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ギリシャ イオニア海・レフカダ島
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)生誕の島

ドライブライン

イオニア海のビーチ ギリシャの北西部、イタリアに近いイオニア海の南北に連なる大小5つの島とその周辺に点在する島々をイオニア諸島という。長い間トルコに支配された後、ヨーロッパ列強の傘下となりイギリスの植民地時代を経て、ギリシャ領となった。エーゲ海の島々とは異なる雰囲気を持つ。
なかでもアルバニアと国境を接するケルキラ(KerkiraまたはコルフCorfu島)という人口約10万人の島は西欧文化の色濃く、ヨーロッパ各国から空路や航路で結ばれ、とくにイギリスのリゾート地として親しまれている。
また、古代ローマのアッピア街道とアテネを結んだ島でもあり、ケルキラの港はいまでもイタリアの港ブリンディシュとギリシャのパトラ港へのフェリーの中継地でもある。


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<コース>
レフカダ(Lefkada)

ルート付近のリンクポイントをクリックしてみてください

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●レフカダ(Lefkada)島

イオニア諸島の一つ、レフカダ(Lefkada)島はアテネ北西約400km、本土とはたった30mほどの運河で隔てられているだけだが、交通の便は悪い。
数キロ離れた対岸の本土にアテネから一日一便やってくる小さな飛行機に頼るか、陸路や航路を利用する事になる。しかし、島の地形は厳しく、周囲約50kmの島の最高峰標高1,120mの山から連なる山岳地帯には教会や修道院がいくつもある。
島の東側の海は穏やかでリゾート地として賑わう。イオニア海に面した西側は山が海岸線まで張り出し、僅かな入り江にビーチパラソルが並ぶ。また北と南は風が強く、ウィンドサーフィンやカイトに引かれたサーフィンを楽しんでいる。小さな島だが、変化に富んだ観光ができる。
カイトで風を受け、サーフィンを楽しむ
カイトで風を受け、サーフィンを楽しむ

●ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)生家

運河の橋が本土と結んでいる。右に延びるのは中世の城塞
運河の橋が本土と結んでいる。右に延びるのは中世の城塞

中央水路の先が橋。右は本土の山
中央水路の先が橋。右は本土の山
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紀元前31年、クレオパトラとアントニウス対オクタビアヌス(後の初代ローマ皇帝アウグストゥス)の天下分け目の戦い「アクティム海戦」の現場であるニコラウスから約10km西にレフカダ島に渡る橋がある。
島というのが嘘のようにたった30mの運河は船を並べた鉄製の橋でつながっている。その橋のたもとには中世の城塞跡。橋を渡ると長い堤を通って町に入る。北部にあるこの町の名もレフカダで、人口約2万人の島唯一の繁華街であり行政地区である。

レフカダへの堤防道路
レフカダへの堤防道路
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レフカダ市の中央通り
レフカダ市の中央通り

レフカダの港に面した公園にはハーンの顕彰碑と胸像が立つ。
1933年、当時のアテネ日本ギリシャ協会及び日本の“八雲会”(八雲の弟子たち)が協力して顕彰記念碑を建てたが、1948年地震で倒壊。1984年に再建、その3年後、松江市やハーンの終焉地、新宿区・大久保などによって顕彰碑の上に胸像が飾られた。

小泉八雲の像(レフカダの公園)
小泉八雲の像(レフカダの公園)
レフカダの図書館に保管されるハーンの本
レフカダの図書館に保管される
ハーンの本


旧市街地の狭い路地の中にハーンの生家があるということで、地元の人に尋ねながら探した。「ハーンの父はイギリスの軍医であり、母はキテイラ島の由緒ある裕福な娘」といわれ、軍医の勤務地レフカダでハーンが生まれたという。
明治時代に日本で教鞭をとり「日本雑記」、「霊の日本」や「怪談」などを出版、世界に当時の日本を紹介したラフカディオ・ハーン(小泉八雲)だが、その出生地レフカダ島では、ほとんど知られていない。そこで、図書館を訪ねた。館員は文献などを示しながらハーンの生家を教えてくれた。

レフカダの中央広場(ハーンのいた路地はこの左奥)
レフカダの中央広場
(ハーンのいた路地はこの左奥)

小泉八雲は幼少の頃、この路地裏にいた
小泉八雲は幼少の頃、この路地裏にいた

旧市街の長屋の一角で小さな部屋だったようで、近くに住む人も、何処がハーンの住居だったかはっきりとは知らず「このあたりだよ」というだけだった。ハーンはここで2年を過ごし、父のもとアイルランドに渡り、19歳でアメリカへ。新聞記者を経て日本で生涯を終えたのだから、この島との縁は薄かったといえよう。
日本ではハーンだが、ここではヘルンと呼ばれていて、住居のあったあたりの小径に、八雲会が作った日本語のペナントには「遍るんの路」とあった。

中央広場の角にはコイズミの名があった
中央広場の角にはコイズミの名があった
日本人が作った表示「ヘルンのミチ」と読むのだろう
日本人が作った表示
「ヘルンのミチ」と読むのだろう


ベニスみたいな橋がレフカダにはあった
ベニスみたいな橋がレフカダにはあった
マグロもゴロンと転がるレフカダの魚屋
マグロもゴロンと転がるレフカダの魚屋

●海運王オナシスの島

レフカダの町から東海岸を辿る。対岸に本土の山々を眺める湾沿いの穏やかな海辺が続く。20kmほどでこの島最大の観光とリゾートの町ニドゥリ(Nidri)に着く。
本土との間に小島が点在する風光明媚な海岸線で、ホテル、土産屋やレストランが建ち並び、港からは島々を回る遊覧船も発着している。とはいってもすべての規模は小さく田舎の海水浴場といった方がぴったりするかも知れない。
この海岸に丸く絵を描いたような半島があり、その半島の先端にはオナシスの住居があったという。現在は立ち入り禁止となっている。
「以前はミコノス島に住んでいたが、観光化したため、この静かな入り江の海に来た」と住民が教えてくれた。

ニドゥリのビーチ
ニドゥリのビーチ
ニドゥリ海岸にはレストランが並ぶ
ニドゥリ海岸にはレストランが並ぶ

海運王と呼ばれたアリストテレス・オナシスは1900年トルコの地中海沿岸で生まれたギリシャ人。10代のころから金融や商業に長け、やがて海運業で成功。とくにエネルギーが石炭から石油に変わったとき、スーパータンカーで“オナシス帝国”を築く。
後に元アメリカ大統領故ケネディの未亡人ジャクリーンと結婚、世界を驚かせた。しかし、私生活ではかならずしも幸せではなかったというオナシスは1975年パリの病院でこの世を去った。
オナシスの住んだ半島のレストラン
オナシスの住んだ半島のレストラン

ギリシャを旅していると「昔、船乗りだったころ日本へ行ったよ」と片言の日本語や英語で、神戸や長崎などの港を懐かしそうに話す老人に出会う。多くがオナシスの船に乗っていたという。

●島の南端

島一周の幹線道路から延びる道は、狭いカーブの急坂が続く。断崖のはるか眼下には大小の入り江があり、そこには白い砂浜とエメラルドグリーンの海が広がっていた。ごく少数のヨーロッパ人や地元の人しか来ないという美しい浜だ。たいていは小さなレストランまたはサンドイッチや飲み物を売る売店があり、カラフルなビーチパラソルやデッキチェアを無料で貸してくれる。

夕暮れの海辺のレストラン
夕暮れの海辺のレストラン
リグニア村のレストラン
リグニア村のレストラン
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島の南端には、紀元前6世紀後半、古代ギリシャで活躍した女流詩人サッフォーが失恋を苦に身を投げた断崖がある。その場所は確認できなかったが、トルコ国境に近いエーゲ海のレスヴォス島の出身のサッフォーが、イオニアの海で自ら生涯を閉じたところとは、にわかに信じがたかったが、ここは世界で最も美しい海の一つでもあることから思わずうなずいた。

イオニア海のビーチ
イオニア海のビーチ
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上の2匹、呼び名は覚えやすいバカヤーロ
上の2匹、呼び名は覚えやすいバカヤーロ

ブドウ、レモン、オリーブが主要産業で、漁業も盛んなレフカダ島はホロメスの「オデッセイア」の故郷といわれるイタケもこの島であったという考古学者もいるとか。ローマからアッピア街道を経てアテネへの道すがらさまざまな旅人が、このエメラルドグリーンの海に囲まれた小さな島へ立ち寄ったことだろう。



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ギリシャ中部都市ラミアからイオニア海へ(2005/7)
特別編・ギリシャ写真集 夏のエーゲ海(2003/6)


ギリシャ政府観光局
旅の基本情報はじめ観光スポットやギリシャ料理の紹介、主な遺跡や博物館のリストなどが掲載されている。

取材:2005年7月