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トルコの旅(1)東部地中海沿岸

ドライブライン

山中で出会った羊飼いの老人 アジア大陸とユーラシア大陸にまたがる特異な国土を持つトルコは「東西文明の十字路」あるいは「東洋と西洋を結ぶ文化の架け橋」ともいわれ、近世まで常に歴史の表舞台にあった。
それは先史時代から古代文明へ、そしてギリシア、ローマ時代さらにイスラーム諸王朝とさまざまな文明を経て、いまEU加盟国を目指す近代国家として発展を続けている。
豊かな歴史遺産に恵まれたトルコは観光立国として、これからも一層魅力ある国としての立場を築いていくだろう。

国土の総面積は日本の約2倍、人口は約半分。気候は地域による差が激しく標高1,000〜2,000m級の山岳や高原地帯は大きな寒暖の差があり、冬にはかなりの降雪もある。黒海沿岸は降雨量も多く湿気のある海洋性気候だ。また地中海、エーゲ海に面した地域では温暖な地中海性気候と多様性に富んでいる。
今回訪れたところはトルコの西、主に地中海、エーゲ海と一部山岳地帯である。
現在この地域は海辺のリゾート地としての開発が進み、北欧諸国やドイツ人などの人気を集めている。

地中海、エーゲ海沿岸は紀元前ギリシアの植民都市、紀元後にはローマ帝国の支配を受けたところ。いまから30年ほど前、この長い海岸線づたいにクルマで旅をしたことがあった。当時は人口数千ほどのいくつかの町の他、小さな漁村や羊飼い小屋、土づくりの家々が点在、あるいはところどころに集落に行き合うだけの片田舎ばかりだった。
幹線道路以外はほとんどは未舗装で荷物を満載したトラックがほこりを巻き上げて走っていた。古代の遺跡も土や雑草の中に埋もれたままで、羊が群れ子供たちが石柱や彫刻の上を飛び回って遊んでいた。

アスベントスの劇場跡。保存状態がとてもいい 30年の歳月は多くを変えていた。土や雑草に埋もれた遺跡の大半は発掘され、出土した彫刻や土器そのほか貴重な遺産は大都市などの博物館へと運び去られていた。修復された古代都市跡などは現代の塀に囲まれゲートに守られて無料入場者を拒んでいた。周辺には観光客目当ての土産物屋やレストランが建ち並んでいた。

トルコはいま激しいインフレに見舞われている。貨幣単位は一千万、一億で、ガソリンを30リッターほど入れただけで約6,000万トルコ・リラだ。1千万リラが約700円ぐらいとわかっていても、ゼロの数の多さで驚いてしまう。それでも庶民生活の物価はヨーロッパの約三分の一程度。だが観光客相手のホテルやレストラン、遺跡や博物館などの料金はヨーロッパ並だ。観光地のホテルやレストラン土産物屋ではユーロまたはUSドルが自由に使えた。ただし割高だ。

トルコ紙幣の数字は巨額でも、実際には物価の安い国であり、人々の生活は質素でも人なつっこく、親切だ。
黒海の北からやってきた北方民族が中央部アナトリア高原の王国を築いたヒッタイトが鉄器を発明したのは紀元前2000年も前のこと。このウラル・アルタイ語族であるトルコ系オスマン・トルコが台頭し15世紀ビザンチン帝国最後の砦、コンスタンチノーブル(イスタンブール)を陥落。ビザンチン崩壊後オスマントルコ帝国を築いた。そして20世紀初頭まで続いた。

今回はこの偉大な国の偉大な歴史の一部である地中海、エーゲ海沿岸のギリシア、ローマ時代の遺跡やトルコの自然を訪ねての旅である。
文字で多くを語るより、日本ではあまり目にしないこれらの遺跡や風景をドライブの道筋を辿って写真で紹介をしたい。約半月、3,000kmほどのドライブで十数ヵ所の遺跡と美しい風景を撮影した膨大な写真の中から選んだ。これらの写真を全4回で紹介したいと思う。


サムネイル1 サムネイル2 サムネイル3 サムネイル4 サムネイル5 サムネイル6

ドライブライン

<コース>
イスタンブール(Istanbul)より空路アンタルヤ(Antalya)−ペルゲ(Perge)−アスペンドス(Aspendos)−シィデ(Side)−アンタルヤ
全行程 約200km、1泊2日

ルート付近のリンクポイントをクリックしてみてください

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●アンタルヤ(Antalya)

アンタルヤの海岸
アンタルヤの海岸
トルコにおける地中海随一のリゾート地である。海岸沿いには高級ホテルから別荘、アパートからペンションと建ち並び、ロカンタ(レストラン)やそのほかの観光施設や内容も充実、シーズンには北ヨーロッパの人々で賑わう。
近郊にはギリシア・ローマ時代の遺跡があり観光基地でもある。
今回はこのアンタルヤから海岸沿いに南約40kmにあるリゾート地ケメール(Kemer)を基点にトルコ初のWRC(世界ラリー選手権)が行われた。

ケメールのホテルからの眺望
ケメールのホテルからの眺望
ケメールのモスク
ケメールのモスク

ラリーは内陸に続く山岳地帯でチャンピオンを争うレースだ。ケメールの海岸にあるリゾートホテルから、真っ白な雪を頂く山々が望まれる。
4月から5月にかけては午前中は標高3,070mのキズラルシビリシ(Kizlarsivrisi)山でスキーを楽しみ、午後には地中海で泳ぐ、というのが自慢のリゾート地だ。
取材時期は3月、山はまだ時折雪の降る季節だが太陽はすでに強い。

ケメールの西にそびえるキズラルキビリシ山は3,070m
ケメールの西にそびえる
キズラルシビリシ山は3,070m

ケメールの夕暮れ
ケメールの夕暮れ

WRCのようなイベントがない限り、こうした山の中を歩く機会はないが、昔ながらのトルコの山村風景や、気さくで素朴な人々に出会うことも少ない。またこの山岳地帯の美しい景観を目にすることもなかっただろう。

トルコの女性は楽しい人が多い
トルコの女性は楽しい人が多い
山中で出会った羊飼いの老人
山中で出会った羊飼いの老人
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●ペルゲ(Perge)の遺跡

アンタルヤ海岸を東へ、国道400号線を約20km進んだところにある古代都市遺跡。ローマ時代に黄金期を迎えた。この都市国家が建設されたのは紀元前11〜8世紀ごろにドーリア人によってといわれ、またトロイ戦争後に移住したギリシャ人により建設されたともいうが、まだ本当のところはわかっていない。
紀元5世紀ごろには都市として機能を充分に発展させたが、ペルシャやアレキサンドロス王そしてペルガモン王国と次々に支配され、紀元前2世紀にはローマの属領となった。ローマの支配下で、多くの都市との交流も増し劇場、アゴラ、浴場などが建設され繁栄の時代を迎えた。
ペルゲの市街地遺跡
ペルゲの市街地遺跡

その後、なんども外敵の侵入を経て城壁の補充や拡充を繰り返し行いながらビザンチン時代まで続いた。7世紀になってアラブが占領、市民はアンタルヤに強制移住させられてこの都市は衰退した。戦争で破壊されたのではないだけに都市がそのまま遺跡となって今に伝える。

競技場への出入り口。上部はスタンドになっている
競技場への出入り口。
上部はスタンドになっている

競技場跡
競技場跡

城壁の外にある1万2,000人を収容した紀元前2世紀の競技場や紀元前3世紀、丘の斜面を利用した劇場がある。いまもそのまま使えそうなほどの姿で残されている競技場とは別に1920年代地元の人が建築材として遺跡の石を盛んに持ち出したため、現在は修復予定とかで立ち入り禁止だ。近い将来、修復されて一般公開をするそうだ。

大通り跡
大通り跡
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石畳の歩道
石畳の歩道

チケット売り場から城門を入ると、高さ15mの一対の円筒形ヘレニズム時代の門がある。 この門から北へまっすぐ延びる列柱通りは長さ250mもある。石畳の通り沿いには商店が並んでいた。この通りの真ん中には上水道があり、その奥にはニンファエウム(水の女神)と呼ばれる泉がある。多分、山から引かれた水がこの女神像の裏から泉に流れ落ち水路を通って町に水を供給していたのだろう。

水の出口には水の神が横たわり、水路が延びる
水の出口には水の神が
横たわり、水路が延びる

浴場跡
浴場跡

ヘレニズム門を入ったすぐには浴場跡がある。浴場は南北に2ヵ所ありこちらは南浴場だ。ローマをはじめイタリア、ギリシャなど多くの浴場跡が発掘されているが、脱衣所のタイルとともに浴槽も保存されている。また北にはニンファエウムの泉があるが浴場と隣接するところには南の泉があり、現在も湧き水となって浴槽を満たしていた。
そのほか、神殿、アゴラ跡などもある。

●アスペンドス(Aspendos)の遺跡

アスベントスの劇場跡。保存状態がとてもいい
アスベントスの劇場跡。保存状態がとてもいい
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ペルゲから約20km東へ。ローマのマルクス・アウレリウス帝のために紀元2世紀に建造されたという劇場が最高の保存状態で残されているというので、ぜひ見学したいものだと思っていた。
国道400号線から4kmほど北へ辿った先にそれはあった。見上げるほどの石造り、まるで城壁のようにそそり立った壁に目を見張る。いままで数えきれないほどの古代遺跡の劇場をみてきたが、これほど完璧に近い状態を目にするのははじめてだった。

直径24mの半円形の演奏席と舞台、その舞台裏にある楽屋や背景にある建物を支える40の柱も残されていた。また2万人も収容したという客席の最上階53のアーチを持つ回廊もある。多くは想像でしかなかった建物の全容を知ることができた。もちろん部分的には修復されているが、これは必見だ。
現在もミュージカルの上演や演劇、音楽祭などが開催されている。古代の音響効果や観客の雰囲気を知る上でもぜひ開催日に訪れてみたいと思う。
アスベントスの劇場跡。正面の楽屋などが現存する数少ない遺跡
アスベントスの劇場跡。
正面の楽屋などが現存する数少ない遺跡


●シィデ(Side)の遺跡

最初に建設されたのは紀元前7世紀ごろといわれているが、ビザンチン時代まで繁栄を続けたという。なかでも2〜6世紀にかけてもっとも栄えた古代都市だ。

ところが現在はシィデは海水浴場としてトルコでは人気のスポット。古代の城門からアテナ神殿へと抜けるかつての石柱が並ぶメインストリートは車が往来し、列柱通りは海水浴客相手のみやげやがところ狭しと店を出す。
中にはアポロン神殿の建物を利用した店や城壁のアーチ門をそのまま使った“BAR”と大きな看板を立てている店まであった。古代建築の中にあるとはまさにこれぞ「世界最古のBAR」といったところか。
シディは遺跡の中に日常の舗装路が…
シディは遺跡の中に日常の舗装路が…

だが、いま遺跡の修復や発掘が盛んに行われている。いずれはこれらの商店やバーや茶屋も立ち退きの運命をたどるのかもしれない。

古代の城門は一般車の街への通路でもある
古代の城門は一般車の街への通路でもある
ちゃっかり遺跡の門をバーの入り口に。世界最古のバー?
ちゃっかり遺跡の門をバーの
入り口に。世界最古のバー?


有料トイレの発祥地といわれる古代都市シィデのそのトイレは客席2万5,000を誇る劇場に完備されていたという。残念ながら劇場は大修復工事が行われているため、見学はできなかった。

シディの神殿跡。海に面している
シディの神殿跡。海に面している
神殿跡には巨大な柱がごろごろ
神殿跡には巨大な柱がごろごろ


在日トルコ共和国大使館・トルコ政府観光局
トルコの基本情報や地域別の観光案内、ホテルやトルコ料理の紹介など、ひととおり知ることができる。
The Historic City
トルコをはじめギリシャ、チュニジア、シリアなど地中海沿岸諸国の遺跡や生活情報が掲載されている。

取材:2003年3月