山頂からは東に木之本の街並みと、その遠くには小谷城のあった山も見える。眼下に臨む余呉湖を取り巻く山脈は柴田勝家が最初に陣取った中尾山(木之本と敦賀の県境)、その部下で尾山(金沢)城主佐久間盛政が前田利家勢との壮絶な戦いで最期を遂げたという大岩山が湖畔の右に小さく見える。
また、羽柴勢が砦を置いた天神山、余呉湖の北側に延びる北国街道周辺の山々など見渡す限りが戦場だったのだ。今は樹木に覆われた山々も、当時は丈の短い灌木や笹藪だったそうだが、現在のように整備された登山道などなかった時代のことである。
3月12日(陰暦5月3日)から約40日間続いた戦い、最初はまだ雪の中をかき分けての行軍でもあったという。鎧兜の重装備で1日40kmも歩いたという兵士の記録もある。
標高は決して高くはないが、連なる山中に砦を築き、激しい合戦が行われたとは、いまはとても想像すらできない穏やかで美しい風景が広がっていた。
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