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神と仏の鎮座する宇佐国東半島(1)

ドライブライン

宇佐神宮本殿 福岡県東部、周坊灘沿いから大分県の国東半島一帯は、千年の祈りが宿る古仏、古刹、古社が点在するところ。中津の神相撲で名高い神社や全国約4万社あまりの八幡宮の総本宮である「宇佐神宮」から旅は始まった。
神話の島、姫島を一回りした後は、平安時代の木造建築寺、岩壁に彫られた石仏など国東半島の「六郷満山」霊場を、ときには長い石段や山道を登りながら、遠い昔のたくさんの仏さまたちに出合った。また戦国の世を伝える城跡や社に歴史の興亡の一端を垣間見ることもできた。

関門海峡が間近な北九州空港から国道10号線を南下、約60kmの福岡県と大分県との県境に位置する中津まで一気に走った。ここは一万円札でお馴染みの「福沢諭吉」の旧居のあるところでも有名だ。
中津から宇佐神宮までは約20km。第1回目は走行距離は約100kmだが、見所が多い。観光地ではないが、古代から伝わる由緒正しい社も少なくない。


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ドライブライン

<コース>
北九州空港−(国道10号線)−中津市−宇佐市
全行程 約100km

ルート付近のリンクポイントをクリックしてみてください

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●中津

大分県中津市は紅葉の名所、「耶馬渓」や菊池寛の小説『恩讐の彼方』で有名な「青の洞門」など名勝旧跡の多い耶馬日田英彦山国定公園から流れ下る山国川の河口に位置し、この川を挟んで隣りは福岡県である。
日本神話にある「豊葦原中国(とよあしはらのなかつくに)」は豊の国、中津の地名の名残ともいわれている。この町には神様が相撲をとるという珍しい神社がある。
時代が下って戦国時代の城や江戸末期に福沢諭吉が勉学に励んだ旧居などもある。

●八幡古表(はちまんこひょう)神社

正確には現在の所在地は町を流れる山国川を渡った福岡県吉富町にある。
鎮座の時期は欽明天皇6年(545)と伝えられている。(現在の日本史年表には、欽明天皇以前は「古事記」に記されるが、年号はさだかではない)
社には、国指定・重要文化財・有形民俗文化財である「細男舞(くわしおの)神相撲」が残されている。

古表神社
古表神社
古表神社境内の土俵
古表神社境内の土俵

木像女神騎牛像も祭られている
木像女神騎牛像も祭られている
古表神社の時代がかった説明札
古表神社の時代がかった説明札

その由来は、養老3年(719)に大隅、日向の隼人反乱の戦場において、疲労した官軍の士気を奮い起こそうと伎楽を奏でたのがはじまりだった。後の天平16年(744)隼人族の霊を慰めるため宇佐の和間海上で“放生会(ほうじょうえ)”を行った。
それは美女、美童の木像によって古を表す「細男舞、神相撲伎楽を奏で、神相撲を演じた。この細男舞、神相撲を奏する神像を傀儡子(くぐつ)という。舞20体、相撲22体、その他、5体が残っている。
舞の神像は着衣姿であるが、相撲の方は裸に褌姿だ。4年に1度、8月6日(変更することもある)船上で神相撲が行われ、夜には神舞殿でも行われる。境内には土俵が奉納されている。
/問い合わせ 吉富町役場、TEL 0979-24-1122

細男舞・神相撲の傀儡子(くぐつ)
細男舞・神相撲の傀儡子(くぐつ)=吉富町役場提供=

●福沢諭吉旧居

福沢諭吉旧居
福沢諭吉旧居
中津藩の下級武士の子に生まれた諭吉は父の死後、中津に戻り幼少からオランダ語の勉強のため長崎に遊学するまで、この家で過ごした。庭に建つ土蔵は諭吉自身が改造し、勉強部屋としていた。
明治のはじめ家族が東京へ移転した後、親戚が住んでいたが、旧奥平藩の所有となった。明治43年、同家より市に寄贈され、市が管理している。茅葺き屋根の母屋は現在修理中。

隣接する「福沢記念館」は昭和5年(1930)に建設されたが、その後、生誕140年を記念して昭和50年(1975)新築された。館内には多数の著書や写真、遺品などが展示されている。
/入館料 400円、TEL 0979-25-0063

●中津城

山国川の河口にある城。黒田孝高(官兵衛)が豊臣秀吉の命により豊前6郡を平定し、豊前海に臨む河口に天正16年(1588)築城したが、後に細川忠興が大修築し、小笠原、奥平家の居城となった。
村上天皇を祖とする奥平家は、長篠の合戦で勝利し、後に徳川幕府300年の親藩となった十万石の大名。当時は城内の形状が扇形をしていたことから、別名「扇城」とも呼ばれていた。
現在の城は、昭和39年(1964)奥平家の子孫が建造したもの。五層の天守閣と二層の櫓からなっている。司馬遼太郎が、中津城には天守閣がなかったと記してから天守閣の存在が論議されたが、いまだ真偽は解明されていないそうだ。
内堀は当時のままで水門より海水が入り、干満で水が増減するという珍しい水城だ。

中津城と藩主を祭った奥平神社
中津城と藩主を祭った奥平神社
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中津大神宮には日露戦争の砲弾が奉納されていた
中津大神宮には日露戦争の
砲弾が奉納されていた


●合元寺(ごうがんじ)

中津城の近くにある寺で「赤壁寺」という異名を持つ。その名の通り寺の壁が赤い。
昔、城井城主、宇都宮鎮房に和睦を装いながら、黒田孝高が中津城で討ったとき、合元寺に籠っていた宇都宮鎮房の家臣たちも全員討ち死にして果てた。その返り血が寺の壁を赤く染め、何度塗り替えても浮き出てきたという。そのため全体を赤く塗ったことが、寺には珍しい赤塗りの壁となった。

合元寺の赤壁
合元寺の赤壁
合元寺の門
合元寺の門

●薦(こも)神社

真薦の自生する三角(御澄)池を内宮、社殿を外宮と仰ぐ八幡の古社。造営は承和年中(834〜848)と伝えられているが、歴史は遙かに遡るといわれている。天仁2年(1109)に神宮寺の七堂伽藍が建立されたが、源平の争乱時の元暦元年(1184)、社殿が破壊されたといわれている。
その後長く記録が途絶えたが、室町時代には社殿が再興され、また慶長5年(1600)黒田氏のあと、細川忠興によって宇佐宮とともに、この薦神社の復興に力を入れた。元和年間(1615〜1624)に本殿、回廊、薬師堂、楼門、若宮殿、鳥居などが造営された。楼門は現在の「神門」で国の重要文化財に指定されている。昭和51年(1976)三角池と薦神社が県の史跡に、湿地植物群が県の天然記念物になっている。

薦神社の参道
薦神社の参道
薦神社
薦神社
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かつては鬱蒼とした樹木に囲まれた内宮(三角池)と外宮の本殿だったという。だが、いまでも樹齢数百年の大樹が茂り、真薦が自生する霊池(三角池)に浮かぶ朱色の鳥居などから千数百年来の神秘が感じとれる。国道10号線バイパスからJR東中津方面へ約1km。
/お問い合わせ TEL 0979-32-2440
薦神社の三角池
薦神社の三角池

薦神社には大木が沢山ある
薦神社には大木が沢山ある
薦神社の楼門(重要文化財)
薦神社の楼門(重要文化財)

●古要(こよう)神社

宇佐神宮の放生会(ほうじょうえ)は戦いで死んだ隼人たちの霊を鎮めるためにはじめられ、「八幡古表神社」同様、相撲や舞の傀儡子(くぐつ)は古要神社も奉納されていた。大社、古表神社とは比較にならないほどこじんまりとした神社だ。参道の鳥居には道祖神が祀られ、境内の大きな木の下には本殿、舞殿、拝殿などがあり、その佇まいは古社の趣きがある。
宇佐の八幡神は薦神社の三角池から刈った薦で作った枕をご神体として神軍を率い、戦場で傀儡子を舞わせ見物している隼人たちを攻めて勝利した。いま、この神社に残る傀儡子の多くは、元和3年(1617)細川忠興が、新しく造り直させたもの。八幡古表神社に伝わる細男舞と神相撲とともに、日本最古の人形操りといわれ、我が国の人形芝居のルーツといわれている。60体の木製人形と舞、相撲は国の重要有形と無形文化財に指定されている。
3年に1度舞と相撲が奉納される。薦神社に近いところだが、分かり難い。問い合わせてから行くこと。
/お問い合わせ 中津市役所観光商業課 TEL 0979-22-1111

古要神社。手前から拝殿、舞殿、本殿
古要神社。手前から拝殿、舞殿、本殿
いわさき横穴古墳群。古要神社にも近い
いわさき横穴古墳群。古要神社にも近い

●宇佐神宮

全国4万余りの八幡宮の総本宮だ。応神天皇の御神霊で、神亀2年(725)、聖武天皇の勅願によりこの地に御殿を造立、八幡神を奉祀され宇佐神宮が創建された。もとより宇佐の地は出雲と同様に早くから開けたところであった。「神代に比売大神が御許山に天降られた」と『日本書記』に記されている。由緒正しい神宮なのである。

宇佐神宮本殿
宇佐神宮本殿
本殿は国宝で、その建築様式は八幡造と呼ばれている。二棟の切妻造平入の建物が前後に接続するような形に並び、両殿の間に相の間(馬道)がつけられている。
奥殿を「内院」、前殿を「外院」という。神様は昼は前殿、夜は奥殿に移動することが八幡造の特徴。
桧皮葺(ひはだぶき)の屋根に白壁に朱漆塗りの柱の厳かな建物の前では、自然に手をあわせてしまう。正式な拝礼は二礼四拍手一礼である。

千古斧を入れないという樹木の深い森の中、その広い境内への西大門前の木造の宇佐鳥居をはじめ、宇佐神宮の景観を象徴する桃山風の華麗な構造の西大門、橋に屋根のある呉橋、そして若宮神社(国指定重要文化財)などがある。
長い参道を登って拝する内宮本殿は、昔は庶民は参拝することは許されなかった。本殿下、同じ境内の中には外宮があり、一般の人々は内宮から比べると一段小さな宮詣でをしていた。

宇佐神宮の境内
宇佐神宮の境内
宇佐神宮の呉橋。今は西門だが昭和初期までは表参道だった
宇佐神宮の呉橋。今は西門だが
昭和初期までは表参道だった
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●中津のハモ料理

ハモ(鱧)はウナギ目ハモ科。沿岸部に生息する肉食魚、全長1m前後のものが多いが、なかには2mにも達する大物もある。白身の魚で小骨が多いが日本では高級魚として扱われている。一般に近畿地方の食文化で、ハモ料理といえば京都ともいわれているが、中津は山国川河口の沿岸で良質で味のよいハモが捕れることが地元の自慢だ。JR中津駅構内にも水槽にハモが入れられ、ハモ料理をアピールしている。また「なかつ鱧音頭」という歌と踊りまであるのだから凄い。
調理にはハモに噛みつかれる恐れもあると同時に、骨切りという下処理技能が必要だ。一流の板前は、1寸(約3cm)に17本もの包丁を入れて小骨を切り、皮は切らない。
骨切りをしたハモを熱湯に通すと反り返って白い花のように開く。これを湯引き鱧といい梅肉を添えてそのまま食べる。その他、さしみ、天ぷら、吸い物などがある。
いままでは小骨が口に残って、食べず嫌いだったが、中津駅前の割烹で一流の板前の骨切りしたハモ料理は実に旨かった。

中津駅水槽の鱧は頭だけ出していた
中津駅水槽の鱧(はも)は頭だけ出していた
鱧(はも)はなかなかの味だった
鱧はなかなかの味だった



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取材:2006年12月