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フランス中南部の町クレルモン・フェラン
(第一回十字軍ゆかりの地)

ドライブライン

教会の塔が見える苔むした小道 オーヴェルニュー地方きっての大都市でリヨンの西方180kmに位置する。フランスを代表する工業都市でタイヤメーカー“ミシュラン”の本社がある。また哲学者パスカルの生れたところとしても知られている。
宗教会議が何度も開かれた古い町クレルモンと11世紀につくられた町モンフェランが1731年に合併、という古くて新しい町だ。

ガリアの要塞の跡にローマ人が建設、11世紀の初頭にはクレルモン会議と呼ばれた教会会議が開かれた。そこで教皇ウルバヌス2世によって第1回十字軍が呼びかけられ、翌年にはエルサレムへと向かった。
かつてのクレルモンには12世紀のロマネスク建築の傑作ともいわれるノートル・ダム・デュ・ポール教会や13世紀のゴシック様式の大聖堂などがある。またモンフェランには古い町並みが残る。


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●クレルモン・フェラン(Clermont-Ferrand)

ドームへの自動車道路は雪解けまで閉鎖
ドームへの自動車道路は雪解けまで閉鎖
ドーム型の山、ピュイ・ド・ドーム(Puy・de・Dome、標高1,465m)を中心とした火山群に囲まれた町は、冬のいま気温はマイナス5度以下の日も珍しくない。
雪をかぶったピュイ・ド・ドーム山は町のどこからも眺められる。古代ローマ人が残した道がハイキングコースとなって残っている。雪のない季節にはクルマでその頂きまで上れるが、5月まではクルマは通行止めだ。

このドーム山を中心に見渡す山々は、オーヴェルニュ地方を貫くマシフ・サントラル(中央山地)と呼ばれている。
いまは死火山となっているが、かつての火山活動でせき止められた川が大小いくつもの湖をつくり赤茶けた山や黒ずんだ岩の独特な景観を見せている。
近くには日本でも売られているミネラルウォーター「ヴォルビック」の工場がある。
そんな自然に恵まれた位置にあるクレルモン・フェラン郊外のイベント会場から、今年のパリ・ダカールラリー(通称パリダカ)は195台のオートバイと四輪142台、トラック63台が賑やかにスタートしていった。

パリダカ出発前、増岡のトークショーは大人気
パリダカ出発前、増岡のトークショーは大人気
いざパリダカへ。増岡は元気にスタート
いざパリダカへ。増岡は元気にスタート

●クレルモン(Clermont)

○ノートルダム・デュ・ポールバジリカ聖堂

旧市街の狭い通り沿いの奥にひっそり佇む聖堂は12世紀建造の典型的なロマネスク様式の建物だ。
黒ずんだ石の階段を下り木造に皮の張られた重い扉を開けると暗い内部に入る。目が慣れてくると次第に空間が広がり淡い光の中に祭壇の周りや石柱に掘られた保存状態のよい彫刻などが見えてくる。観光客のほかに礼拝に訪れる人もいるので、静かに見学したい。
農機具の人形(クレルモンで)
農機具の人形(クレルモンで)

クレルモン旧市街の町並み
クレルモン旧市街の町並み
どっしりとした石積み(ロマネスク教会の内部)
どっしりとした石積み
(ロマネスク教会の内部)


○ノートルダム・ド・ラソンプシオン大聖堂

16〜18世紀の建物が並ぶ旧市街のほぼ中央に、黒玄武岩でつくられたゴシック様式の大聖堂の尖塔がそびえている。建築は1245年にはじまり約100年を費やして一応の完成をみたが、その後、外陣と鐘楼の尖塔は19世紀になって建てられたものだ。
壁画「聖ゲオルギウスの殉教」やステンドグラスはすぐれたゴシック芸術として知られている。

クレルモンの教会
クレルモンの教会
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クレルモンのゴシック式教会の内部
クレルモンのゴシック式教会の内部

○パスカル通り

大聖堂の裏通りには1623〜62に生きたフランスの哲学者であり科学者、宗教家また文学者でもあったブライズ・パスカル(Blaise・Pascal)にちなんだ“パスカル通り”がある。パスカルの生地は大聖堂横の、いまでは商店街の一画にあり解説が書かれた表示板が立っている。
“パスカル通り”は16世紀ころの馬車が行き交ったという石畳の残る道が続く約200mの坂道だ。
通りの両側には骨董屋、古本屋、珍しいものでは古い本を修理する製本屋から昔のさまざまな仕事道具を売る店まである。
パスカルの小道には金属で彫られた直径20センチほどの顔が歩道にはめ込まれている
パスカルの小道には金属で彫られた
直径20センチほどの顔が歩道に
はめ込まれている


パスカルの小道の古本屋
パスカルの小道の古本屋
パスカルの小道に展示されている昔の製本道具
パスカルの小道に展示されている
昔の製本道具


パスカルについては読者もご存知のこととと思うが、ここで少しだけおさらいしてみよう。
パスカル自身は6歳のとき家族とともにパリに移り住んだ。自然科学の父親から教育を受けて、早くから数学の天才の才能を表していた。16歳で「円錐曲線試論」を書いて射影幾何学における“パスカルの定理”をあきらかにした。また父の仕事である面倒な計算を助けるためにコンピュータの基でもある機械式計算機を発明し製作した。
そしてもっとも有名なのは「確率論」という数学の新分野を生みだしたこと。確率論は現代も社会統計学や理論物理学などの数学的基礎手法として必要不可欠なものとなっている。

●モンフェラン(Montferrand)

1731年にクレルモンと合併する以前、すでに11世紀には人々が住みついていた町モンフェランは、クレルモンの町を囲む外周道路から約3km東にある。同じ町としては少し違和感のある小さい別の町のようにも思えるところだ。

教会の塔が見える苔むした小道
教会の塔が見える苔むした小道
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小高い丘の上に教会があり、その教会を渡り廊下のような建物で繋いだ宿屋のような建物がある。いまは1階はレストランになっている。その近くには昔の市場跡と水場があってかつての活気にみちた喧噪の世界が目に浮かぶ。
市場跡の小さな広場から四方に延びる狭い道には民家の建物がびっしりと並ぶ。城跡へと続く小道の先は朽ち果てんばかりの城壁が残っている。

モンフェランのロマネスク式教会
モンフェランのロマネスク式教会
今はほとんど使われない水場
今はほとんど使われない水場

ドームへの道にはこんなシャトーも
ドームへの道にはこんなシャトーも
シャトーへの小道、しゃれた路地名だ
シャトーへの小道、しゃれた路地名だ

1095年11月27日に教皇ウルバヌス2世が宗教会議にあつまった聖職者や大勢の民衆に向かって、軍事遠征軍「十字軍」への参加を呼びかけた。西ヨーロッパのキリスト教徒がイスラム支配下にあった当時のこと、聖地エルサレムやパレスティナの巡礼地を奪回するためにクレルモンフェランの城外で説教をし、第一回十字軍の必要性を説いたのも、いまここにある古い城壁周辺だったのではないか、など想像をかきたてられるほど古い造りの道や建物が残る町である。

モンフェランの旧市街
モンフェランの旧市街
十字軍派遣の説教もされた教会のドア
十字軍派遣の説教もされた教会のドア

かつては2つの町であったクレルモン・フェランはミシュラン本社のほかに電子部品、精密機械、科学薬品や家具、加工食品なども生産される人口約14万人の都市だ。
工場の煙や埃もあり、交通量も多く新しい町の中心部からはまったく歴史を感じるものはないが、旧市街はそのまま残し歴史を大切にするフランス人気質は、どこの地方都市にもみられる。

クレルモン・フェランの郊外
クレルモン・フェランの郊外
茅葺き農家とドーム
茅葺き農家とドーム

郊外には草葺き屋根の昔ながらの民家もあり、町の高台には時代は変わっても取り壊されることもない貴族の館がレストランやホテル、住居となって現代に生かされている。また古い土地の教会はいまも人々の祈りの場となっている。
クレルモン・フェランは世界に知られた観光地ではないが、長い歴史を刻んだ魅力的な町であった。

崖の上のシャトー
崖の上のシャトー
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谷間に教会やシャトーが美しい
谷間に教会やシャトーが美しい



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フランス政府観光局
フランスの地域別観光情報や宿泊、イベント、交通情報など。「旅の基本情報」では日本語の通じる病院も紹介。クレルモン・フェランのページもある。

取材:2004年1月