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鎌倉に北条時宗を訪ねる



時は1251年〜1284年、日本の中世といわれる時代、わずか14歳で政治の表舞台に出、34歳の若さでこの世を終えた武将北条時宗の世界がこの鎌倉である。元寇(蒙古襲来)という日本史はじまって以来の大事件の中で苦難の連続の生涯を日本史が大きく変わろうとした時代。その歴史がいまNHKの大河ドラマで放映中とあって時宗ゆかりの地は、おおいに活気づいていた。

チンギスハーンの孫、フビライハーンによる大都(現、北京)建設、中国史ではじめて華北と江南をつなぎ西アジアや内陸アジアの交易も盛んになるとともに、交通網や商業網の整備が進みネットワークが形成されていった。その中で日本との交易も活発となった。
やがてフビライは高麗を巻き込み日本への侵攻を開始する。圧倒的な兵力、技術の前に日本勢が苦難する中、二度にも及ぶ攻撃にも自然の猛威、台風が味方し蒙古軍が敗退。
時宗の死後も1294年フビライハーンが死去するまでの間、日本は蒙古による攻撃の危機にさらされたのである。

源頼朝が都としてからの鎌倉は発展とともに戦火、飢餓そして疫病に苦しむ人々の歴史でもあった。北条時宗の時代を中心に往時を偲びながら、いままた、ゆっくり歩いてみよう。花、新緑、紅葉と季節を問わず、いつでも散策を楽しめるのも鎌倉の魅力である。





東京−(第三京浜国道)−新保土ヶ谷IC−(横浜横須賀道路)−日野IC−(県道29号線)−北鎌倉
全行程 約100km、日帰り。




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●円覚寺

横須賀線北鎌倉駅に隣接し、あまり広くはないが円覚寺専用の駐車場もある。
鎌倉五山 の第二位の臨済宗円覚寺派の大本山。禅寺としても名高い。
弘安5年(1282)年、宋から招いた無学祖元が祖国へ帰りたいと訴えたことから時宗はその思いをとどまらせること、また蒙古襲来の戦没者を弔うためこの寺を祖元を開山に建造。父時頼の建立した建長寺に匹敵する大寺院だ。
のちに震災などで創建当時の伽藍などは焼失したが、江戸幕府による再建や修復などで、境内全域が国の史跡に指定されている。
その中でも舎利殿は国宝であり、書画や工芸品など文化財も多い。
広い境内は鬱蒼とした杉林や広葉樹、落葉樹に囲まれ、新緑はもちろんのこと、とくに秋は燃えるような紅葉が境内に彩りを添える。

白鷺池はかつては境内だったが、明治22年(1889)の横須賀線開通に伴い分断された。池にかかる石橋を渡ると円覚寺の山門だ。

○山門

天明3年(1783)の再建だが、夏目漱石の「門」や川端康成の「千羽鶴」、立原正秋「残りの雪」などの舞台にもなっている。
新緑と6月のあじさい、11月の紅葉は見事である。

○仏殿

昭和39年、「仏殿指図」にしたがって再建された。
いまは鉄筋コンクリートだが、唐様神宗様式の荘厳な雰囲気を残す。正面の「大光明宝殿」の額は後光厳天皇の筆。
堂内には本尊の宝冠釈伽如来座像をはじめ、梵天像、帝釈天像など鎌倉時代の像などが安置されている。
現在も毎朝暁天座禅会が開かれており、誰でも参加できる。(無料)
仏殿に隣接する選仏場・居士林は元禄12年(1699)建造の座禅道場で毎週土、日曜の17時から座禅会が行われていて一般参加が可能だ。

○舎利殿

永続6年(1563)、円覚寺庭園の奥にあった建造当時の建物は焼失、現存するのは室町期に太平寺の客殿を移籍したもので、鎌倉で唯一の国宝建築である。
一般公開はされていないが、正月と11月の宝物風入のとき舎利殿の外見が公開される。普段は表門を通して建物の一部をみることができる。

○仏日庵

境内の奥に茅葺きの簡素な堂があり、中央に時宗、貞時、高時と北条三代の木造が安置されている。ここは時宗の廟所だ。

○洪鐘(おおかね)

山門の近く墓地脇の急な石段を登る。
鎌倉の三名鐘 の一つで国宝でもあるこの鐘は、正安3年(1301)、貞時が蒙古襲来で人心が乱れたことに心を痛め、国家の安泰と人々の幸福を祈願して造らせたもの。
父時宗はこの円覚寺建設の2年後に突然の病によりあっけなくこの世を去ったが、その子貞時は「風調雨順 国泰民安」と鐘に刻み、泰平の世を願った。
一軒の茶屋があり、ここから鎌倉の家並みと緑の山が見渡せる。
/拝観料 200円、駐車料金 1時間600円、TEL 0467-22-0478

●東慶寺

円覚寺から県道21号線(鎌倉街道)をはさんだ西側に、ややもすると見落としそうな間口の狭いところ。ただ奥行きは広い。
鎌倉にあった尼五山のうち現存するただひとつの寺。時宗の夫人覚山尼が弘安8年(1285)尼寺として開山した寺。
尼寺らしくこぢんまりとした本堂といくつかの庵からなり、境内はよく手入れされた梅の木と背丈の低い樹木に覆われ静かな佇まいをみせている。
女性からの離婚が許されなかった時代、この寺に駆け込むことによって妻からの離婚が認められたという。別名「縁切り寺」とも呼ばれている。
ただし、明治36年(1903)には男僧の寺となった。
/拝観料 100円、TEL 0467-22-1663

東慶寺と県道を挟んだ奥にある明月院は時宗が建てた禅興寺で北条時頼の墓がある。
また、アジサイ寺として観光客に人気の寺だ。見頃は6中旬〜7月上旬にかけて。石段の両脇にあるアジサイのさまざまな色彩は見事で、シーズンには新聞やテレビでも紹介される。他にハナショウブも有名で開花時には本堂裏の庭園が特別公開される。
/拝観料 300円、庭園入園料 500円、TEL 0467-24-3437

この二つの寺には駐車場がないので、円覚寺、建長寺などの駐車場を利用したい。

●建長寺

鎌倉五山 第一位の臨済宗建長寺派の総本山。正式には巨福山(こふくざん)建長興国禅寺という。
建長5年(1253)北条時頼(時宗の父)が宋の禅僧 蘭渓道隆を招き開山、創建した。
1,000人もの禅僧が修行したこともあるというこの寺は、中国宋時代の厳しい禅をそのまま取り入れた我が国はじめての禅寺でもある。
この場所は当時地獄谷と呼ばれ、処刑場のあったところ。総門、三門、仏殿、法堂などが一直線に並ぶ宋時代の典型的な禅宗様式であった。
その後度重なる震災で建物は焼失、現在の建物はほとんどが近世に再建されたもの。

○梵鐘

円覚寺の洪鐘と並んで 鎌倉の三大鐘 の一つ。
三門のすぐ脇にある茅葺き屋根に吊された高さ2mの鐘は、建長7年(1255)北条時頼が大和権守 物部重光に鋳造させたもの。国宝に指定されている。

○仏殿

仏殿は寛永5年(1682)徳川二代将軍秀忠夫人の霊廟を正保4年(1647)に現在の東京芝増上寺から移築したもの。
現在は工事中なので時代の雰囲気が感じられないのは少し残念だ。
仏殿の周りにある7本の古木柏槙(びゃくしん)の一部は建長寺を開山した宋の僧蘭渓道隆が中国から持ってきたものと伝えられている。
古木の中には創建当時から750年もの歳月を経ており、一番古いとされる木は幹の太さが7mもあり市の天然記念物にも指定されている。

○法堂 唐門

堂内には千手観音が安置されている。
また、源頼朝が富士の巻狩りのときに使ったという大太鼓も保存されている。
国の重要文化財である唐門は、徳川秀忠の夫人の廟門を増上寺から移築したともいわれている。
その他、信徒の法要や儀式を行う方丈には寺所蔵の重要文化財などが一般公開されている。
境内ではいまは梅の季節、大樹 柏槙の周辺には白梅が花を咲かせていた。3月のボケの花、4月の桜、5月のボタンやサツキ、それに6月にはアジサイと訪れる人を楽しませてくれる。
/拝観料 300円、駐車料 1時間500円、TEL 0467-22-0981

●宝戒寺
鶴岡八幡宮にほど近いところにある。北条氏を慰霊するため北条氏の屋敷の跡に建てられた寺。
いまは萩寺として名高いが境内には見事な梅の木(写真左)がある。
鬱蒼とした樹木の中にはリスの姿が沢山あった。
受付の人に尋ねると「台湾リスで、もとは江ノ島の小動物園から逃げたもので、この10年ほどの間に急激に増えた」という。真偽のほどはわからないが、台湾リスは冬眠しないので季節を問わず鎌倉の神社仏閣などにすみついたそうだ。
観光客にとっては可愛いリスだが、大切な文化財も被害を受けて困っているのだという。
/拝観料 100円、駐車場なし(近くに時間貸し駐車場あり)

○源頼朝の墓

宝戒寺から金沢街道を約500m。
“岐れ路”の交差点の手前の路地を入る。その大倉山の中腹に高さ2mほどの石塔が、正治元年53歳でこの世を去った頼朝の墓がある。
鎌倉を興した頼朝の墓としては意外に質素である。国の指定跡だ。駐車場はない。
ここから徒歩500mほどの鎌倉宮の市営駐車場を利用したい。

●鶴岡八幡宮

康平6年(1063)、源頼義が奥州を平定した戦勝御礼に、現在の材木座に京都の石清水八幡宮を勧請し、鶴岡若宮と称したのが神宮の始まり。
その後、頼朝が治承4年(1180)社を現在のところに移し、八幡宮に参詣し源氏の守護神となった。
若宮大路から鳥居をくぐり参道に入ると、両側にひょうたんの形をした源平池がある。
源氏池の中に浮かぶ島には治承4年(1180)の源頼朝の旗揚げのとき弁財天の霊験があったということから弁財天神社が祭られている。
広い境内には本宮、若宮、舞殿などがあり、頼朝の時代から江戸時代までの歴史が刻まれた重要な文化財がぎっしり詰まっている。

●甘縄神明神社 北条時宗産湯の井

和同3年(710)に創建された鎌倉最古の神社。
長谷寺から鎌倉文学館前のバス停近くの狭い路地を入った、民家の中に隠れそうなところに、この神社はある。
なんの変哲もない古い社は急な石段を上ったところにある。その石段の途中、小さな祠のようなものが新しく造られ「時宗の産湯の井」とあった。
この界隈には時宗の祖保の松下禅尼の実家である安達泰盛の屋敷があり、時宗はここで生まれた。

鎌倉時代は地球規模の寒冷期であり、冷夏、台風、大洪水などの災害に見舞われた。
日本、とりわけ鎌倉は戦乱の世でもあった。町は食べ物を求めて彷徨う人々、武士間の抗争が町を焼き、町には屍の山をみる。地獄の恐怖の中、人々は観音菩薩を渇望し、諸派仏教や地蔵、観音信仰それに名執権の登場を願った。
そして、北条泰時、時頼の両執権の武家政治確立によりつかの間の平和が訪れ、鎌倉は急激に都市化していった。このとき若宮大路を中心に都市整備が行われ、鎌倉を京都に並ぶ中世都市を目指した。しかし、再び蒙古襲来という危機を迎えるのだった。

こうしてわずかばかりでも歴史を知るだけで、いま歩いている鎌倉の遠い昔を不思議なほど身近に感じ、再び訪れたくなるのが旅の面白さである。



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取材:2001年2月