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イタリアの旅(5)
ローマからガルガーノ半島へ

ドライブライン

とんがり帽子の石屋根と白壁が特徴です ローマより一路、アドリア海に突き出たイタリア・プーリア(Puglia)州、ガルガーノ(Gargano)半島を目指してアウトストラーダ(Autostrada)を経由して幹線国道をひた走る。途中、切り立った崖にへばりつくように建ち並ぶ家々に、思わずコースを離れて、その集落へ寄り道しながらガルガーノ半島の付け根ともいえるレシーナ(Lesina)に着いた。
風光明媚なリゾート地や、漁村などを通りすぎながら半島の先端ヴィエステ(Vieste)へ。ここは白い奇岩が青い海から突き立ち、断崖の上に古い町並みの観光地があった。半島の山の中には「天使が舞い降りた」といわれる地モンテ・サンタンジェロ(Monte・Sant'Angelo)があり、洞窟内にはミカエルの像が飾られた礼拝所があった。
さらにアウトストラーダを東へ、古代アッピア街道の終点地ブリンディッシ(Brindisi)まで、4泊、約700kmの見知らぬ道を走り続けた。
自由な車の旅だからこそ、地図上で景色がよいとされる道を辿れる気ままな旅ができる。行ってみて初めて知る土地に、歴史があり、人々の生活に触れる楽しさこそ旅の醍醐味なのである。


サムネイル1 サムネイル2 サムネイル3 サムネイル4 サムネイル5 サムネイル6

ドライブライン

<コース>
ローマ(Roma)−高速道路(Autostrada A1)−幹線国道(S85)−アイセルニア(Isernia)−幹線国道(S650)−ヴァスト(Vasto)−ガルガーノ(Gargano)半島−レジーナ(Lesina)−ヴィエステ(Vieste)−マンフィレドニア(Manfredonia)−幹線国道(S16)−バーリ(Bari)−ブリンディッシ(Brindisi)
行程 約700km

ルート付近のリンクポイントをクリックしてみてください

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●ローマからアドリア海へ

ローマからアウトストラーダ(A4)をナポリ(Napoli)方面に向けて約100km、カジノ(Cassino)へのインターから国道(S85)へ。ここからアドリア海を目がけて丘陵地帯を走る。幹線国道は、高速道路に近いくらいに整備された自動車専用道路で、村や町へはインターを出て一般道を辿る。ローマから約50kmのところで、前方に崖いっぱいにへばりつくように並ぶ家々が目に飛び込んできた。
イタリアや南フランスには、山の上にできた町は沢山あるが、これほど急峻な崖にびっしりと家々が重なり合うように建ち並ぶ集落は珍しい。思わず「行ってみよう」とハンドルを切った。
崖に家が積み重なる村
崖に家が積み重なる村
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見上げる家々の下には、小さな広場があり一軒の雑貨屋と小さなレストランがあった。村へ入る狭い道の脇には「di pesc」と書かれていた。これは地名なのか村名なのか不明だったが、仮にペスク村と呼ぼう。
広場から崖に向かって続く道は、人ひとりがやっと通れる幅しかなく、石造りの家が隙間なく重なり合い、並び合う。昔は荷運びはロバの背であったのだろう。石畳や石段の道を登っていくと、崖の上には砦のような石垣とレンガ造りの塔があった。はるか彼方の畑や近代的なアイセルニア(Isernia)の町が見下ろせた。
1時間ほどこの村の中を歩いたが、たったひとりの少年と、岩をくり抜いた小さな穴の中にロバを一頭見かけただけであった。数軒の廃墟もあったが、まだ洗濯物が干され、ゴミが捨てられ、人の気配も感じられた。千年も続いた長い中世、内陸まで押し寄せた海賊や、争いの絶えない殺戮と略奪と拉致の時代、襲撃を逃れ人々はこんな崖の上で、肩を寄せ合って生きていたのだろう。

家々の背後に砦が残る
家々の背後に砦が残る
村の中はこんな通路で結ばれている
村の中はこんな通路で結ばれている

村の最上部に十字架が並ぶ
村の最上部に十字架が並ぶ
これ、現役のシャツです
これ、現役のシャツです

ペスク村から国道(S650)を約100km、アドリア海へ出た。そろそろ宿を探す時間だったが、手頃な宿が見つからないままガルガーノ半島の付け根の町レジーナ(Lesina)の町に着いた。

高層ビルこそないが、人口1万人くらいの町である。観光地ではなさそうだが、商人宿くらいはあるだろうと探したが、それらしいものもない。
海辺で仲間といた年配の男性に「この町に宿はないか?」と尋ねると「ホテルはないが、民宿なら一軒だけある」という。そして自転車にまたがると、車の前を走りはじめ、案内するといった。どういう宿か聞く暇もない。10分ほど走ると汗を流し荒い呼吸をしながら「ここだ」という。
レジーナの街頭でトランプ。熱くなっている人もいました
レジーナの街頭でトランプ。
熱くなっている人もいました


湖に網を張り渡し魚を捕る
湖に網を張り渡し魚を捕る
モーテルへ案内してくれたオジサン
モーテルへ案内してくれたオジサン

広い敷地の中に、トラックや鉄材、タイヤなどが放置されたようにあり、貧しそうな平屋の家があった。小柄だがボリュームのある中年の女性が主人だといい、自宅の部屋を貸してくれた。8畳ほどの部屋に頼りないベッドが2つあり、シャワーはあっても湯は出ない。
しかし、女主人は「日本人ははじめて!」といって大はしゃぎ。サービスといってビールや果物を差し出し、自分も飲み出した。

レジーナの町から半島の先端に向かって約70kmの間には、海と長細い砂州で隔てられた大きな淡水湖が2つある。まるで宍道湖のようだが「海とは繋がっていない」と地元の漁師はいい、この湖では「うなぎ」が捕れるという。

唐辛子売り(レジーナ郊外)
唐辛子売り(レジーナ郊外)
パスタを頼んだらムール貝で埋まっていた
パスタを頼んだらムール貝で埋まっていた

●ヴィエステ(Vieste)

アドリア海に面した美しい海岸線を持つガルガーノ半島は、イタリア人には一般的な観光地でも、世界的には無名に等しい。歴史の表舞台とは遠く、かつては小さな漁村が点在していたという。しかし、10年前のユーロ導入とその後のユーロ圏の拡大で、ドイツ以北の人々が明るい太陽を求めてやって来ている。そして漁村は見事なホテル街と化したと、まだ漁師を続ける老人が言った。

ガルガーノ半島の海岸線はビーチと岩壁が交互に現れる
ガルガーノ半島の海岸線はビーチと岩壁が交互に現れる
ヴィエステを象徴する海岸の白い岩峰
ヴィエステを象徴する
海岸の白い岩峰


ここヴィエステは石灰岩のような白い崖の上の町で、旧市街は堅固な城壁で囲まれ、サラセンの塔を持つ中世そのままの佇まいを見せている。周囲に広がる新しい町と、崖の下に並ぶ白亜のホテル群は、拡大するユーロ圏を象徴するようだ。

ヴィエステのビーチと崖の上の旧市街
ヴィエステのビーチと崖の上の旧市街
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ヴィエステの新市街は洒落た建物が多い
ヴィエステの新市街は洒落た建物が多い

犬を連れた少女。犬は泳ぎながらついていった
犬を連れた少女。犬は泳ぎながらついていった
ジャンプする少女
ジャンプする少女

プーリア州はイタリアの農産物の生産地だ。新しい町の中には毎日開かれるチーズ、ワイン、オリーブ、蜂蜜、ジャムなどを売る市場が立つ。ほとんどが地元産で、自家製というのが売り物だ。なかでも目を引いたのは、ひょうたん形をしたチーズだった。カチョカヴァッロ・シラーノ・アフミカート(Cacoiocavallo・Silano・Affumicato)という。モッツァレラと同じで牛乳を熱めの湯の中でこねて袋に入れ、紐でくくって吊るす。昔は水牛の乳だったが、いまは牛乳になった。

オリーブ油とニンニクの店
オリーブ油とニンニクの店
マーケットのチーズ屋さん
マーケットのチーズ屋さん

●モンテ・サンタンジェロ(Monte・Sant'Angelo)

ガルガーノ半島をぐるりと回った東側の山の中に、「聖天使山」という町がある。大天使ミカエルが現れたという伝説が残る洞窟がある町で、カトリック教徒の聖なる巡礼地である。
ガルガーノ山(標高850m)の山の上の洞窟は、遠い昔から信仰の場所であったが、15世紀キリスト教の聖地となった。「牛が山の中で迷っていなくなった。その牛は山頂の洞窟の中にいたため、牧師が3日間感謝の祈りを捧げていたとき、神の使いであるミカエルが現れ、この洞窟をキリストの聖地にしなさい」と告げたという。その他、教会となった言い伝えはいくつかあるが、奇跡を起こしたミカエルは姿を見せず足跡だけを残したといわれるものもある。
自然の洞窟を利用した礼拝堂は、数人の聖職者が祈りを捧げ、100人もの信者が入れる広さだ。ちょうど祈りの時で、大勢の信者が「ハレルーヤ」の合唱を洞窟内に響き渡らせていた。洞窟の上に立つ教会は1656年に造られたものだが、トーレアンジョイナの塔は1271年から10年をかけて造られたもの。ロマネスク様式だ。当時は塔の高さは40mもあったが、現在は27m、内部は4層で、壁は幾何学模様で飾られている。

モンテ・サンタンジェロの教会入り口
モンテ・サンタンジェロの教会入り口
トーレアンジョイナと呼ばれる教会のベル塔
トーレアンジョイナと呼ばれる
教会のベル塔


ミカエルの像が飾られた洞窟内の礼拝所
ミカエルの像が飾られた洞窟内の礼拝所
岩壁の洞窟が昔の信仰の場でもあった。今はすっぽりと屋根が掛かっている
岩壁の洞窟が昔の信仰の場でもあった。
今はすっぽりと屋根が掛かっている


ユンノの旧市街。白壁の家が密集する
ユンノの旧市街。白壁の家が密集する
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山頂の城。こちらは閑散としている
山頂の城。こちらは閑散としている

一方、居住区である旧市街、ユンノ(Junno)地区は、9世紀に建てられた城の下の斜面に広がる。ノコギリのような切妻型の屋根が連続し、ギザギザと線を描いて青い空に浮かぶ。後列が前列より高い位置にあり、どの家屋も太陽の光が行き届く、山の斜面を利用した独特の町並みになっている。町の中は道路が階段状になり、車も入れず近代の開発にも取り残されたため、中世の町並みを色濃く残している。

観光客の行き交う街路で洗濯物を干す
観光客の行き交う街路で洗濯物を干す
大きなパンとチーズが売られていた
大きなパンとチーズが売られていた


世界遺産の町アルベロベッロ
(Alberobello)


アドリア海に面したプーリア州の州都バーリ(Bari)を経て、田舎道を1996年に世界遺産に登録されたアルベロベッロへ。乾燥した大地にオリーブ畑が広がる農村地帯にとんがり屋根の家々が並ぶ街。円錐形の屋根と白壁の家は「トゥルッリ」と呼ばれ、屋根一つ、部屋一つ、という意味。わずか400m四方の土地に約1,000軒ものトゥルッリが密集する。

とんがり帽子の石屋根と白壁が特徴です
とんがり帽子の石屋根と白壁が特徴です
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15〜17世紀にかけて、この土地に移住してきた貧しい農民が作った街である。税金を逃れるため、いつでも簡単に壊せる造りというのが、定説となっている。だが、中へ入るとひんやりとした空気に包まれた部屋は、暑くて乾燥した土地に適している。また円錐形の屋根は、雨水を有効利用できる構造の建物でもある。

農家もこんな造りです
農家もこんな造りです
屋根は平たい石を重ねている
屋根は平たい石を重ねている

アルベロベッロという地名の由来は、「ベッロ」は現代イタリア語で「美しい」の意味で「美しい木の街」だが、ラテン語の「ベッロ」は「戦い」といい「戦いの木の街」となる。南イタリアは古くからギリシャ、トルコ、アラブ、ノルマン人などが次々にやってきては戦いの絶え間がなかったところ。「戦い」に真実味があるようだ。
すっかり観光地となった街は、実際には住む人は少なく、幾つかの家をまとめてホテルに改造したり、レストランやブディック、土産物屋などになっている。ただユニークなとんがり屋根の景観は昔と変わらない。

アルベロベッロの路地
アルベロベッロの路地
お土産も“ウリ”の家です
お土産も“ウリ”の家です

●ブリンディッシ(Brindisi)

アルベロベッロからブリンディッシまで約70km。ローマから続く旧アッピア街道の終点地である。さらにここから船でギリシャへ向かう人、ギリシャから来てローマへ向かう人々で賑わった港街でもある。
アッピア街道は紀元前4世紀には建設着工され、その100年後にはローマからブリンディッシまで直線距離にしても約400kmが開通しているのである。
ブリンディッシで最も古い教会
ブリンディッシで最も古い教会

1999年当時の旧港。階段だけが整備されていました
1999年当時の旧港。階段だけが
整備されていました

1999年の旧港。石柱は欠けたままだった
1999年の旧港。石柱は欠けたままだった

対ギリシャ、対オリエント貿易が加わり、人や物の往来も多くなったブリンディッシは、イタリアでもっとも裕福で、最盛期には人口10万人を数えたという。いまでは、古代ローマ名残の建物は、アドリア海を見下ろす海岸通りに、太い大理石の古代ローマの円柱が2本と、ドゥオーモのアーチ型鐘楼の下に残る円柱しかない。

しかし、現代もイタリア・ギリシャを結ぶ主要な港となっていて、夏には色鮮やかな看板が掲げられるギリシャ行きの船のチケット売場は、ヨーロッパの若者であふれている。

ブリンディッシの旧港に残る塔。左は復元されたもの
ブリンディッシの旧港に残る塔。
左は復元されたもの

旧港の対岸には海軍記念碑がある
旧港の対岸には海軍記念碑がある
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取材:2008年9月