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熊本周辺と島原・天草を巡る(2)

ドライブライン

天草五橋の1号橋から 熊本県南西部、天草は、古くは天草、大矢野、志岐、上津浦、栖本の豪族、「天草五人衆」が割拠していた。中世にはいずれも海に進出し、南蛮文化やキリシタンにも触れていた。天草下島、上島2つの島は、平成18年(2006)2月の市町村合併により、御所浦島を含め2市8町が天草市となった。
現在は天草下島の本渡を中心に、3つの島に約10万人の人々が暮らす。江戸時代初期には、キリシタン、農民反乱の「天草・島原の乱」の指導者とされる天草四郎の歴史の舞台であった。歴史の遺産とともに、豊かな海に囲まれた風光明媚な島として、天草は観光開発に力を入れている。


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ドライブライン

<コース>
熊本空港−熊本市内−(県道1号線)−金峰山−天水町−(国道501号線)−長洲町−(有明フェリー)−島原市多比良港−(国道251号線)−島原−(国道57号線)−深江町−雲仙−小浜町−(国道251号線)−口之津−(島鉄フェリー)−鬼池港−(国道324号線)−本渡−(国道266号線)−牛深−(国道266号線)−(国道389号線)−下田温泉−(県道24号線)−本渡市街−(国道324号線)−松島−天草五橋−三角−不知火−宇土
行程 約280km

ルート付近のリンクポイントをクリックしてみてください

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●天草市本渡

島原の口之津港から潮の流れの速い早崎瀬戸をフェリーで約40分、天草下島の北、鬼池港に着いた。小さな港では早速「天草四郎」の大きな像が迎えてくれた。
天草へは熊本から宇土半島を経て5つの橋(天草五橋)で結ばれているため、船で海を渡ってくる人は少ない。もちろん観光案内所はない。港から国道324号線を約10km、本渡の町に着く。
天草市の市政の中心であり、天草の歴史を深く刻んだ町でもある。

口之津港を離れ鬼池へ
口之津港を離れ鬼池へ
鬼池港前の天草四郎像
鬼池港前の天草四郎像

●祇園橋

町の中を流れる町山口川に架かる長さ約29m、幅約3m、約30cmの角柱45本で支えられている石橋。多脚式アーチ型で、天保3年(1832)に建造された石造り桁橋。現存する中では最大のもの。また全国的にも珍しい造りで、国の重要文化財に指定されている。
寛永14年(1637)、天草・島原の乱で町山口川を挟んでキリシタン軍と唐津藩が激しく戦い、この地で死闘を繰り広げた。河原を埋め尽くした屍を弔う橋本徳壽の歌碑が橋の近くに建っている。

国内最大の石造り桁橋、祇園橋と祇園神社
国内最大の石造り桁橋、祇園橋と祇園神社
祇園橋近くは天草の乱の激戦地だった
祇園橋近くは天草の乱の
激戦地だった


●明徳寺

天草・島原の乱の後、人心平定とキリスト教からの改宗を目的として建立された曹洞宗の禅寺。山門へ通じる石段には、注意して見ると十字が刻まれているものがある。石段を上った山門に掲げられている額には、仏陀の正法を広め耶蘇の邪宗を破るという意味が書かれている。天草キリシタンの歴史を物語る寺でもある。

改宗者を集めた寺、明徳寺
改宗者を集めた寺、明徳寺
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明徳寺の石段には幾つもの十字が刻まれ、改宗が本当かどうか、踏み絵が行われた
明徳寺の石段には幾つもの
十字が刻まれ、改宗が本当か
どうか、踏み絵が行われた


●殉教戦千人塚(殉教公園)

寛永14年11月14日、天草四郎が率いる7千余人のキリシタン勢と2万5千人の唐津軍(幕府軍)との、町山口川周辺での大激戦は、屍で川がせき止められたといわれている。
この両軍の無数の遺骸を、里人たちが数カ所に地蔵を建て供養し、千人塚と称して祀った。これらの塚を合祀したものが、千人塚だ。公園内には、我が国に初めての西洋医学を伝えると同時に、天草にキリスト教を布教したポルトガル人ルイス・デ・アルメイダ神父の祈念碑がある。

千人塚
千人塚
アルメイダ神父の祈念碑(右)
アルメイダ神父の祈念碑(右)

●天草切支丹館

隠れキリシタンの遺物を展示する歴史資料館。16世紀後半に伝来した南蛮文化ロザリオやクルス、グラス、茶器などから、天草・島原の乱で使用された武器、キリシタン弾圧の踏絵、マリア観音像まで400点を観ることができる。
なかでも天草四郎が実際に使用したという陣中旗は必見だ。旗には戦いの激しさを物語る血痕などが残されている。この旗は国の重要文化財に指定されている。
/入館料 無料、TEL 0969-22-3845
歴史資料館前の天草四郎像
歴史資料館前の
天草四郎像

天草四郎陣中旗(天草キリシタン館提供)
天草四郎陣中旗(天草キリシタン館提供)
キリシタンのメダル(天草キリシタン館提供)
キリシタンのメダル
(天草キリシタン館提供)


●牛深町

牛深町は天草下島の最南端にある人口2万弱で、主な産業は漁業と農業の町だ。
この町で有名なのは、毎年4月に行われる「牛深ハイヤ祭り」で、この小さな町に5,000人を越える人々がハイヤ総踊りに参加するという祭りだ。ハイヤとは、全国に点在する「ハイヤ節」。知名度では徳島の阿波踊りだが、その阿波踊りのルーツも牛深ハイヤと考えられている。

牛深への道
牛深への道
牛深の漁港
牛深の漁港

入り組んだ入り江、数多い小島と、これらを包む透明度の高い海、その代表ともいえる三日月形をした砂浜は、夏は海水浴場として賑わい、ウミガメの産卵地としても知られている。また牛深湾に架かるハイヤ大橋は「可能な限り少ない橋脚で支持し、海上でカーブした一本の線を浮揚したように見せる」ということで牛深の自然の風景に溶け込ませるという斬新なデザインという。全長883m幅16m、県内最長を誇る。設計者は関西国際空港を手がけたイタリア建築家、レンゾ・ピアノ氏である。
牛深・海の駅では大きな水槽を沢山の魚が泳いでいる
牛深・海の駅では大きな水槽を
沢山の魚が泳いでいる


グラスボートから見るハイヤ大橋
グラスボートから見るハイヤ大橋

牛深海中公園へはグラスボートで往復1時間30分。昭和45年(1970)日本で初、国指定の海中公園として誕生した。テーブルサンゴや亜熱帯の魚を観ることができる。
/料金 2,000円、TEL 0969-73-4545


●崎津天主堂と大江天主堂

牛深から県道35号線を北へ。古い町並みを縫うように海辺の小さな町魚貫を抜け、再び海に出合うところは早浦だ。深く入り込んだ湾を辿ると、国道389号線を崎津方面へ。東シナ海への出口でもある羊角湾にある小さな漁村に崎津天主堂がある。
日本のどこにでもある普通の漁村の中、ひときわ高く聳える教会の尖塔は、違和感のある風景だ。天草諸島は、長崎と共に古くからキリシタンの多いところであり、この地も隠れキリシタンが信仰を守り続けたところである。
昭和9年(1934)日本の教会建築の第一人者、鉄川与助による建造でゴシック風建築だ。


同じく、大江天主堂も彼の建築だが、ロマネクス様式だ。現在の大江天主堂はフランス人のガニエル神父が昭和8年(1933)私財を投じて完成させたもの。天主堂の敷地内には、ルルドの聖母マリア像があり、その下には天草キリシタンの歴史を語る資料館「天草ロザリオ館」がある。
/入館料 320円、TEL 0969-42-5259

●妙見浦

国道389号線は別名サンセットラインと呼ぶ。東シナ海に沈む真っ赤な太陽、その刻々と変わる海と空の色彩を眺めながらのドライブウェイである。
天草への標識
天草への標識
東シナ海に沈む夕日
東シナ海に沈む夕日
五足の靴・記念碑
五足の靴・記念碑

サンセットを眺める展望台には「五足の靴」の記念碑が建つ。明治40年(1907)与謝野鉄幹、北原白秋、木下杢太郎、吉井勇、平野万里の5人の若き日、キリシタン遺跡探訪の旅に出た。大江天主堂にガニエル神父を訪ね、熱心な布教を続ける神父の言葉に5人は大きな影響を受けた。その旅を「五足の靴」として東京の新聞に匿名で発表した。後に北原白秋は処女作「邪宗門」を、木下杢太郎は「天草組」に異国情緒にあふれる天草の旅を世に紹介したことから、天草にはこの他にも文豪の足跡を示す碑が多くある。

●下田温泉

温泉の伝説は、どこでも似たようなもの。白鷺温泉ともいわれる下田温泉の歴史も、今から700年ほど前に一羽の白鷺が傷を癒していたことからはじまる古い温泉だ。湯量は豊富で源泉100パーセントの掛け流し。加湯や循環する温泉場が多い中で、この掛け流しは地元の自慢。ところが湯量は多いが、ここまで温泉に入りにくる人も少ないことが悩みとか。サウナ、打たせ湯、露天風呂など7種類の温泉が楽しめる日帰りの湯「下田温泉センター白鷺館」がある。
/入浴料 500円、TEL 0969-42-3375

●正覚寺(南蛮寺跡)

下田より県道24号線を経て、本渡へ戻り、天草瀬戸大橋を渡って上島へ。国道324号線(ロザリオライン)を辿る。
上島へ入って約10kmのところに、天草四郎勢上陸の地がある。これより4km手前の有明町付近で天草・島原の乱の戦闘がはじまったと伝えられている。その上陸地の浜を探し訪ねてみたが、いまはなにも残されていない。地元の人に教えられ上陸地より1kmくらい内陸に入ったところある南蛮寺跡へ。
天正17年(1589)に建立され、3,500人を超す人々がキリスト教に帰依し、キリスト教布教の中心地として南蛮文化の華が咲いた。しかし、天草・島原乱の後、仏教布教のため正覚寺が建立された。昭和60年(1985)、本堂改修の際に床下から、十字の入ったカマボコ型のキリシタンの墓石が発見された。

天草四郎上陸地と伝えられる浜
天草四郎上陸地と伝えられる浜
南蛮寺跡にある正覚寺
南蛮寺跡にある正覚寺

正覚寺の改修で床下にあった切支丹の墓石
正覚寺の改修で床下にあった切支丹の墓石
正覚寺境内の墓碑群は県の重文
正覚寺境内の墓碑群は県の重文

●天草五橋

100を越える島々を有する天草には昭和41年(1966)九州本土と天草諸島を結ぶ5つの橋が島民の希望とともに完成した。橋は「夢の架け橋」と呼ばれ島民に大きな恵みをもたらした。上島の松島から宇土半島の三角まで松島橋、前島橋、中の橋、大矢野橋、天門橋と5つの橋で繋ぐ約17kmを「天草パールライン」という。それぞれ長さも形や色なども異なる橋は、観光の目玉でもある。

天草五橋の1号橋から
天草五橋の1号橋から
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五橋では様々な場所に目を引かれる
五橋では様々な場所に目を引かれる
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五橋は快適なドライブウェイ
五橋は快適なドライブウェイ
天門橋。桜の季節が良いという
天門橋。桜の季節が良いという

●天草四郎メモリアルホール

パールラインの途中、大矢野島にある展示館。キリシタン弾圧と厳しく苛酷な年貢の取り立てに耐えかねた農民が、わずか16歳の少年だった天草四郎時貞を総大将として起こした天草・島原の戦いを、今に伝える資料館。
/入場料 600円、TEL 0964-56-5311
天草四郎メモリアルホール
天草四郎メモリアルホール

●不知火

火の国の怪火は、旧暦8月1日の未明、不知火に現れる奇観。今から千数百年前、景行天皇が九州御巡幸のみぎり、暗夜の八代海上に天皇を導き、無事火の国の海岸へ着くことができた。以来、この怪火を「不知火」と呼ぶようになった。日本書紀、古事記、肥後風土記、西遊記 などから伝えられ、「不知火」の研究は現在も続いている。
地名になった不知火周辺には、古くから漁業、農業、醸造業で栄えた松合の町がある。土蔵白壁 古い町並みを残す松合は、観光の町を目指している。
松合の古い町並み
松合の古い町並み



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熊本県観光サイト なごみ紀行 くまもと
最新トピックスのほか、ジャンルや目的別に調べられる観光地検索、テーマ別のガイドマップなどがある。
天草市観光情報サイト
天草市公式観光サイト。イベント情報や観光地検索のほか、キリシタンの歴史をまとめた「サイバー切支丹館」も掲載。

取材:2008年10月