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イタリアの旅(2)
ルビコン川の周辺とサン・マリノ共和国

ドライブライン

サンマリノ教会堂 ラヴェンナ(Ravenna)からルビコン(Rubicone)川へ行くにあたって詳細な地図を探した。ロード・マップは本屋や駅の売店、高速道路のサービスエリアなどで手軽に手に入るが、ルビコン川が載った地図はない。そこでラヴェンナの地図専門店を探し、やっと見つけた5万分の1の地図でルビコン川を見つけた。それはラヴェンナから南へ約40km、リミニ(Rimini)の北約10kmの地点にあった。
広い砂浜に恵まれた海岸線にあるリミニの町はホテルやレストランなどで賑わうリゾート地であった。このリミニの町外れから30kmほど上った崖の上に堅固な城壁に囲まれたサン・マリノ共和国がある。その小さな国、サン・マリノ共和国から田舎道を辿って約50km、ルネッサンスの巨匠ラファエロの生誕地、二つの丘の上にルネッサンス時代の典型的な都市の外観を残すウルビーノの町を訪れた。


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ドライブライン

<コース>
ラヴェンナ(Ravenna)−ルビコン(Rubicone)−リミニ(Rimini)−サン・マリノ(San・Marino)共和国−ウルビーノ(Urbino)
行程 約200km

ルート付近のリンクポイントをクリックしてみてください

<ルート付近のリンクポイントをクリックしてみてください>



●ルビコン川(Rubicone)

ラヴェンナから国道16号線を南下。リミニ(Rimini)へ近づいたことを知らせる標識から車の距離計をみながら慎重に走る。アドリア海まで約500mというのに、広い河口もなく、大きな橋が架かっているわけではない。交通量の多い国道ではのろのろ運転も停車もできないので見過ごさないように注意しながらのドライブだ。行きすぎは禁物なので、少し手前かと思えるインターチェンジを出て、ローカル・ロードを南下する。国道沿いの橋を見つけ“Rubicone”の標示を見つけたときは思わず「あった!」と大声をあげていた。

教会のある小さな村で橋の在りかを聞いた
教会のある小さな村で
橋の在りかを聞いた

ルビコン川の標識
ルビコン川の標識

紀元前49年1月12日、ユリウス・カエサルが第13軍団の兵士とともに渡ったルビコン川は当時、ローマと北伊属州の境界線であった。そこで大河を想像しがちだが、河口付近で川幅は約20m、実際には水の流れるところは広いところでも5〜6mだ。
「高さ1メートルほどの土手にあがると、飲料の容器や布きれなど散乱するゴミがやたら目につくが、生い茂って覆い被さる草がじゃまして水面はほとんど見えない。」と塩野七生著『ローマ人の物語』の旅(新潮社)で描かれているが、嬉しいことにゴミは見あたらなかった。

ルビコン川はこのすぐ先で海へ注ぐ
ルビコン川はこのすぐ先で海へ注ぐ
川に沿って遡ると細い流れに変わる
川に沿って遡ると
細い流れに変わる


国道を出て川沿いの道に降り、川を遡ることにした。間もなく、まるで農道のような道が川に沿って続く。約5km走ったところ、川沿いに幾つかの民家があり、バール(Bar)も一軒あった。店の中ではビールやお茶を飲んだりカードゲームを楽しむ10人くらいの男たちがいた。そこでルビコン川について尋ねると「ここから4kmほどのところに、ローマ時代の橋がある。古い歴史のことだ。それがカエサルと関係あるかどうかは知らないがね」と教えてくれた。
高速道路A14の高架線道をくぐり、鉄道の踏切をわたるとサヴィアーノ・スル・ルビコネ(Savianano・Sul・Rubicone)という町に着いた。
この町を流れる川こそ「賽は投げられた!という有名な言葉が発せられ」「兵士たちも、いっせいの雄叫びで応じた。」そして、「先頭で馬を駆るカエサルにつづいて、一団となってルビコン川を渡った。」(『ローマ人の物語』より)ところなのだ。

補強されてはいるがローマ時代の橋は健在でした
補強されてはいるがローマ時代の橋は健在でした
昔の石組みが見えるようになっている
昔の石組みが見えるように
なっている


アーチ型の橋脚を持つ石造りの橋は「ローマ時代からのもの」と地元の年配者が教えてくれた。水辺の植物に覆われた現在のルビコン川は、橋の近くが整備され、川へも降りられるが水は少なく、草に隠れがちだった。橋は修復されていたが、見る人に「ローマ時代の橋」と分からせるよう補強された石のアーチの横に、古いアーチの一部がわざわざ見えるように土手を削って分かりやすくしてあった。2000年前の軍勢が雄叫びとともに橋を駆け抜ける光景が、映画のスクリーンを見るように脳裏を駆けめぐる。
「ルビコン川を渡る」と言っても、高い技術力のあるローマの工兵(石工)なら橋を架けたり、補強するのはたやすいだろう。リスクを冒して下流の湿地帯を歩く軍勢はいない。
橋のたもとにはユリウス・カエサルの大きな像が立っている。1991年建造とある。地元有志と研究者グループ名が刻まれていた。橋がローマ時代の物かどうか確証はないが、町は石畳の道が続き、古い教会もあり、かつての街道筋だったことを偲ばせる。
橋のたもとのカエサル像
橋のたもとのカエサル像

サビアナーノのルビコン川に架かる橋のたもとにカエサル像はあった
サビアナーノのルビコン川に架かる
橋のたもとにカエサル像はあった

カエサル像の後ろにあったプレート。このグループが作ったと分かる
カエサル像の後ろにあったプレート。
このグループが作ったと分かる


カエサルが進んだ方向へ、自転車の老人も走っていきました
カエサルが進んだ方向へ、自転車の
老人も走っていきました

河口には綺麗なビーチが広がっていた
河口には綺麗なビーチが広がっていた
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●サン・マリノ共和国(San・di Marino Requbblica )

60平方km、人口約3万という世界で最も小さい国家の一つであり、世界最古の共和国でもあるサン・マリノは、起伏の激しい砂岩の山稜にある。
4世紀初頭、ローマ皇帝によるキリスト教徒迫害を逃れるため、マリーノという石工がこの地にこもり、信徒を集めて共同体をつくったのが、建国のはじまりだといわれている。共同体は教会や城を建て、堅固な城壁で町を築き、やがて中世になっても、この標高749mの断崖絶壁の山、ティターノ山頂の自然の要塞を利用した。外敵の侵入を防ぎ自由と独立を守り続け、1631年にローマ法王より独立が認められた。さらに1862年、イタリアとの友好善隣条約を結び近代国家として今日に至っている。

長閑な農地の先、山の上ににサンマリーノが見えた
長閑な農地の先、山の上に
サンマリーノが見えた

一気にケーブルカーで“中心街”へ
一気にケーブルカーで“中心街”へ
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リミニ町外れからサン・マリノ方面への標識に従ってアドリア海を背に内陸に向かうと、間もなく道は上り坂となって行く。約10km続いて農村地帯を過ぎると突然、道はヘアピンカーブとなった山道を上る。国境などもちろんない。間もなく山頂へ上るケーブルカーの乗り口に出合う。車はここまでだ。住民はこの上に駐車場を持つ人もいるが、何分にも岩山の上にある古い町である。観光客のための駐車スペースなどはないだろう。
駐車場は無料だが、スペースは広くない。

ケーブルカーを降りるとすぐにレストラン街
ケーブルカーを降りる
とすぐにレストラン街

どこを歩いても土産物、食べ物の店です
どこを歩いても土産物、
食べ物の店です


リベルタ広場はサンマリノ随一の名所です
リベルタ広場はサンマリノ
随一の名所です
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坂ばかり。休み休みの観光です
坂ばかり。休み休みの観光です

サンマリノ教会堂
サンマリノ教会堂
城門脇の標示
城門脇の標示

今年(2008)7月に世界遺産に登録されたサン・マリノの首都は、崖の上に突き出すように聳える要塞の塔や教会、政庁舎のリベルタ広場を中心に、聖堂、修道院や、狭い路地には土産物屋、レストラン、茶屋などがぎっしりとつまり、まるで箱庭のようだ。東にリミニの町やアドリア海の青い海が広がる。西にはイタリアの農村風景が見渡せ、岩山を吹き上げて来る風が心地よい。
見どころというのは意外に少なく町そのものが絵になるところだ。この国を支える産業は観光だが、特に有名なのは切手販売で、デザインのすばらしさと種類の多さで収集家の間ばかりか、世界中で人気がある。売り上げは国家収入の3分の1を占めるというのだから凄い。
展望レストランの入り口。岩の割れ目は橋が架かっていた
展望レストランの入り口。
岩の割れ目は橋が架かっていた


展望は抜群ですが良い席はなかなか取れません
展望は抜群ですが良い席は
なかなか取れません

レストランからリミニ、アドリア海方面
レストランからリミニ、アドリア海方面
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山の天辺に城がある。見学もできる
山の天辺に城がある。見学もできる
崖っぷち。柵もないレストラン
崖っぷち。柵もないレストラン

●ウルビーノ(Urbino)

ラファエロの生誕地として知られる古都ウルビーノもまた世界遺産のひとつである。
サン・マリノから約40km。丘陵地帯の細々とした田舎道を辿って着いた町は、二つの丘の上に城壁に囲まれて建てられていた。
イタリアの地方に点在する古都(観光地)のほとんどはツーリストの車は進入禁止だ(駐車場のあるホテルへの宿泊者を除く)。町の入り口に道路標識があり、違反した場合は高額な罰金が科せられるので注意。
ウルビーノも同じで、城壁の外に駐車場がある(路上も含め駐車スペースはすべて時間制で有料)。城壁の門をくぐり、長い坂道を上る。

町へのゲート
町へのゲート
ウルビーノは坂の町。大学付近も石畳の坂
ウルビーノは坂の町。
大学付近も石畳の坂


13世紀、この地方の貴族モンテフェルトロ家の領土であったころ文化と芸術の街として栄えた。その後、15世紀に在位したフェデリコ・ダ・モンテフェルトロは熱烈な芸術文芸の保護者であった。フェデリコは政治も学問芸術にも理解が深く、ルネッサンスの理想の君主として、その名声は全ヨーロッパに広がった。芸術の町、ウルビーノもそのひとつであった。ラファエロ・サンティの父ジョバンニ・サンティが文人として活躍した。現在も、金銀細工、陶芸、古本の修理、楽器からアンティーク家具まで、製造や修理といったものが盛んに行われている。

ウルビーノは城壁に囲まれた町でもある
ウルビーノは城壁に囲まれた町でもある
路地も急な階段が多い
路地も急な階段が多い

●国立マルケ美術館(Galleria Nazionale delle Marche)

街の中心部にあり、建物は15世紀、ルネッサンス時代最も優れた建築物といわれるドゥカーレ宮(Palazzo Duceale)の中にある。宮殿の広間や居間には中世ルネッサンス時代の絵画や彫刻が展示されている。30室以上の部屋はテーマごとに、彫刻、フレスコ画、絵画などに分けられている。なかでも絵画はイタリアの絵画史を語る上でも重要なものとなっている。

●ドゥオーモ(Duomo)

マルケ美術館の隣りに位置するのは、18世紀後半から19世紀初めにネオクラシック様式に建て替えられた聖堂で、内部の礼拝堂にはバロッキ作『最後の晩餐』がある。
教会の右側廊にはアルバーニ博物館(Museo Albani)が併設されている。館内には、13世紀にイギリスで造られたというブロンズの聖書台の他、復活祭用の大燭台、バロッキの作品や、古書、聖歌集などが展示されている。

町のあちこちからドゥオーモが見える
町のあちこちからドゥオーモが見える
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ドゥオーモは美術館の隣。ドゥカーレ宮とほぼ同居
ドゥオーモは美術館の隣。
ドゥカーレ宮とほぼ同居


●レプッブリカ広場(Piazza della Repbllica)

町の4つの主な通りの起点となっている広場。この広場に面して建つのは、18世紀建造のラファエロ大学だ。
広場の奥、大学と向かい合うような建物は同じ18世紀の建築のアルマーニ宮(Palazzo Albami)で、広場にはカフェのテーブルが出て賑わっている。
レプッブリカ広場から延びる道々が賑やか
レプッブリカ広場から延びる道々が賑やか

●ラファエロの生家(Casa Natale di Raffaello)

レプッブリカ広場から西北に向かって延びる坂道を、ラファエロ通りといい、ウルビーノの町の中心ともいえるところ。裁判所の前にある。この時は残念ながら外装修理のため、大きな布で囲われていた。しかし、内部を公開中だった。

ラファエロの生家。公開されているが外部は修復中だった
ラファエロの生家。公開されているが
外部は修復中だった

ラファエロ通りの標示
ラファエロ通りの標示

ラファエロは、ウルビーノの画家ジョバンニ・サンティの子として生まれ、少年時代に父親の知り合いであったペルジーノに弟子入りした。そして、21歳のとき、彼はフィレンツェに移り住んだ。ここでレオナルド・ダヴィンチやミケランジェロと出会い、盛期ルネサンスを代表する芸術家のひとりとなった。
宮廷や教会の装飾画家、祭壇画に傑作を多く残したが、聖母像の絵も多い。なかでもヴァチカンのサン・ピエトロ寺院のラファエロの間の「アテナイの学堂」は多くの人が知っている代表作だ。

生家は15世紀の建物で、3階建て中庭もある当時の裕福な家の造りで、誕生した部屋の天井にはラファエロ自身が若い時に描いたといわれる『聖母子像』のフレスコ画がある。

ウルビーノには、8世紀に建てられたという町で最も古い木組みの天井を残すサンジョヴァンニ祈祷堂(Oratorio San Giovanni)などもある。坂道が多い町だが、城壁に囲まれた旧市街は半日ほどで充分歩いて見学ができる。


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取材:2008年9月