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ナポレオン街道(パリ特別編)



パリに残るナポレオンの足跡

「ナポレオン街道」前編後編ではロシア遠征の失敗で失脚、地中海のエルバ島に流され再びフランスの皇帝に返り咲いた、いわゆる百日天下への道を辿ったものだった。
今回は2002年冬のパリで、ナポレオンの全盛時代とその没後に残した足跡や建造物を訪ねてみた。

凱旋門 世界の観光都市パリと言えば、第一に思い浮かぶのが凱旋門とそこからコンコルド広場へと延びるシャンゼリーゼ通り。片道4車線、往復8車線の大通りを挟んで、カフェやレストラン、高級ブランド店が並ぶここは憧れのパリのイメージそのものだ。
ナポレオンが凱旋を夢みた栄光の門「凱旋門」は彼の記念建造物の代表的存在だ。実際に完成するまでには彼の死後、ルイ・フィリップ王が引継ぎ30年の歳月を要したが、設計、着工はナポレオンである。
ナポレオンなくしては現在の観光都市パリの魅力は半減していただろうといわれるほど、この凱旋門の存在は大きい。

パリの街並み ここ数年暖冬だったパリも今年は本来のような冬、気温も氷点下の寒い日が続いていた。日本人観光客で賑わう年末年始のパリの中心部も昨年の同時テロの影響で、その数も少ないが、やはり観光都市パリは世界中からやってきた人々で観光名所はもちろんのこと街を行き交う人々で結構賑わっていた。
昨年12月31日まで通貨フランで買物をしていたが、年が明けると同時にユーロ通貨に変わるという歴史的な年でもある。外国人ばかりか12のユーロ通貨統一国の人々が皆、自国の通貨で買い物をしたその釣り銭はユーロという、なんとも不思議な気持ちと同時に感動を味わう。
通貨が変わったことで、いつものパリと少し違うと思えたこともあってか、通り過ぎる人々の顔も明るく見えてくる。大きく変わる歴史の一端を体験していたからだろうか。




<コース>
今回はパリ市内のみのため、コースとルートマップはありません。



●凱旋門

凱旋門
凱旋門
コンコルド広場からまっすぐに延びるシャンゼリーゼ通りの向こうに重厚な構えの凱旋門を望む。凍てついた大気も風がないせいか、それほど寒さは感じない。
昨年のクリスマスから通りを飾ったイルミネーションも年が明けて間もなく消え、コンコルド広場にある観覧車がカラカラと乾いた音を立てて回る。

シャンゼリーゼ大通りの西北のはずれ、現在のシャルル・ド・ゴール広場(エトワール)にナポレオン一世(1769〜1821)がこの凱旋門の建造をシャルグランという建築家に建造を命じたのは1806年のこと。その前年の1805年、ドイツ・オーストリア・イタリア・ロシアの大連合軍と戦って大勝利をおさめ、凱旋したとき凱旋門の設計を考えついたという。この年、彼はロシアを除くヨーロッパの大半を勢力下に置き絶頂期にあった。
その2年後、妻ジョセフィーヌと離婚、翌年の1810年オーストリアのマリー・ルイーズを妃を迎えた。ルイーズから凱旋門をくぐってパリ入りしたいといわれたが、まだ基礎しかできていなかった凱旋門をシャルグランは張りぼてに絵を描いて、その場を凌いだという。

ロシア遠征に失敗したナポレオンはエルバ島に流され、復活を果たしたものの百日天下の後、ワーテルローの戦いに敗れて失脚、セントヘレナ島で1821年にこの世を去った。一時中断していた凱旋門建設はルイ・フイリップ王によって再開、1836年に完成した。
凱旋の栄光を夢みて着工したナポレオンがこの門をくぐったのは1840年12月15日、死んでから19年後だった。シャゼリーゼ大通りを埋めた大勢の人々に迎えられた彼の遺骸は吹雪の凱旋門を通って、アンヴァリッドの大ドームの下に埋葬された。

凱旋門は高さ49.54m、幅44.82mあり、この屋上からはモンマルトルの丘やサクレ・クール寺院、エッフェル塔、ノートル・ダムなどはもちろんのことパリ市内が一望できる。また真下にはシャンゼリーゼ大通りをはじめ12本の通りと凱旋門を回るロータリーを右回転するおびただしい数の車が見える。

●アンヴァリッド

アンヴァリッド、ナポレオンが眠る
アンヴァリッド、
ナポレオンが眠る

ナポレオンの棺が安置されるアンヴァリッドは1676年、ルイ14世により建てられたもので「アンヴァリッド廃兵院」という。退役軍人の療養所として5,000人も収容できる大規模な建物だ。壕に囲まれた広い庭園があり、中央入口にはルイ14世の騎馬像がある。また17〜18世紀にかけて使用された大砲もある。
この建物にはさまざまな歴史のドラマがあるが、大きな出来事はやはりフランス革命で暴徒と化した民衆が地下の武器庫から2万8,000にも及ぶ銃を奪ってバスチーユへ向かったことと、ナポレオンの帰還であった。


この建物にあるドーム教会こそナポレオンが眠るところ。27年もの歳月をかけて完成されたという教会はバロック様式とフランス古典様式を組み合わせた荘厳な建築で、中でも内部を大理石の床や彫刻をほどこしたドームは見事なもの。
1階は、フランス史に残る軍人たちの棺をおさめた7つの部屋に分けられている。地下のナポレオンの棺への入口には、彼の遺言である「余は、余が愛したフランス国民に囲まれて、セーヌ河畔に眠ることを願う」の文字が刻まれている。
円形の地下の壁には12体の女神像があり、中央には6重になった棺、その外側は赤斑岩で作られ、グリーンの花崗岩の台座の上に乗る。英雄ナポレオンにふさわしい棺である。
中央の地下、台上にナポレオンの棺はある
中央の地下、台上に
ナポレオンの棺はある


●マドレーヌ教会

コンコルド広場を挟みブルボン宮の向かいに建つ、52本のコリント様式の列柱を持つこの建物は、サクレ・クール寺院と並んでもっともフランスらしからぬ建造物だ。

列柱の上のレリーフはミシュラン・ルメール作の「最後の審判」であり、重厚な扉には十戒の彫刻、内部には「キリスト洗礼」の大理石像や祭壇に聖女マドレーヌの昇天の像など価値ある絵画、彫刻などが多くある。
高さ30m、幅43m、奥行きは108mもあるギリシャ神殿を思わせる教会の正面階段からは同じくギリシャ風のブルボン宮とコンコルド広場を挟んでアンヴァリッドのドームが見える。

この教会はもとはいまのような建物ではなかった。最初は聖堂として1764年に 着工されたが、設計が変更されたり工事が中断されたり、その後は図書館や裁判所、銀行と用途もいろいろ変わった。しかし、工事はその後も進まず16年間も放置されていたが、ナポレオンが自らの偉業の証として現在のギリシャ様式の教会を建造した。
当時はこのあたりは広野で、この神殿風の建物はアクロポリスのパルテノン神殿を思わせたという。後にカトリック教会となったのはナポレオンが凱旋門を遺骸でくぐった2年後の1842年である。

●ヴァンドーム広場

超一流ホテル・リッツ や高級ブランドの宝石店が並ぶ広場の真ん中にナポレオンの建てた記念柱がある。
この記念柱は1810年のアウステルリッツの戦いで、ロシア・オーストリアの連合軍から略奪した1,250の大砲を溶かして造った物だ。戦う兵士たちのリレーフが螺旋状に尖頂まで続く。
当時は、その尖塔の先にはカエサルの姿をしたナポレオンの像があった。失脚後は取り外され、現在は1874年に復元されたものがある。いまはこの広場の地下は駐車場になっている。



パリの街並み
パリの街並み
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パリの公園
パリの公園



●ルーブル美術館

パリのみどころは沢山あるが、世界一充実した美術館といえるルーブルは、12世紀パリ防衛のために城壁の外に造られたものを14世紀に入りシャルル5世が宮殿として改築したもの。だが、歴代の王たちはこの宮殿を居城とせず、王家の書籍や美術品などの所蔵場所としていた。はじめてここを居城としたのは16世紀の初頭、フランソワ1世だった。

彼がイタリアから招いたレオナルド・ダ・ヴィンチは、制作中の「モナ・リザ」と「聖アンナと聖母子」を携えてきた。ダ・ヴィンチが没したあと王家に買い取られ、王のコレクションとして彼の多くの作品とともにルーブル宮殿で王家の人々だけのものとして眠っていた。
だが、フランス革命後の政府によって一般に開放され、美術館としての歴史がはじまった。 そして、ナポレオンのヨーロッパ各地やエジプトへの遠征によってその戦利品がルーブルのコレクションを飛躍的に増やし、大美術館へと発展していった。

現在のルーブル美術館の所蔵品は30万点を超えるという。この中にはダヴィットの「ナポレオン1世の戴冠式」の大型絵画もあり、皇帝ナポレオンの当時の絢爛豪華な戴冠式の様子がうかがえるばかりかその大作の迫力に圧倒される。
1989年、故ミッテラン前大統領の提唱で大改造が行われ、中庭にガラス張りのピラミッドとその地下にのナポレオン・ホールが誕生した。歴史的な建物に現代風のガラス張りのピラミッドは、当時は反対者も多かったがいまではルーブル美術館への入口として観光客に親しまれている。

●マルメゾン

マルメゾン
マルメゾン
ナポレオンとその妻ジュセフィーヌゆかりの館マルメゾンはパリ郊外、西方約18kmの緑豊かな街にある。
ナポレオンとジョセフィーヌが結婚3年目の1799年にこのあたりの広大な土地を購入、幸せな結婚生活を送っていた。
だが、密月は長続きせず10年後、破局が訪れた。一説によると二世誕生が叶わなかったからだとも言われている。

翌年の1810年にはナポレオンはマリー・ルイーズと結婚したが、生涯ナポレオンはジョセフィーヌを愛していたという。離婚の際にジョセフィーヌはナポレオンからこのマルメゾンのほかにエリゼ宮などを与えられていたが、愛した夫とともに過ごしたマルメゾンを生活の場としていた。

現在は国立マルメゾン博物館として二人の遺品などが当時のまま保存展示されている。
入口を入るとまずナポレオン一族の彫像や貴族用の馬車をそのまま子供用に仕立てポニーに引かせる場所や積み木(かなり大きな物)などの子供の遊び道具などがある。
これが積み木
これが積み木

その隣は、実際にナポレオンが使用したビリヤードの部屋だ。またサロン、会議場、演奏室、食堂そして2階にはナポレオンの部屋とジョセフィーヌが過ごした部屋がある。彼女の過ごした2つの部屋にはベッドや化粧台などがそのままが残されている。
1815年ナポレオンはセント・ヘレナ島へ流される時、数日をここで過ごしている。
広い庭園のばら園はジョセフィーヌがことのほか愛したという。今年のパリの気温は低く、霜で白く輝いていた。「余の辞書には不可能という言葉はない」といった偉大な天才ナポレオンの残した遺産は大きい。

ビリヤード台を照らす天秤のようなランプ
ビリヤード台を照らす天秤のようなランプ
パリ最後の夜を過ごしたベッド
パリ最後の夜を過ごしたベッド

●国立フランス劇場

この他、パリにはナポレオンの残したものは多い。
1680年ルイ14世が結成させた劇団モリエール座は革命時に分裂、その一派をナポレオンがバックアップし1792年に新劇団が発足。ルーブル美術館のほど近くパレ・ロイヤルにある国立フランス劇場を本拠地とした。現在もフランス古典劇を美しいフランス語で演じることを使命としているこの劇場の観客に最近は若い日本人女性の姿もよくみかける。

凱旋門をはじめロータリーから放射状に延びるパリの街並みは複雑でわかり難い。とくにヨーロッパで車の運転に慣れていない人にとってパリの街を車で走ることはなかなか難しい。だが、ヨーロッパドライブの拠点となるところでもある。セーヌ川や凱旋門などを目印に目的地を探すと案外パリの街も簡単。ぜひトライしてみてください。


フランス政府観光局
フランスの地域別観光情報や宿泊、イベント、交通情報など。「旅の基本情報」では日本語の通じる病院も紹介。
「ナポレオンとヴェルサイユ展」(日本経済新聞社主催)
皇帝戴冠から200周年を記念して、ヴェルサイユ宮殿美術館のコレクションを中心にナポレオン関係の絵画、彫刻、家具、工芸品などを展示。
ルーブル美術館
ルーブル美術館の歴史やコレクションなどの紹介のほか、バーチャルツアーも体験できる。

取材:2002年1月