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四国・坂本龍馬脱藩の道(1)

ドライブライン

桂浜 遠く異国へと続く太平洋を望む土佐(高知)、温暖な気候に恵まれ陽光明るい土地柄か、幕末から明治にかけて坂本龍馬、中岡慎太郎、岩崎弥太郎、板垣退助など数多くの偉人を生んだ地である。折しも、2010年、新しい風に向かって駆け抜けた坂本龍馬を主人公に、日本の歴史を大きく変えていった人々の物語、NHK大河ドラマ「龍馬伝」が始まる。
今回は、龍馬が藩の下級武士の子として生まれ育った高知市とその周辺、そして龍馬が大志を抱いて土佐藩を脱藩し、愛媛の長浜へと辿った山道を探しながら車を走らせた。
さらに京都へも立ち寄り、龍馬や中岡慎太郎をはじめとする幕末の動乱で国に殉じた志士たちの眠る維新の道を歩いた。
コースは、龍馬が幼少から藩を離脱するまで住んだ高知市と、この土佐を脱藩して通った、愛媛県長浜への道、さらに龍馬の最期の地である京都の3回に分けた。


サムネイル1 サムネイル2 サムネイル3 サムネイル4 サムネイル5 サムネイル6

ドライブライン

<コース>
高知空港−高知市内−(国道55号線)−安芸−高知城−(国道33号線)−佐川−(国道494号線)−(国道197号線)−檮原町−伊予長浜−(国道378号線)−松山−(山陽高速道路)−京都
全行程 約800km

ルート付近のリンクポイントをクリックしてみてください

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●高知城

「駿馬と妻の十両」といわれ、内助の功で知られる山内一豊により築かれた城。慶長5年(1600)関ヶ原で西軍に属して領地を没収された長宗我部盛親に替わって、遠州(静岡県)掛川から当時の浦戸城に入城した。
だが、翌慶長6年(1601)、古くは国府の所在地で、廃城となっていた大高坂山に新しく築城した。山内8代豊敷の享保12年(1727)に大火で追手門を残し城下ともども焼失。現在の城は、宝暦3年(1753)に再建されたもの。
約250年もの間、自然災害、明治維新の廃城、太平洋戦争と幾度となく襲った危機を乗り越えて、今日へと残った数少ない城である。南海道随一の名城として、いまも高知人の誇りでもある。重要文化財でもある。
/懐徳館(天守閣)入館料 400円、TEL 088-824-5701

高知城
高知城
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高知城の鉄門。裏手にある
高知城の鉄門。裏手にある

高知城の門
高知城の門
高知城の堀と蓮
高知城の堀と蓮

山内一豊像
山内一豊像
山内一豊の妻の像
山内一豊の妻の像

●坂本龍馬生誕地

天保6年(1835)11月、龍馬は土佐藩士の次男として、ここ高知で生まれた。坂本家は豪商才谷の分家で、新規郷士として分家するに際して才谷家から莫大な財産を譲り受けた家で、かなり裕福であった。広い敷地と屋敷があったという場所は、ビルに挟まれた敷地に生誕碑が建つだけで、いまは面影もない。石碑の揮亳は吉田茂によるもの。
町の中央を走る路面電車土佐電鉄伊野線「上町一丁目」停留所前にある。

龍馬生誕の地は市内のビルの谷間にある
龍馬生誕の地は市内の
ビルの谷間にある

誕生の地近くにはこんなベンチも
誕生の地近くにはこんなベンチも

●龍馬の生まれたまち記念館

龍馬生誕碑の近くにある。龍馬の誕生から脱藩するまでの家族構成や、当時の町並み、生活など、エピソードを交えて、ジオラマ模型と紙人形で再現されている。さらに当時の城下町地図、幕末の上町のミニチュア模型まである。
龍馬は二男三女の5人兄弟の末っ子として生まれ、大勢の下男下女のいる家で、かなり甘やかされて育ったとか。だが、12歳で母を亡くし、ひ弱だった龍馬を3歳上の姉、乙女が鍛えたというエピソードなどが面白い。
乙女は、身長五尺八寸(約176cm)体重三十貫(約113kg)の女丈夫だったなど、幕末の英雄・龍馬が育った家庭での生活を知ることができる。
/入館料 300円、TEL 088-820-1115

龍馬の生まれたまち記念館
龍馬の生まれたまち記念館
はりまや橋
はりまや橋
(記念館から東へ約1.5km)


●板垣退助生誕地

天保8年〜大正8年(1837〜1919)土佐藩から自由民権運動の先頭に立ち、やがて自由党の総理に就任した板垣退助もまた坂本龍馬、中岡慎太郎、岩崎弥太郎、後藤象二郎などと前後してほぼ同じ1830年代に土佐に生まれ、時代を大きく変えたひとりである。

土佐藩士として生まれ藩主山内豊信の側用人などを務めたが、藩の公武合体路線と相容れず、討伐派と連携し戊辰戦争で活躍。明治維新後土佐藩で藩政改革を行い、明治4年(1871)廃藩置県を断行。後に伊藤内閣、大隈内閣の内相をつとめた。
100円紙幣に肖像が用いられた高知の偉人だが、生誕地には石碑以外はない。高知城下に立派な像が建っている。
板垣退助誕生の地。今はお寺になっている
板垣退助誕生の地。今は
お寺になっている


板垣退助像(高知城)
板垣退助像(高知城)
自由民権記念館
自由民権記念館

●後藤象二郎

天保9年(1838)土佐に生まれる。板垣退助とは近所で幼なじみ。11歳で父親を亡くすと、叔父の吉田東洋(板垣退助・岩崎弥太郎などを育てた少林塾を開いた人物)のもとで育てられる。
やがて坂本龍馬と手を組み、土佐藩山内容堂に、徳川慶喜に大政奉還を進言。大政奉還後にその功績が認められ昇進し、維新後には参政や参議を務めた。また容堂に龍馬の脱藩の許しを願った人物だ。生誕地は石碑のみとなっている。
後藤象二郎生誕地
後藤象二郎生誕地

●田中良助旧邸資料館

上町一丁目の龍馬生誕地から北へ約7km、山を上ったところにある。途中より道幅も狭くなり、山道も急坂になったところに石垣に囲われた小さな家がある。田中家は坂本家の領地を管理していた人物で、龍馬はよくここを訪れていた。良助と将棋をさしたり、碁をうったり、酒を酌み交わし、泊まっていくこともあったという。
裏手には「八畳岩」という大きな岩がある。ここからは、高知市街と海が見渡せる。遠くに太平洋を望みながら、二人はこの岩の上に坐り、日本の未来を語り合ったであろうといわれている。

田中良助旧邸資料館
田中良助旧邸資料館
龍馬が良助と語り合った居間
龍馬が良助と語り合った居間

良助家の裏山にある八畳岩。高知市が一望できる
良助家の裏山にある八畳岩。
高知市が一望できる

田中良助(左)と坂本龍馬(資料館)
田中良助(左)と坂本龍馬(資料館)

田中家の襖の下張りから、良助から龍馬に貸した金の借用書が偶然に見つかったが、これは龍馬が脱藩した時の旅費の一部だったという。文政8年(1825)の銘の入った碁盤と碁石とともに、県立坂本龍馬記念館に保存されている。
現在は直系の田中敬二(ひろつぐ)氏が管理している。家は築約200年で、龍馬由来の建物がそのまま残るのは唯一ここだけだ。
/開館日 毎週金曜日〜日曜日、入館料 無料
  問い合わせは高知市観光課、TEL 088-823-9457

●和霊神社

龍馬の4代前の先祖坂本八郎兵衛直益が、宇和島市神田にある和霊神社を勧請し、坂本家の屋敷神として宝暦12年(1762)に建てたもの。
文久2年(1862)3月24日、土佐藩脱藩を前に「神田吉野に花見に行く」と言って和霊神社に立ち寄り、水盃を交わし、成就祈願をしたというエピソードが伝わる神社だ。
龍馬が子供のころから何度か詣でたことであろう神社であることから、そう遠くはないところだろうと、「龍馬の生まれたまち記念館」で教えられた道を辿ったが、新興住宅街の細い迷路のような路地の中で迷う。
来年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」が始まるころには、和霊神社への旗記も立つかも知れないが、この時点ではめぼしい目印はない。龍馬の記念館から約4km、小高い山の中腹にあった。団地の裏には駐車スペースもあった。

和霊神社への道
和霊神社への道
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和霊神社
和霊神社

和霊神社へは長い石段が続く
和霊神社へは長い石段が続く
龍馬が詣でた頃は、石の宮だけだったと言われる
龍馬が詣でた頃は、石の宮だけ
だったと言われる


神社は、いかにも古びた鳥居をくぐり薄暗い杉木立の中に続く石段を70〜80段登ると、あまり手入れもされていない社がひっそりと佇んでいた。
「桜を見に行く」と言い残し、同志・沢村惣之丞とともに龍馬は新時代へと、真っ直ぐにこの神社から駆けて行ったのである。

●桂浜

高知市の南部、太平洋に臨む弓形に砂浜が続く海岸。上竜頭岬には竜王宮があり鳥居と祠が鎮座する。「月の名所桂浜」の歌でも名高い月の景勝地だが、岬の岩礁は大きな台風による破損も多く、幾度となく修復工事がされている。
桂浜の小高い丘の上には坂本龍馬の銅像が、太平洋の彼方を見つめるように建っている。高さ5.3m、台座を含めると13.5mと高い。

桂浜
桂浜
桂浜の龍馬像
桂浜の龍馬像

桂浜の岩上から太平洋と神社
桂浜の岩上から太平洋と神社
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桂浜の海を見晴らす遊歩道と祠
桂浜の海を見晴らす遊歩道と祠

●坂本龍馬記念館

もう一つの見どころ、桂浜の浜の上からガラス張りの斬新なデザインの建物が飛び出すように建つ記念館は、大海原に乗り出す船をイメージしたという。
地下2階から地上2階まであり、常設展示は龍馬の手紙などを中心に遺品などがある。とくに目を引くのは、龍馬とお龍が持っていた22口径ピストルと姉の乙女宛の手紙、海援隊規約、京都近江屋で斬殺されたときの龍馬と中岡慎太郎の血痕のついた屏風や掛け軸などであろう。
/入館料 500円、TEL 088-841-0001

坂本龍馬記念館
坂本龍馬記念館
龍馬記念館は浦戸城跡にある
龍馬記念館は浦戸城跡にある

●岩崎弥太郎旧邸

近代日本の経済をリードしてきた三菱財閥の創始者である岩崎弥太郎の生家。高知市街より約40km東、現在の安芸市にある。天保5年(1834)地下浪人(郷士の株を売って居ついた浪人)に息子として生まれ、幼いころから文才を発揮、14歳の時には、すでに土佐藩主・山内豊照に漢詩を披露したり、書を講じて褒美をもらったりしたという。
吉田東洋の「少林塾」に入門、やがて江戸に遊学するが、わずか1年で帰郷して土佐藩の商社「土佐商会」長崎駐在員となった。長崎で当時「海援隊」を結成していた坂本龍馬のもとで、会計役として活躍する。

岩崎弥太郎生家
岩崎弥太郎生家
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正面から見る生家
正面から見る生家

裏手の倉には三菱
裏手の倉には三菱
岩崎弥太郎殿、直々のご案内
岩崎弥太郎殿、直々のご案内

今回のドラマはこの岩崎弥太郎が後年、幕末の龍馬を回想するという設定ということを、脚本家福田靖さんが雑誌に書いていた。
茅葺き屋根で木造平屋造りの質素な母屋に土蔵などが復元されている。白壁の土蔵には三菱のマークの元となった岩崎家の家紋が残されている。明治維新後「三菱商会」のマークに藩主山内家の三葉柏と岩崎家の三階菱の家紋を合わせて作られたもの。50歳で亡くなった後、弟の弥之助に引き継がれ、今日に至っている。
/入場料 無料

●野良時計と岩崎弥太郎像

弥太郎が育った地には、今も古い町並みも残されている。そこには120年前という時計台もある。このあたりの地主であった畠中源馬が農作業する小作人たちのために手作りしたもの。
生家は、安芸駅から4km北の山の麓にあるが、弥太郎像は駅から徒歩で3分の江の川公園内に建つ。岩崎弥太郎没後150年の記念だ。三菱財閥を築いた迫力と自信に満ちた、堂々たるものである。
安芸には古い町並みも残る
安芸には古い町並みも残る

野良時計
野良時計
生家近くの公園にある岩崎弥太郎像
生家近くの公園にある岩崎弥太郎像

●中岡慎太郎館

中岡慎太郎は、現在の安芸郡北川村の庄屋の長男として生まれた。龍馬とともに日本中を奔走し、明治維新のために尽力をし、そして龍馬とともに京都で刺客に襲われ、わずか30歳で生涯を終えた。
彼の生涯や業績を紹介する資料館は、岩崎弥太郎家からさらに室戸岬へ向けて約20km、奈半利町から国道493号線をたどった北川村にある。資料館は休館中だったが、復元された茅葺き屋根の生家と、遺髪を埋葬した墓地などもある。
なお室戸岬には高い台座の上に海を臨む中岡慎太郎の像が建つ。昭和10年(1935)に建てられた像は、桂浜の坂本龍馬と向き合っているといわれている。
復元された中岡誕生の家
復元された中岡誕生の家

中岡慎太郎館
中岡慎太郎館
中岡慎太郎の墓。遺髪が埋葬されている
中岡慎太郎の墓。遺髪が埋葬されている

陸援隊隊長・中岡慎太郎はここ安芸郡北川村柏木で生まれた
陸援隊隊長・中岡慎太郎はここ安芸郡北川村
柏木で生まれた

中岡慎太郎銅像(柏木)。室戸岬にも似た像がある
中岡慎太郎銅像(柏木)。
室戸岬にも似た像がある




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高知の観光ガイド「よさこいネット」
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高知市観光協会
「龍馬イベント」や「よさこい祭り」の情報、高知市内や周辺のみどころ、宿泊施設などを紹介している。

取材:2009年12月

※ドライブコースの情報はそれぞれの記事の取材時点のものです。