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イタリアの旅(3)
アッシジからペルージャ

ドライブライン

聖堂の広場は回廊と石畳が見事 長靴にたとえられるイタリア半島の、そのほぼ中央部に位置するウンブリア(Umbria)州は、緑あふれる山岳丘陵地帯で、古くからウンブリア人、エトルリア人が住み着いてきたところである。
やがて紀元前3世紀にはローマの勢力下となり、蛮族の侵入により荒廃を経て教皇領、自治都市と時代の変遷を重ね、中世には再び教皇の領となった。それから19世紀のイタリア統一まで歴史の表舞台から遠のきながら長い時が流れていた。しかし、この忘れ去られた時代の面影を残す古い町並みとして、いま山の中のウンブリアに複数の魅力的な町が点在している。
その代表的な町、アッシジ(Assisi)、ペルージャ(Perugia)、オルヴィエート(Orvieto)と訪ねた。ここでは、このコースをアッシジとペルージャ前半を(3)とし、ペルージャ後半とオルヴィエートを(4)と2回に分けた。


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ドライブライン

<コース>
アンコナ(Ancona)−高速道路A14−セニガリィーア(Senigallia)−田舎道360−ファビリアーノ(Fabriano)−アッシジ(Assisi)−ペルージャ(Perugia)−オルヴィエート(Orvieto)−N71−高速道路A12−ローマ(Roma)
全行程 約450km

ルート付近のリンクポイントをクリックしてみてください

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●アッシジ(Assisi)

サン・マリノ(San・Marino)からアドリア海沿いを宿泊地を求めて南下したが、シーズン中の海辺の町は、どこもリゾート客であふれ、気にいる宿も景色もみつからないまま、アンコナの港町まで車を走らせた。
翌日、高速道路A14を北へ約30km戻り、田舎道360号線を約130km山岳丘陵地帯をアッシジへ。緩やかな丘陵地帯を細い道がうねうねと続き、時折、小さな集落に出会いながらの長いドライブに、道を間違えたかと思うころ、谷を隔てた山の斜面に城壁に囲まれた石造りの町を見た。アッシジであった。

アッシジへの道
アッシジへの道
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アッシジ、もう一つの表情
アッシジ、もう一つの表情

イタリア中部のスバジオ山、標高約1,300mの斜面にひろがる人口2万余りの小さな町である。歴史は古くローマ時代からの都市であった。
その後、12世紀、フランシスコ会の創設者、清貧・貞潔に生きた聖フランチェスコが生まれた町として世界中に知られたアッシジは、いまなお巡礼者が絶えない。またフランチェスコ聖堂をはじめ関連修道施設群はユネスコ世界遺産に登録されている。

アーチ型のゲートはあちこちにある。建物はホテルになっていた
アーチ型のゲートはあちこちにある。
建物はホテルになっていた

建物はアーチで支え合っている
建物はアーチで支え合っている

石畳の路地を歩くのもアッシジの楽しみ
石畳の路地を歩くのも
アッシジの楽しみ

長い階段が路地でもある
長い階段が路地でもある

フランチェスコは裕福な毛織物商人のひとり息子として1182年に生まれた。なに不自由なく育った青年は、何度となく起こった戦争と、重い病気を経験したとき神の声を聞いた。世俗を捨てて修道の道に入り、愛と平和と清貧を説き、信者を急速に増やした。フランチェスコの教えに共鳴した修道会が、間もなく女子修道会も設立した。
こうして、アッシジには聖者の教えを聞こうと、多くの人々が集まってきた。マザーテレサも聖フランチェスコの影響を受け、修道女を目指したひとりであった。

丘の上の町からの展望
丘の上の町からの展望
光と影。花で彩られた家
光と影。花で彩られた家

●サン・フランチェスコ聖堂(Basilica di San Francesco)

死後に聖人に列せられたフランチェスコの功績をたたえるため、1228年、教皇グレゴリウス9世によって、約25年の歳月をかけて建築された。聖堂は、斜面を有効に利用した上下2段に分かれている。
下部聖堂はロマネスク・ゴシック様式で、上部聖堂はゴシック様式だ。その後何度も改修が行われ現在の姿になっている。鐘楼は1239年に完成、13〜14世紀に一部手が加えられたが、創建当時のままだ。
サン・フランチェスコ聖堂
サン・フランチェスコ聖堂

聖堂の広場は回廊と石畳が見事
聖堂の広場は回廊と石畳が見事
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聖堂の下はサン・フランチェスコの遺品、墓などがある
聖堂の下はサン・フランチェスコの
遺品、墓などがある


聖堂内部にはチマブーエ、ジョット、シモーネ・マルティーニなどの画家によるフレスコが多数描かれている。上部内部にはルネッサンス初期の画家ジョットによる聖人フランチェスコの生涯を描いたフレスコ画が描かれている。下部聖堂には『玉座の聖母と4人の天使と聖フランチェスコ』があり、これらは聖堂内のみどころだ。
その他、壁画や半天井の『5人の聖人』『キリストの受難』などフレスコ画を見ることができる。さらに地下礼拝堂には聖フランチェスコの遺品、それに遺骸が石造りの棺に入れられ安置されている。
薄暗い下部聖堂とは対照的に、高い天井と窓から光の差す広い空間のある上部聖堂は13世紀のステンドグラスの間に『旧約伝』と『新約伝』のフレスコ画面が展開する。

サン・フランチェスコ聖堂に隣接する修道院の内庭
サン・フランチェスコ聖堂に隣接する
修道院の内庭

修道院から丘陵地帯を見る
修道院から丘陵地帯を見る

●サン・フランチェスコ通り

サン・フランチェスコ聖堂からコムーネ広場へ延びるメインストリート。長い坂道に中世の家々が並ぶ。聖堂からは登り坂になっていて、15世紀ロマネスク様式の建築「コモの親方たち」(コモ地方の石工たちが活躍した)の館などがある。通りの両側にはレストラン、みやげもの店、アイスクリームを売る店などがあり、観光客で賑わっている。

中世を偲ばせるお洒落な路地
中世を偲ばせるお洒落な路地
路地のレストラン
路地のレストラン

●コムーネ広場(Piazza del Comune)

ローマ時代の公共広場のあったところ。ここにローマ時代のコリント式の柱を持つ紀元1世紀ころに建てられたミネルヴァ神殿(Tempio di Minerva)がある。後、修道院になったり牢獄になったり、また16世紀に入って後ろに教会が建築されて、神殿は教会の一部となった。しかし、長い歴史を経て今日にその遺構を残している。
神殿に隣接するポポロの塔(Torre del Popolo)は1305年に完成したもの。向かいには1338年に完成したプリオーリ宮(Palazzo del Pomano)があり、現在は市庁舎になっている。

コムーネ広場のミネルヴァ神殿とポポロの塔
コムーネ広場のミネルヴァ神殿と
ポポロの塔
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コムーネ広場。町の中心でもある
コムーネ広場。町の中心でもある

●サン・キァーラ教会(Basilica di Santa Chiara)

アッシジの名門貴族の娘キァーラがフランチェスコの熱心な信者となり、女子修道会を設立。1253年、キァーラが没すると、彼女を祀る聖堂建設がはじまり、1265年この教会が完成した。内部は13世紀末のジョット派作による『聖女キァーラの生涯』を描いたフレスコ画で飾られている。

この他、アッシジには、サン・ルフィーノ大聖堂(Cattedrale di San Rufino)、サン・ピエトロ教会(San Pietro)、サンタ・マリア・マッジョレ教会(Santa Marina Maggiore)などがあり、町全体がみどころといえる。
1997年9月26日に発生したウンブリア・マルケ大地震で、聖堂をはじめ多くの世界遺産建造物が大きく損傷したが、2000年に修復工事も終わり、現在は、ほぼ元の形にもどった。
サン・ルフィーノ大聖堂
サン・ルフィーノ大聖堂

●ペルージャ(Perugia)

この町が日本人の間で一躍有名になったのは、日本サッカーで活躍した中田英寿選手が、ペルージャを根拠地とする「セリエA」のチームに移籍したことからだった。しかし、ペルージャの地名が報道されるときは、ほとんどがサッカーや中田選手にかかわることだけで、町のことは触れることが少なかったので、どんなところかと思い立ち寄ってみた。

駐車場から町への通路は中世の城壁、建物の地下を抜ける
駐車場から町への通路は中世の
城壁、建物の地下を抜ける

地下通路を抜けると自然な町があった
地下通路を抜けると自然な町があった

ペルージャはウンブリア州の州都である。遠くエトルリア時代からの古い歴史を誇り、中世の町並みを今に残す美しい町。サッカー場などのある新市街から、長い坂道を上ると標識に誘導されるように、何層にもなった巨大な駐車場へ出合う。(イタリアの観光地である古い町の多くはツーリストの車は進入禁止)
高い丘の上に広がる旧市街は、駐車場よりさらにエスカレーター を乗り継いで行く。
ゲート、石畳の通路、そこに小さなレストラン
ゲート、石畳の通路、そこに小さなレストラン

エスカレーターを出ると城壁に囲まれた旧市街に出る。高い城壁に守られた町は坂道の多いところでもある。

●11月4日広場(Piazza W Novembre)

大聖堂やプリオーリ宮などに囲まれたペルージャの中心でもある広場。中央にある大噴水ファンターナ・マッジョーレ(Fontana Maggiore)はみどころの一つだ。1275年ころの作で、水受盤を支える小円柱の間にある、聖書の場面などをテーマにしたレリーフや水盤を飾る人物の小さな像と、その上のブロンズのニンフ像が見事だ。

11月4日広場への道
11月4日広場への道
11月4日広場
11月4日広場

11月4日広場を走る市内ツアーのバス
11月4日広場を走る市内ツアーのバス
ペルージャのシンボルでもある大噴水
ペルージャのシンボルでもある大噴水
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●大聖堂

14世紀中期、ペルージャにおける最初のルネッサンス建築。ゴシック様式で完成まで約150年の歳月を要したという。アーチ門の右隣には『ユリウス3世の像』、扉の右側1425年に作られた聖ベルナルディーノの説教壇がある。
正面入り口を入った堂内には、両脇に鉄の扉に囲まれた礼拝堂がある。その左、サンタネッロ礼拝堂(Cappella del S,Anello)は聖母マリアのものと伝えられる結婚指輪が納められているということで有名だ。
大聖堂の入り口。彫刻と模様が綺麗だった
大聖堂の入り口。彫刻と模様が綺麗だった

●プリオーリ宮(Palazzo dei Priori)

壮大なゴシック公共建築の一つといわれる建物で、時代は13〜15世紀のもの。11月4日広場に面した入り口の階段の上には、ペルージャのグリフィンとグエルフィのライオンを左右に備えている。もう一方の中央入口の扉上部の半円形の中には、3人の守護聖人の像がならんでいる。
内部には、奥行き27m、幅14mもの大広間「公証人の間」がある。天井はカヴァッリーニ派のフレスコ画で装飾され、中世の豪華な集会所を見せてくれる。また精巧な寄せ木細工で飾られた15世紀ころの「商人組合」も見ることができる。

プリオーリ宮殿前
プリオーリ宮殿前
プリオーリ宮殿入り口にある伝説の動物像
プリオーリ宮殿入り口にある
伝説の動物像


公証人の間
公証人の間

●国立ウンブリア美術館(Galleria Nazionale dell Umbria)

プリオーリ宮4階に開設されている美術館で、ウンブリア派を中心に、シエナ派やトスカーナの13〜18世紀の絵画作品が主に集められている。
それぞれの時代に活躍した作者の『聖母と天使』や『聖母と聖人たち』『聖母の誕生』『ピエタ』など教会やフレスコ絵画が主で、宗教絵画に興味のある人は必見だ。

この他にペルージャには、市街北側に残るエトルリア時代からローマ時代へと継がれた遺跡が多くある。そのペルージャ北側と、次の町オルヴェエートは「イタリアの旅(4)」へつづく。
王宮内部
王宮内部


アーモ・イタリア旅行案内 観光ガイド
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取材:2008年9月