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三重・和歌山の旅(後編)



熊野信仰と高野山

熊野信仰とは、平安時代後期から鎌倉時代にかけて、俗化した既成宗教に飽き足らなくなった皇族・貴族たちが、厳しい山岳信仰に現世の救いを求め、現世極楽にいたる険しい山谷を越えていったもの。
本宮町に鎮座の「熊野本宮大社」、新宮本新宮に鎮座の「熊野速玉大社」、那智勝浦に鎮座の「熊野那智大社」を称して熊野三山といい、上皇や皇族、公家といった皇族、貴族の信仰であった熊野三山はやがて身分の差もなく老若男女の信仰も許され庶民へと広がっていった。江戸中期には街道は蟻の行列「蟻の熊野詣」とたとえられるほど、人々は熊野三山へと向かった。

熊野神社本宮は明治の大洪水で山の上に移転している 京都の下鳥羽から淀川を下り紀伊半島を西海岸沿いの海辺や山中を南下、白浜の北あたりから現在の国道311号線沿いの山中の道に分け入り熊野本宮へ。本宮からは熊野川を船で下り新宮、那智大社を巡り、那智の背後の山づたい大雲取、小雲取の険路を越えて、再び本宮へ戻り、もと来た道を辿って帰路についたという。
熊野詣の難行苦行の道のりそのものが修行でもあった。街道沿いには「熊野九十九王子」といわれる社が設けられ身分の高い人たちの休憩所としての役割をしていた。現在も王子社とその跡が多く残っている。

いまはこの街道は「熊野古道」として苔むした石畳の道が山中に多く残り、史跡とともに世界遺産への登録をしている。
ここではドライブ旅行ということもあって、熊野三山へは南紀那智から本宮へ熊野川を遡り、徒歩道の熊野古道を部分的に探索した。本宮からは高野山を経て和歌山市へと出た。

一方、高野山は唐で正統密教を極めた空海(弘法大師)が弘仁7年(819)に開いた真言宗の聖地。標高約900m、周囲を山々に囲まれた中に120もの寺院があり、弘法大師の廟をはじめ、戦国時代の武将や知識人などをはじめ20万基を超える墓石がある日本一の墓所などみどころが多い。
このコースは車を止めて歩くことも多く、寺院への参拝や建築、美術品などの見学をする人はたっぷり時間が必要だ。また山中は道路事情もよくないのでドライブ中の注意はもとより、かなり時間がかかることも頭に入れておきたい。





<コース>
那智勝浦−(国道42号線)−那智大社−熊野速玉大社−(国道168号線)−熊野本宮大社−川湯温泉−(国道425号線)−龍神村−(高野龍神スカイライン)−高野山−(国道24号線)−和歌山市
全行程 約260km

ルート付近のリンクポイントをクリックしてみてください

<ルート付近のリンクポイントをクリックしてみてください>



●那智の滝と熊野那智大社

JR那智駅前から那智川にそって約8km、大型観光バスが行き交う山道だ。

鬱蒼とした杉林の先に那智の瀧が落ち込んでいた
鬱蒼とした杉林の先に
那智の瀧が落ち込んでいた

「那智四十八滝」といわれるほど那智山に多くある滝の中でも那智滝は一番だ。高さ133m幅13m、滝壺の深さは10mもある。
昼なお暗い原生の大樹の中、長い階段を下るとゴーッという音とともに絶壁から水しぶきを上げて落下する大滝は迫力がある。もっと間近に滝を見たい人は那智大社の別宮飛瀧神社の奥にある“お滝拝所”へ。ただし300円の拝滝料がいる。
那智山の信仰は、この大滝を神聖として崇めたことからはじまった。瀧籠りや山籠りを修行とする修験者たちの集まるところとなり、やがて堂社が多く建ち、11世紀ころには熊野三山の一つとなった。

●熊野速玉大社

熊野川の袂、国道42号線脇に鎮座する社で、古くから神の宿るところと信じられた霊域。“速玉”とは古代、黒潮の怒濤に飛沫を上げて乗り切ってこの地にやってきた人々が、その飛沫を速玉と呼んだとも、また速玉には「魂の急速な生成」という意味のほかにもいくつかの由来がある。
一方の地を新宮と呼ぶのはもとは神倉山に鎮座していた神を、現在の場所に移したことによるものといわれている。
その神倉神社には小さな社殿がある。緑の森に朱塗りの社殿は厳かな雰囲気がある。
2月6日の夜、白装束に荒縄の帯、ワラジ姿の男たち千数百人御神火を手に神倉山をかけ下る「お燈祭り」は勇壮な男のまつりだ。秋に行われる早船の競漕も有名なまつりだ。

●熊野古道

これより熊野本宮へは那智山を越え大雲取・小雲取を越えて約40kmの山道。これが「熊野古道」だ。
かつての道が平成11年、南紀熊野体験博を機会に整備された。途中、茶屋跡や旅籠跡などの史跡をみながら現在はハイキングコースとしてもなかなかの人気だ。中高年の人に交じって若い女性も古道を楽しんでいる。
車道は新宮へ戻って、そこから熊野川を上る国道168号線だ。
苔むした熊野古道
苔むした熊野古道

悠々と流れる熊野川
悠々と流れる熊野川
和歌山県は森林の国、とくにいま放映されているNHK朝の連続ドラマの舞台でもある熊野地方は豊かな自然林も多く、熊野川に流れるいくつもの支流とともに美しい風景を見せてくれる。

「借金をしても売らずに山を守ってきたが・・・」息子の病気のために山を売る決心をした主人公のおじいさんの話が胸を打つ。個人で守りきれない山が売られ樹木は伐採されていく、そんな光景が浮かぶが熊野の山はまだ健在だ。
まだ開発の手の伸びない国道沿いで、偶然にもこのドラマのロケ撮影現場(多分)に出会った。といっても狭い道のカーブ地点の脇でのこと。車を止めるのは遠慮したが、滝に身を打つシーンなのだろうか、主人公の少女が小さな滝の中に・・・。11月、紅葉も終わろうという季節、女優さんも大変なことだと思いながら川湯温泉へと急ぐ。

●川湯温泉

川湯の千人風呂はいまでは冬の風物詩(11月〜2月)として有名になっている。
熊野川の支流大塔川、その川底から湯がわき出るのを利用して、川をせき止めて巨大な露天風呂を作り上げたのは9年前。地元の温泉旅館のアイデアだという。
年によって大きさは異なるが、だいたい長さが50m、幅15mという大きな風呂ができあがる。水量の少ない冬の時期に限られるが、温度を42度に保つため天候によって入浴不可能なこともある。
千人風呂は“仙人”と看板にはあった
千人風呂は“仙人”と
看板にはあった


冷たい風の中、満月や星空の下、プールほどの大きな湯につかって自然の中で手足を伸ばすのは、この上もない解放感が味わえる。料金は無料だが、飲酒やその他、他人に迷惑になるようなことは禁止だ。
混浴だが、水着着用はOK。近くには「川湯野営木魂の里」というキャンプ場があり、河原を掘れば、温泉がわきでるところ。自作の露天風呂が楽しめる。
問い合わせ/本宮町観光協会 TEL 0735-42-0735

●熊野本宮大社

熊野神社の階段は急で長い
熊野神社の階段は急で長い
熊野三山の中心、熊野本宮大社は門前町として古くから栄えてきた。かつては音無川、熊野川、岩田川の合流する中州に鎮座していたが、明治22年8月の大洪水により社殿は水没、または流失し、その2年後12柱の神々のうち上社4社殿が現在の高台に移された。だが旧社の8分の1の規模だという。

国道に面した鳥居から杉の木立が被う石の階段を上ると、奥には移築された重要文化財の4社殿がある。
熊野大社3社の共通の祭神である主神の家津美御子大神(スサノウオノミコト)をはじめとする神々が鎮座。いまでも多くの人々に信仰されている。

本宮の鳥居前の茶屋に立ち寄ると、10年ほど前に「ここまで水がきた」と店の鴨居まで水に浸かった跡を見せてくれた。100年後に襲った洪水の跡だった。
その河原に広がるかつての旧社地大斎原に平成12年に、この熊野信仰の原点地から世界平和を祈願しようと日本一の大鳥居が建てられた。高さ34m、笠木と呼ばれる最上部の幅はなんと42mもある。
熊野神社本宮は明治の大洪水で山の上に移転している
熊野神社本宮は明治の大洪水で
山の上に移転している



旧熊野神社本宮に新設された大鳥居
旧熊野神社本宮に新設された大鳥居

●大自然の中の国道425号線

本宮町から北、五条市へ向かう国道168号線は熊野川支流の十津川を遡る。はるか清流の流れる峡谷を見下ろしながら、国道はうねうねと続く。
11月上旬、折しも見事な紅葉の盛り。梢越しにダム湖を見る。青く光る湖水の周りは五色に彩られていた。
観光道路ではないため見晴らし台やパーキング場などはなく、ゆっくり紅葉見物とはいかない。その上ガードレールも完備されていないところもあって脇見運転は危険だが、スピードの落ちた車窓に映る風景だけでも楽しめる。
20kmほど走り、五条市への道と分かれ、高野山への標識を辿る。

これより龍神村まで56km。山また山の縁に続く長い長い道のりだ。国道とは名ばかりの狭い道で対向車とのすれ違いのため、ときどき道幅がふくらんでいるだけ。舗装はされているが凸凹で小さな橋のほとんどはコンクリートは崩れ、鉄橋は錆びて壊れている。
だが、驚いたことに56kmの間に数ヶ所ある公衆トイレは立派な建物で水洗だ。民家は数件だけ。住人は老人しかいないというある集落に、身体障害者用の真新しいトイレがあった。しかし、急な斜面の階段を利用しなければならない。スロープをつくるには、あまりにも狭い谷間なのである。
民家も少なく、行き会った車は郵便車と地元の老人は乗る軽自動車だけという僻地に近い山道は熊野本宮から高野山へ向かう“高野龍神スカイライン”へと続く国道なのである。

龍神村近くの熊野路
龍神村近くの熊野路
狭いカーブの連続道は少なくても3時間は必要だが、新緑、紅葉と美しく空気は澄み、森林浴を兼ねたドライブが楽しめる。山国、和歌山にこのまま残しておきたい道でもある。運転に自信のない人は国道168号線を五条市経由、国道24号線を高野山へ辿る方がよい。

●高野龍神スカイライン

龍神村へ出ると道幅は広がりスカイラインの入り口近くには「道の駅」がある。太い木材を惜しげもなくふんだんに使った建物にレストランと檜や杉のテーブルから風呂の道具や日用大工用木材まで扱うみやげ物やがある。
裏には古川の渓谷に対岸の寺まで吊り橋がある。吊り橋の上から眺める清流に心が洗われる思いだ。
和歌山が“木の国”であることはドライブ中に納得。木の香が薫る「道の駅」はまだ真新しかった。
龍神村の吊り橋
龍神村の吊り橋

紅葉の盛りのスカイラインは週末は地元の人や高野山を訪ねた観光客で賑わうとか。錦織りなす美しい色彩の世界も、標高1,372mの護摩壇山近くまで上ると突然濃霧に包まれ視界が奪われた。道路沿いには「ごまさんスカイタワー」の展望台があり和歌山の山並みが望めるはずだったので、残念。
標高900mの高野山へと下る。全長43km、料金2,090円。

●高野山

四国巡礼、お遍路さんの最終地点は紅葉の高野山
四国巡礼、お遍路さんの
最終地点は紅葉の高野山

空海(弘法大師)が弘仁7年(816)に開いた真言宗の聖地。金剛峯寺をはじめ120の寺院が林立する1200年を越す仏都だ。
巨大な朱塗りの高野山表玄関の大門から西へ国道480号線と371号線沿いに寺や宿坊、茶屋、みやげ物やなどが並ぶ。その西のはずれに奥の院への道が続く。

スカイラインからはこの奥の院入り口前に出る。ここに大きな駐車場がある。

○奥の院

11月の日は早くすでに暮れかけた奥の院への道を行く。杉の巨木の中の参道には織田信長、豊臣秀吉など戦国時代の武将などの墓が約20万基もあり、苔むした墓石、石碑、小径や石段は1,000余年の風格がある。
参道は白装束姿の巡礼者たちが行き交う。四国霊場をめぐって弘法大師の廟へ、満願を果たした人々がいた。
弘法大師御廟、燈籠堂は信者が献じた2万個にも及ぶという燈籠が輝いている。正面には白川法皇が自ら点じた白川燈もある。
堺の豪商、油屋嘉平治の墓
徳川の間者ともいわれ
時代劇にも登場する
堺の豪商、油屋嘉平治の墓

豊臣家の墓所
豊臣家の墓所
弘法大師廟への道。ここから先は撮影禁止
弘法大師廟への道。
ここから先は撮影禁止

高野山の主な寺院を訪ね、その歴史や美術品に触れ、その上信仰の心を持つ人は宿坊などに2〜3泊するつもりでいたい。

●和歌山城

国道24号線紀ノ川に沿って約50km、和歌山市に着く。
和歌山城は天正13年(1585)紀州を平定した豊臣秀吉の弟、秀長によって築城された。元和5年(1619)徳川家康の子、頼宣が入城し、紀州55万石の城となった。以来、水戸、尾張と並んび徳川御三家の一つとして、400年の歴史を刻んできた。

和歌山城。徳川御三家、6代将軍・吉宗もこの城で育った
和歌山城。徳川御三家、
6代将軍・吉宗もこの城で育った

市の中心部にそびえる白亜の天守閣は昭和20年戦災で焼失し、現在は昭和33年の復元されたもの。
天守閣に上ると紀ノ川の流れとともに和歌山市内が見渡せる。
/TEL 073-432-0001

●紀三井寺

和歌山市内より南へ10kmほど下った和歌浦湾を前にした名草山の中腹にある四国三十三ヶ所第2番札所の寺。宝亀元年(770)に唐僧為光上人が開祖したのがはじまり。

護国院金剛宝寺が正式名だが、境内に「清浄水」「吉祥水」「揚柳水」の3つの名水が湧いていることから紀三井寺の名で呼ばれている。
急な石段を231段上ったところに本堂、鐘楼、六角堂などがある。
境内には1,400本もの桜があり、春にはこの地方でも一番早く咲くといわれている。本堂脇からは万葉のころから歌に残された変化に富んだ美しい海岸線の和歌浦湾が一望できる。
/TEL 073-444-1002
紀三井寺の鐘楼。桜も多く、娘道成寺の舞台とも…
紀三井寺の鐘楼。桜も多く、
娘道成寺の舞台とも…





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龍神村
村の概要や龍神温泉、護摩壇山、高野龍神スカイラインなどのみどころ紹介。
熊野那智大社
由緒や年中行事、「那智の火祭」の説明など。
熊野速玉大社
社殿案内図や宝物の解説、行事・祭礼の紹介など。

取材:2001年11月