径」のある交差点を左折、狭い集落の道を抜けたところに、日本で最大といわれる儀式墓地がある。

15万m2の敷地に水戸徳川家歴代藩主・当主夫妻とその子女の墓が200基以上も点在しているという。第2代水戸光圀が、中国の儒礼に従い定めた祭礼法で水戸徳川独自の儀式が行われていた。

現在は残念なことに閉鎖中だ。3年前までは公開されていたが、管理者の高齢化と墓域の修復、また歴史的遺産として国指定史跡登録準備中のことから公開中止とされている、と新しい門の前に張り紙がしてあった。



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取材:2004年12月