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熊本周辺と島原・天草を巡る(3)

ドライブライン

不知火から人吉へ
青井阿蘇神社拝殿
今年(2008)6月9日に、国宝に指定された人吉「青井阿蘇神社」、来年(2009)肥薩線全線開通100年を記念して熊本・人吉間にSLが復活−。
熊本城本丸御殿の完成とともに、熊本周辺に人々の移動が活発化しそうだ。興味深かったのは不知火の山の中で見つけた江戸時代の剣士「丸目蔵人」の墓。剣聖と言われ、柳生但馬守宗矩と東西を分けた「丸目蔵人佐」の墓を人吉錦町に訪ね、時代の異なる2人の剣士を知ったことだった。


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ドライブライン

<コース>
不知火−松橋−(九州自動車道)−人吉IC−(国道219号線)−錦町−(九州自動車道)−熊本空港
行程 約250km

ルート付近のリンクポイントをクリックしてみてください

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●青井阿蘇神社

JR人吉駅前の観光案内所で町の案内地図を手に入れ、地元では「青井さん」の呼び名で親しまれている青井阿蘇神社へ。
今年6月に国宝に指定された神社は、大分県の宇佐神宮本殿についで九州で2件目、熊本では初めて。司馬遼太郎も絶賛した、桃山風建築様式の社。
人吉駅。正面にカラクリ時計がある
人吉駅。正面にカラクリ時計がある

大同元年(806)に創建、神社の御祭神は阿蘇神社十二神のうちの三神、健磐龍命(たけのいわたつのみこと)、阿蘇都媛命(あそつひめのみこと)、國造速甕玉命(くにのみやつこはやみかたまのみこと)である。厚みのある茅葺き屋根の楼門、拝殿、幣殿、廊、瓦葺きの本殿の建物5棟と、建造や改築年代が記された棟札1枚と銘札5枚が今回国宝となった。


青井阿蘇神社拝殿
青井阿蘇神社拝殿
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拝殿内部
拝殿内部

楼門は「人吉様式」と呼ばれ全国的にも例をみない神面が取り付けられている。天井には龍の絵が描かれている。
また本殿は慶長15年(1610)〜同18年に造営されたもので、人吉球磨の社や寺の建築の特徴がみられる。拝殿に続く幣殿や廊の内部、外部には華麗な装飾で飾られ、柱や欄間には見事な龍や華、鳥などの彫刻が施されている。拝殿の中の神楽殿では国の無形民俗文化財に指定されている「球磨神楽」が演じられる。
これらは慶長期に一連で造営された社殿群であり、統一的意匠をもち完成度も高いことが評価された。
境内にはご神木でもある樹齢400年のクスノキが大きく幹を伸ばしていた。

本殿
本殿
ご神木になっているクスノキ。根回り12.2m
ご神木になっているクスノキ。
根回り12.2m


●人吉城

南九州、人吉の球磨川沿いに館が築かれたのは、いまから約800年前のこと。建久9年(1198)鎌倉幕府の命を受け、遠江国相良庄(現在の静岡県牧ノ原市)から相良長頼が人吉庄に移り住んだのがはじまり。人吉の地頭となった相良氏によって、室町時代には、球磨川と胸川の流れを天然の堀とした中世の山城となっていた。
薩摩、日向の戦いに勝利しながら領地を拡大し、19代義陽によって人吉城大改修工事に着工。しかし、戦国時代に中断、寛永16年(1639)22代相良頼寛の時に完成した。鎌倉時代から35代、明治まで700年の歴史を刻む。
明治の西南戦争では薩摩軍の根拠地となったため、城のほとんどが破壊され、石垣のみが残る。
その後、人吉城跡が国の史跡となり公園として整備された。平成元年(1989)隅櫓が、その4年後には多聞櫓とそれに続く長塀が復元された。長屋風の櫓の内部は資料館になって城の歴史や、明治はじめまであったありし日の人吉城の模型などが展示されている。
/入館料 200円、TEL 0966-22-2324

人吉城の本丸を見る
人吉城の本丸を見る
城壁から球磨川と市街
城壁から球磨川と市街
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大手門跡から城跡に向かい5分ほど歩いたところにある堀合門跡がある。この堀合門は城主の住む御館北側入り口に置かれた門で、この門から「武者返し」と呼ばれる石垣が続く(門のオリジナルは移築されている)。最上部が石を張り出した石垣はヨーロッパの築城技術がとりいれられている。
この門に向かい合うようにある門は「水の手門」跡が残る。城内に入る4つの門の一つで、堂々たる石垣が球磨川に面している。水運のための門で、船着き場から蔵へ直接物資を搬入する門でもあった。

武者返しの付いた石垣
武者返しの付いた石垣
城内の案内プレート
城内の案内プレート

「下の御門」は主郭への登り口で、本丸、二の丸・三の丸跡へと続く。二の丸から石段を上ると本丸跡へ。本丸跡には土塁がめぐらされ、天守閣ではなくここには護摩堂が建てられていたという。城を巡る堅固な石垣から、長い歳月をかけて築城した相良氏の居城の意気込みと誇りを感じる城である。

●永国寺

通称「幽霊寺」と呼ばれている。室町時代初期、応永15年(1408)実底超真和尚が開山、現住職で40代になるという。球磨人吉曹洞宗の本山。この寺がひときわ有名なのは、珍しい男の幽霊が描かれた掛け軸があることからである。
当寺を開山した実底和尚直筆と伝えられている。
「創建当時、近郷にさる知名の士がいて、その士は妾を持ったが、本妻の嫉妬に苦しみ、球磨川に身を投げ非業の死を遂げたという。しかし、士は幽霊となって本妻を怨んだ。本妻は実底和尚の法力を頼りに永国寺に駆け込んだそうだ。和尚の前に現れた幽霊は、和尚より、因果の道理を説き聴かされ、和尚が描いた己の醜い姿に驚き、和尚の引導に成仏したという」 幽霊が出たという池は本堂裏にある。亀がのんびりと甲羅干しをしていた。

夜な夜な幽霊が出たという池も今は明るい
夜な夜な幽霊が出たという池も今は明るい
幽霊の掛け軸
幽霊の掛け軸

明治10年、西南戦争の折、田原坂で敗れて撤退する西郷隆盛が、永国寺に本営を置き、33日間滞在したことでも知られている。境内には西郷隆盛の碑がある。
とても明るく気さくな現40代目和尚に拝観料のことを尋ねたら「人を頼む人件費のが高くつく」と笑っていた。
/拝観料 無料、TEL 0966-22-2458

●武家蔵

藩主相良氏が、多目的のために建てた屋敷で、御仮屋という。31代藩主長寛の次男頼匡(よりただ)の狩りの休憩所で、もとは西村一丸釣井手(現在の錦町一丸)にあったが、江戸時代末期に今の場所に移築された。後に新宮簡氏が拝領し、現在地に移築した。屋敷正面に建つ門は堀合門といい、この門は人吉城にあったが、明治4年に廃藩により壊される際、新宮氏が自宅の門として移築した。

武家蔵。西郷の宿舎にもなった
武家蔵。西郷の宿舎にもなった
この屋敷は田原坂で敗れた西郷隆盛の永国寺同様宿舎でもあったという。(屋敷蔵の説明によると永国寺は臨時の病院だったという)
茅葺きの2階建てで、天井や床には巨大な松の一枚板などが使われている。
明治10年、人吉における西南戦争で新宮家は父が官軍に、子は薩軍に分かれ、親子対決するという悲劇が起こった家でもある。屋敷蔵は歴史資料館になっている。
/入館料 300円、TEL 0966-22-5493

●桑原家住宅

人吉市街から約10km東、錦町にある国指定重要文化財の建造物で、相良藩の下級武士の家。寄棟造、茅葺き屋根で、2つの棟を直角につないだ曲屋である。4室と2室の土間造りになっている。建物は、数ヵ所増設されているが、建築年代は19世紀と推定されている。この住宅は熊本県にある曲屋のなかでは、もっとも保存状態がよいといわれている。
/見学料 無料
  問い合わせ 錦町教育委員会
  TEL 0966-38-1111
桑原家住宅。錦町にある
桑原家住宅。錦町にある
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●ふたりの丸目蔵人

丸目蔵人佐徹齋は天文9年(1540)に八代郡に生まれ、17歳のときに故郷を離れ、足利将軍時代の剣聖といわれた京都の上泉伊勢守について新陰流の奥義を極めた。そして伊勢守門下四天王の一人とされるまでなった。蔵人佐は帰郷後、新陰流をもとにしたタイ捨流という新しい剣法を編み出した。
のちに徳川秀忠・家光の指南役となった柳生但馬守宗矩を訪ね、対決を申し出たが、但馬守は「ここで龍虎の争いをして勝負をすれば両雄並びたたず、日本に二人しかいない達人のどちらか一人を失うことは忍ず」といい、蔵人佐を関西の兵法天下一とし、但馬守を関東兵法天下一として二人とも生かしたいといってことなきを得たという。蔵人佐も但馬守同様剣の道を極めた達人と言われた人である。
錦町には、丸目蔵人佐の12代目、丸目千之助さん(78歳)が健在だ。町役場の裏で農業を営んでいた。1m80cmを超す長身と、穏やかな笑顔が印象的な人であった。

丸目蔵人佐墓所の案内板
丸目蔵人佐墓所の案内板
丸目蔵人佐の墓所
丸目蔵人佐の墓所

蔵人佐は晩年、水路を開き水田を作った
蔵人佐は晩年、水路を開き水田を作った
丸目千之助(12代目)78歳
丸目千之助(12代目)78歳

一方、不知火の山奥に残された墓の主であるもうひとりの丸目蔵人は丸目蔵人信久といい、蔵人佐と同じ剣士であったらしいが、剣聖ではなかった。剣聖とは「兵法天下一」のこと。兵法天下一とは、足利将軍の天覧試合で勝った者だけに与えられた称号。
蔵人信久の末裔という83歳になるおばあさんを訪ねたが、系図が6代で途絶えていた。取材者なりに調べたが、蔵人信久は江戸末期の剣士だったらしいことだった。

もう1人の丸目蔵人墓所への案内
もう1人の丸目蔵人墓所への案内
もう1人の丸目蔵人。こちらは信久の名
もう1人の丸目蔵人。こちらは信久の名



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取材:2008年10月