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北イタリア・エミリア街道
(ジェノヴァからラヴェンナへ)



エミリア街道
エミリア街道と昔の国営宿舎
エミリア街道と昔の国営宿舎
エミリア街道の標識
エミリア街道の標識
ジェノヴァ(Genova)から北東約100km、ミラノ(Milano)の東南よりアペニン山脈に沿ってほぼ直線に約250km 、アドリア海に面したリミニ(Rimini)まで続く道。ここは紀元前187年ローマのエミリウス・レピドゥスによって造られた古代ローマの街道「エミリア街道」として今も街をつなぐ重要な街道として利用されている。

エミリア街道の下には昔の石畳が保存されている
エミリア街道の下には
昔の石畳が保存されている
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しかし、現在は道幅も広げられアッピア街道に見られたような昔の面影はほとんどない。
最初は少しがっかりしたが、アスファルトに被われた道の下には当時のままの石畳のローマ時代の“道”がそのまま残してあると聞いて、タイヤを伝わってくる振動までが違ってきたのだから面白い。


古代の道エミリア街道はアドリア海のリミニからフラミウス街道となってローマに続く。いまは高速道路が平行して走るので交通量は少ない。だがアスファルトの下に眠る古代の道が息づいているこの道は“美食の街道”とも呼ばれている。上質の食酢、ソーセージそれに生ハムの産地だ。
そしてF1ファンなら周知の高級車フェラリーの工場と博物館もある。今回はこのエミリア街道を辿りながら、東ローマ時代の首都ラヴェンナ(Ravenna)へと走った。





<コース>
ジェノヴァ(Genova)−ピァッチェンツァ(Piacenza)−パルマ(Parma)−モデナ(Modena)−ボローニャ(Bologna)−ラヴェンナ(Ravenna)
全行程 約350km

ルート付近のリンクポイントをクリックしてみてください

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●ジェノヴァ(Genova)

かつてのイタリア最大の海運王国であり、現在もイタリア第一の港町である。この町の発展はヴェネチアと並ぶ海運の歴史だ。
12世紀初頭にはすでに70艘の軍艦を保有し、13世紀にはコルシカ島の領有権をめぐりピサ(Pisa)と対立、また14世紀には地中海貿易の制海権争いでヴェネチアと衝突、この戦いは長い間続いた。
その間にも東方貿易で巨富を得て経済が発展、現在の流通業の基礎となる合資会社や為替手形、船舶保険などの経済・保険システムがこの街ではじめて生まれた。
だが、やがて大西洋諸国との競争で力を失い1805年ナポレオンの帝国の配下のもとに衰退。

現在は海運王国時代の歴史遺産の多く残る街として見逃せない街の一つであるが、複雑に入り組んだ街並みを目的地に向かって辿るにはかなり大変なところでもあった。

ジェノヴァの街を北の丘から見る
ジェノヴァの街を北の丘から見る
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市街は港のある海岸沿いと山の手の住宅街と旧市街の3つに大きく分けられるが、目的はやはり旧市街だ。
ヨーロッパの旧市街はどこでもそうであるように、地図を見ても狭い路地の入り組んだ複雑なところ。地図を頼りに車を走らせても一方通行だったり車の乗り入れ禁止区域だったりで、ぐるぐる回るうちに方向までもが分からなくなることもある。その上、駐車場も少ない。歩くのが良さそうだがそこはハンドルを持つ者は車が一番と思ってしまう。

海岸通りの国道から少し入ったところには、「王宮」と呼ばれる17世紀半ばのジェノヴァの富裕バビル家がある。現在残る豪邸の最大の建物で、後にサヴォイア家の別邸となった贅をつくした家具・装飾品が残っている。
このあたりから山の上へと延びる旧市街に向かう。16世紀中葉の貴族の館で18世紀後期にバロック様式に再建された「白の邸館」、その向かいには17世紀に建てられた「赤の邸館」がある。どちらも家具などのインテリアがみどころだ。
ツタの這う急坂を下る牧師
ツタの這う急坂を下る牧師

旧市街の中心であるサン・マッテオ広場周辺にはサン・ロンレッオ大聖堂やコロンブスの生家などがある。コロンブスの生家(Casa・Colombo)は再現されたものだが、ここで生まれ育ち、ここからスペインのイザベラ女王のもとへ行き、アメリカ発見の航海をしたのだ。

ジェノバへのエミリア街道沿いの農家
ジェノバへのエミリア街道沿いの農家
ジェノヴァの街を出ると間もなく高速道路へ。約150km、ピァッチェンツァ(Piacenza)まで走った。ここで高速を出てエミリア街道を辿る。
遠くにアペニン山脈のやまなみを眺める田園地帯を、一般道路とはいえ、どの車も100`くらいのスピードで走っている。

ヨーロッパは国によって多少は異なるが、最高スピード制限は高速道路で130km(ドイツは無制限)、一般道路でも100`だ。ただし、村や町は50〜30`で歩行者は絶対優先だ。

●パルマ(Parma)
昔のままのエミリア街道にはこんなところもある
昔のままのエミリア街道には
こんなところもある

パルマ名物の生ハムを売る店
パルマ名物の生ハムを売る店
生ハムとチーズで有名なパルマ(Parma)は高名な指揮者アウトーウロ・トスカニーニの故郷でもある。
6世紀、東ゴート王のもとで栄えた。その後も歴史に翻弄されながらも16世紀には公国としての一世紀間、収集家、建設者、学問、芸術の多くの庇護者のもと沢山のフランス人がここパルマで活躍した。

ロマネスク様式のドゥオーモの脇にはゴシック様式の鐘楼がある。また、ヴェローナのばら色大理石で造られた八角形の洗礼堂がみどころの一つだ。
内部には13世紀のフレスコ画があり、キリストの生涯と黄金伝説(中世の聖人伝集)が描かれている。
パルマの洗礼堂
パルマの洗礼堂
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●フェラーリの街

高級車フェラーリで名高い街モデナ(Modena)に着く。
このところF1グランプリでシューマッハとバルチェロが乗るフェラーリが1、2フィニッシュを決めて圧倒的な速さをみせている。この有名なスポーツカーが作られている工場がモデナの街より約20m南のマラネーロ(Maranello)にある。

フェラーリの本社
フェラーリの本社
広い敷地に平坦なコンクリート造りの建物が並ぶ。意外に質素な工場群だが、中にレンガ造りのひときわ目立つ建物がある。
いかにもイタリアらしいスーツを着こなしたダンディな男たちが出入りしていた。

その前には有名なドライバーたちが勝負したエンジンやサイン入りのヘルメットなどが飾られ、名ドライバーたちも出入りするという粋なレストランもある。この建物あたりが表玄関ということがわかる。

その裏側に車を走らせると「フェラーリ歴史博物館」がある。
昔の名車に出会えると思うと少し高い入場料(約1,000円)も惜しくはないなどと思ったが、展示車は少なくグッズ売り場ばかりが目についた。それでも1950年代からサーキットを沸かせ150勝をあげたという名車の歴史に熱狂的なファンも多く、進化するマシンを食い入るように見回す人、写真を撮りまくる人などで結構混んでいた。
フェラーリ自動車博物館には歴代F1も…
フェラーリ自動車博物館には
歴代F1も…
エンツォ・フェラーリの乗った車
エンツォ・フェラーリの乗った車
街へ出るとどこもフェラーリのカラーである赤に黄色地にたてがみと尾を立てた黒い馬のマークがあり、お土産屋もレストランもカフェも民家の壁や窓辺が赤く塗られ、フェラーリのフラッグがはためいていた。ここはフェラーリの街そのものなのである。

●ボローニャ(Bologna)

ボローニャの街のことは知らない人でも“スパゲッティ・ボロネーズ(ボローニャのスパゲッティ)”といえばご存じだろう。グルメの街としても知られるイタリア有数の大都市だ。
ボローニャの目抜き通りインディベンデンツァは中世の都市計画によって建造された大通りだ。柱廊アーケードに張り巡らされ、そのアーケードの高さは2.66メートルと高い。これは馬に乗ったままの人も通行できるようにという設計だ。
ボローニアの市街地
ボローニアの市街地
ボローニアの劇場前
ボローニアの劇場前
市庁舎を中心に広がる旧市街はポデスタ宮殿(300年にもわたり行政長官官邸として利用された)、その前には「マッジョレー広場」がある。現在は市民や観光客が集う広場だが、絞首刑執行や騎馬レース、格闘技などが行われたところだ。

ボローニャの最大のみどころはサン・ペテローニオ大聖堂だ。
14世紀から2世紀もかけて建築が続けられたという大聖堂は、ローマのサン・ピエトロ大聖堂を超えるかと思われるほどだったが、ヴァチカンからの干渉であえなく頓挫。しかし、未完成の大理石を張られた正面ファサードや聖堂内の22の礼拝堂、イタリア最古に数えられるパイプオルガンなどがある。
ボローニアのサン・ペテローニオ大聖堂
ボローニアのサン・ペテローニオ大聖堂

そのほかフィレンツェのシニョーリア広場で火あぶりになったサヴォナーラなどの宗教学者が立ったという説教壇もある。
ヨーロッパはどこも旧市街は駐車場が少ない上、最近は路上駐車違反取り締まりも厳しい。駐車場を見つけたら迷わずすぐ駐車、あとはのんびり歩こう。

●ラヴェンナ(Ravenna)

ラヴェンナの街
ラヴェンナの街
5世紀から11世紀の長い間、ここはイタリアの政治と信仰の重要拠点として栄えたところ。
その一方では異民族からの支配と奪還とを繰返しながら、中世イタリアの豪華絢爛なモザイク芸術の花を咲かせた。

モザイクの多くは5〜6世紀ごろの作品で、小さいものはラヴェンナで一番古いモザイクといわれるガッラ・プラチーディアの霊廟だ。
皇帝テオドシウスの娘ガッラの廟に濃紺と金で描かれた若い羊飼いの姿をしたキリストと羊たち、そして聖人の姿などに金の星がちりばめられた中に十字架がある。ガッラは数奇な運命を辿りながらも、その子が西ローマの皇帝になった。正面にはガッラの石棺がある。

大きいものはサンタポリナーレ・ヌオヴォ教会にある。
16世紀後半にラヴェンナを支配したゴート族のテオドリクスがイエスキリストに捧げた教会だ。
金で装飾された豪華なモザイク画の「東方三博士と聖女の行列」と「26人の殉教者の行列」は必見だ。
サンタポリナーレ・ヌオヴォ教会の内部
サンタポリナーレ・ヌオヴォ教会の内部

その他ビサンチン様式の傑作といわれるサン・ヴィターレ教会のユスティニアヌス皇帝とテオドラ妃の姿を描いたモザイクなど。

モザイクをゆっくり見て回るには、少なくみても丸一日は必要だ。
街自体は小さいが、教会や霊廟、礼拝堂を飾るモザイク画の繊細さ緻密さ、それにもましてその背景を物語る歴史に触れていくと時間はいくらあっても足りないだろう。
ネオニアーノ教会の洗礼堂内部のモザイク画
ネオニアーノ教会の
洗礼堂内部のモザイク画
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取材:2002年9月