ニッポンレンタカーHOME > 旅のお役立ちガイド > ドライブガイド > 熊本周辺と島原・天草を巡る(1)

熊本周辺と島原・天草を巡る(1)

ドライブライン

王昭君の障壁画 いま熊本が“熱い”。それは約400年前、加藤清正が築城した往時の熊本城だ。総工費54億円、着工から約8年の歳月をかけて2008年4月に復元完成した熊本城本丸御殿である。10月までの半年間で本丸御殿目当てに訪れた観光客は150万を超えたというのだから凄い。
樹齢100〜150年の赤松をはじめ半分以上を熊本産と、その他すべて国産の木材を使用、また狩野派絵画をイメージ再現された襖絵や天井絵など、かつての絢爛豪華な御殿を一目見ようと全国から人々が集まってくる。
一方で、島原と天草の海峡にすみついた300頭にも及ぶ野生のイルカの群れに出合おうと天草五橋を渡る。そこには、キリシタンや天草四郎の悲惨な歴史跡や噴火の爪痕を残す普賢岳、島原城や武家屋敷跡などがある。さらに、今年10月、熊本初の国宝指定された人吉の青井阿蘇神社と、いま熊本とその周辺は全国から熱いまなざしが注がれている。


サムネイル1 サムネイル2 サムネイル3 サムネイル4 サムネイル5 サムネイル6

ドライブライン

<コース>
熊本空港−熊本市内−(県道1号線)−金峰山−天水町−(国道501号線)−長洲町−(有明フェリー)−島原市多比良港−(国道251号線)−島原−(国道57号線)−深江町−雲仙−小浜町−(国道251号線)−口之津−(島鉄フェリー)−鬼池港−(国道324号線)−本渡−(国道266号線)−牛深−(国道266号線)−(国道389号線)−下田温泉−(県道24号線)−本渡市街−(国道324号線)−松島−天草五橋−三角−不知火−宇土
全行程 約700km (3回に分けて掲載予定)

ルート付近のリンクポイントをクリックしてみてください

<ルート付近のリンクポイントをクリックしてみてください>



●熊本城

今年(2008年)4月「阿蘇パノラマラインと神々の里・高千穂」の項で、熊本城のことに少し触れたが、本丸御殿はまだ未公開だった。そのわずか10日後の4月29日よりオープン。しかし、公開から半年後の10月で150万人を超える人々を集めたという、その魅力を知りたいと、再び熊本城を訪れた。
午前10時、すでに2ヶ所の広い駐車場は、大型バスの列を含めて満車に近い状態である。天守閣を見上げながら、国の重要文化財の宇土櫓に沿って開かれた頬当御門の入り口を入る。ひっきりなしに続く人の波とともに真新しい本丸御殿へ。
熊本城天守閣
熊本城天守閣

細川刑部邸
細川刑部邸
熊本城・本丸御殿は大人気
熊本城・本丸御殿は大人気
慶長15年(1610)加藤清正によって創建された本丸御殿は、やがて細川忠利が城主となった寛永9年(1632)に大規模な改修が行われたが、以降大幅な改修の記録が残っていない。このことから、そのまま幕末まで存続していたと推測されている。
ところが、明治10年の西南戦争開戦の3日前、原因不明の出火で、宇土櫓を残し天守閣ともども焼失した。現在の天守閣は昭和35年(1960)復元、今日まで数寄屋丸二階御広間、飯田丸五階櫓、南大門などが復元されてきた。本丸御殿は、その総仕上げともいうべきものという。
本丸御殿は城郭のなかで天守閣とともに中心をなす建物だ。復元建物は藩主の居間、対面所(大広間)、台所(大台所)、数寄屋(茶室)などの機能を備え、書院など多くの部屋から構成されている。幸いなことに熊本城に関する史料は、絵図や古い写真など数多く現存し、史実に基づいた復元が行われた。
石垣積み、木組み、丸太仕上げ、土壁や屋根の下地まで、熟練した職人によって伝統的な工法・技法が用いられている。木材はすべて国産材で、その51%が熊本産。赤松、檜、ケヤキ、栗、杉などの巨木を使用というこだわりようだ。
本丸御殿の大広間
本丸御殿の大広間
さらに当時の本丸御殿のほとんどの部屋には障壁画が描かれていたが、「昭君之間」と「若松の間」の2部屋に文献資料に基づき障壁画が復元されている。昭君之間には、中国の前漢時代の話である匈奴に送られた悲劇の美女、白馬に乗った「王昭君」の物語の図だ。天井の色彩豊かな花の絵ともに、絢爛豪華な日本の城の美を堪能することができる。
/入城料 500円、TEL 096-352-5900

見事な天井画
見事な天井画
(画像をクリックすると拡大写真を表示します)

王昭君の障壁画
王昭君の障壁画
(画像をクリックすると拡大写真を表示します)


鰺の刺身は活きが良かった
鰺の刺身は活きが良かった
熊本名物、辛子蓮根
熊本名物、辛子蓮根

●金峰山

熊本市内から本妙寺(加藤清正・細川家にまつわる文書・書画などが収蔵されている)を目指して県道1号線を辿る。間もなく本妙寺を後にすると、対向車に注意するほどの狭い山道を上る。10kmほどで金峰山の登り口に着く。ここからは上りと下り道が一方通行となる。頂上近くには駐車場があるが、標高665mの山頂へは徒歩約10分上る。
山頂にはNHKをはじめ各民放の電波塔が建ち並ぶ。地元では名峰と呼ばれる山頂に複数の鉄塔とは残念だ。山頂に祀られた金峰神社がまるで居候のように片隅に鎮座する。眺めは、東に熊本市、その遠くには阿蘇の山々、西には有明海に雲仙、とくに熊本市内の夜景は、この山頂から見るのは最高とか。標高は低いが、阿蘇と雲仙に挟まれた火山でもある。

金峰山頂上の神社
金峰山頂上の神社
金峰山の見晴台には、縁結びの鍵が一杯
金峰山の見晴台には、縁結びの鍵が一杯

●雲巖禅寺と霊巖洞

宮本武蔵が「五輪書」を著した「霊巖洞」は雲巖禅寺の奥の院にある洞窟である。洞窟には古くから「岩戸観音」と崇められてきた石体四面の馬頭観音が鎮座する。南北朝時代に中国から渡来した禅僧によって観音を本尊として雲巖禅寺が開かれた。
今は格子戸の奥深く岩戸観音菩薩が鎮まる天然の窟、霊厳洞で宮本武蔵は寛永20年(1643)、「五輪書」を書き始めた。まさに霊厳洞は武蔵の定点であり終の棲家でもあった。また雲巖禅寺は古くから修験道の聖地でもあった。広い境内には、武蔵の時代より約160年後に商人であった淵田屋儀平という人物が奉納したという五百羅漢が岩肌に、さまざまな表情を見せている。
/拝観料 200円、TEL 096-329-8854

霊厳洞への岩肌には羅漢様が並ぶ
霊厳洞への岩肌には羅漢様が並ぶ

霊厳洞
霊厳洞
武蔵が五輪書を書いた霊厳洞
武蔵が五輪書を書いた霊厳洞

●島原へ

熊本県長洲町から有明フェリーで約40分、島原市多比良港に着く。港から国道251号線を南下、島原市街まで15km。島原鉄道島原駅には「島原の子守唄」の像が建つ。

明治の中頃、島原半島や天草の農家はとても貧しく、中国や遠く東南アジアへと娘が売られていった。売られていった娘たちのことを「からゆきさん」といった。島原の子守唄は貧しいがゆえに、売られていった娘たちの悲しみや哀れさ、またその一方、あまりの貧しさに「からゆきさん」を羨む農家の娘たちの心をうたったものだといわれている。
昭和32年(1957)より島倉千代子、ペギー葉山、森繁久弥などの歌手によってレコード化され、島原、天草のPR活動で、全国に知られるようになった。五木の子守唄同様、かつての貧しい農村生活を歌いながら子守をする娘の像だ。
島原駅前の子守像
島原駅前の子守像

●島原城

元和2年(1616)大和(奈良県)から島原に移封した松倉豊後守重政が7年余の歳月をかけて築いた城。外郭が周囲4km、安土桃山式建築の五層の天守閣をはじめ、3ヶ所に3層の櫓の他、城門が7ヶ所、平櫓が33ヶ所もあった豪壮堅固な城構えであった。

城主は4氏で19代253年間続いた居城も明治の廃城に民間に払い下げられたが、昭和39年(1964)天守閣、櫓などが復元された。現在、天守閣内は、南蛮貿易時代からキリシタン弾圧時代、さらに島原の乱などの資料を展示するキリシタン史料館などになっている。
訪れた日は、毎年、秋に開催される「薪能」の日にあたり、城の周りには舞台や幕が張られ、一般観光客の駐車場使用禁止とともに城の全景を見ることができなかった。
入館料 キリシタン史料館、民具資料館(丑寅の櫓)、北村西望記念館(巽の櫓)共通520円、TEL 0957-63-1111
島原城
島原城
(画像をクリックすると拡大写真を表示します)


●島原・武家屋敷

島原城の築城のとき、外郭の西に接して70石以下の武士たちの住宅が建てられた。南北に通じる道路に中央に水路が設けられ、生活用水として清水が流されていた。湧水の多い島原では、いまも豊かな水が流れている。
一屋敷は三畝(90坪)ずつに区切られ、住居は25坪の藁葺き屋根の屋敷で、庭には藩命で梅、柿、柑橘類、枇杷などの果樹が四季の果物の自給として植えさせられていた。
ここに住む武士の多くは、戦いのときには鉄砲を主力とする歩兵部隊であったことから「鉄砲町」とも呼ばれていた。
見事な石垣や黒瓦に白壁の塀は区分けされた道沿いに残り、篠塚邸、山本邸、鳥田邸と3軒の武家屋敷が現存し、無料公開されている。

武家屋敷は綺麗に保存されている
武家屋敷は綺麗に保存されている
武家屋敷の道、中央を流れる用水
武家屋敷の道、中央を流れる用水

生け垣と石垣の奥に武家屋敷
生け垣と石垣の奥に武家屋敷
武家屋敷群に同居する島原一中は白壁、武家の門構え
武家屋敷群に同居する島原一中は
白壁、武家の門構え


●普賢岳と平成新山

平成3年(1991)5月24日火砕流発生、同年6月3日大火砕流が発生して死者43名、家屋焼失・倒壊179棟を出した大災害で「火砕流」という言葉を一躍有名にした普賢岳の噴火から17年。人々の記憶から遠ざかろうとしている今も、島原市街や深江町地区では、人々の口をついてでる言葉が恐怖と被害の生々しさを語る。火砕流で灰をかぶったミカン畑は、いまだにミカンが昔の味に戻らないと、嘆く老人もいた。
火砕流の痕跡も消えた平成新山と普賢岳
火砕流の痕跡も消えた平成新山と普賢岳

その恐ろしい噴火、約220年前に起き約1万5,000人の死者を出した「島原大変」は日本の火山災害史上最大の惨事であった。普賢岳はその都度、山の形を変え高さも変えてきた。平成の噴火では普賢岳の横に新しいドームができ、「平成新山」と名付けられた。標高1,359mの普賢岳を抜いて、標高1,482mの平成新山は雲仙岳の最高峰である。

●雲仙国立公園

「三峰五岳の雲仙岳」とは普賢岳、国見岳、妙見岳、絹笠岳、高岩岳、野岳、矢岳、九仙部岳の8つの山々の総称である。野鳥や高原植物の宝庫で昭和9年(1934)日本で最初に指定された国立公園だ。
キリシタン殉教の舞台になったことでも知られる雲仙地獄とともに、明治の頃に外国人の避暑地として開かれた国際的観光地だ。温泉街は古湯、新湯、小地獄の3つに分かれ、それぞれホテルや旅館が建ち並ぶ。
雲仙には快適なドライブウェイがある
雲仙には快適なドライブウェイがある
(画像をクリックすると拡大写真を表示します)


●雲仙地獄

雲仙を代表する観光名所。大宝元年(701)創建の温泉神社の鳥居をくぐると、硫黄の臭いが立ちこめ、地の底から吹き出す蒸気と熱気に思わず足が止まりそうになる。ぶつぶつと湧き上がる熱湯、噴気が音をたてあたりを白く覆い尽くす光景は、まさに地獄そのもの。
雲仙地獄は、「大叫喚地獄」や「お糸地獄」「清七地獄」と約30もの地獄からなり、さまざまな悲話や伝説が伝えられている。キリシタンの殉教者の碑もある。周りには遊歩道があり、30分ほどで地獄巡りができる。

地獄巡りと遊歩道
地獄巡りと遊歩道
噴気が絶えない「お糸地獄」
噴気が絶えない「お糸地獄」

小浜のキリシタン墓地。訪れる人もいない
小浜のキリシタン墓地。訪れる人もいない
やっと見つけた小浜の墓碑
やっと見つけた小浜の墓碑

●イルカウォッチング

長崎島原半島と天草の間の早崎瀬戸には、イルカの群れが棲息する。回遊するはずのイルカが、同じところにすみつくのは珍しいという。
雲仙普賢岳の噴火以来、観光客誘致に漁師がはじめたイルカウォッチングは、いまや天草の観光目玉となった。10〜20人乗りの舟を持つ会社は、島原側で2軒、天草側は十数軒。漁船を持つ民宿や漁師たちも営業しているので、その正確な数は分からない、とある船会社の人の話だった。
イルカは背中が灰色で腹の白いバンドウイルカで、この早崎瀬戸周辺に300頭がいくつもの群れをつくっているとか。3〜5分潜り、早い速度で泳ぐイルカが息継ぎのため水面に浮かびあがった瞬間をウォッチする。1年を通してイルカに会うことができる。また99%、ウォッチャーに姿を見せてくれるそうだ。
/1時間 2,500円(統一料金)、宿泊、食事付き料金もある。

船の側に来るイルカの群れ
船の側に来るイルカの群れ
(画像をクリックすると拡大写真を表示します)

船を恐れないイルカの群れ
船を恐れないイルカの群れ

静かで綺麗な国崎半島
静かで綺麗な国崎半島
田舎道には棚田の稲穂が揺れる
田舎道には棚田の稲穂が揺れる



○ニッポンレンタカーの車種・料金

詳しくは車種・料金一覧表をご覧ください。

○熊本県、長崎県内のニッポンレンタカー営業所

ニッポンレンタカー ホームページの営業所検索で、熊本県長崎県の営業所リストをご覧いただけます。


熊本県観光サイト なごみ紀行 くまもと
最新トピックスのほか、ジャンルや目的別に調べられる観光地検索、テーマ別のガイドマップなどがある。
熊本市観光情報サイト−満遊!くまもと
熊本市公式観光サイト。城下町、水前寺・江津湖などエリア別の市内観光マップや観光コースガイドなどを掲載。
島原市 - 観光ガイド
島原市サイト内。イベント情報や観光地、観光施設の案内のほか、普賢岳など火山に関する情報も見られる。

取材:2008年10月