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広島に残る古い町並み(2)
鞆の浦・尾道・竹原

ドライブライン

尾道の旧・高級住宅地は急坂にある 福山市には瀬戸内に大きく張り出した半島の先端に、潮待ちの港として賑わった鞆の浦(とものうら)の町がある。朝鮮通信使も潮待ちのため何度も立ち寄ったという港は、備後十万石の城下町でもあった。北前船が出入りした港には、今も昔の常夜灯が建っている。坂道を上れば数々の寺や武家屋敷跡が城下町の風情を残す。
尾道は「坂を振り返れば海がある」また「海が見えた、海が見える」とは、瀬戸内海に浮かぶ島々を愛おしんだ林芙美子の『放浪記』の一節である。商港であった尾道は、港の北には山が迫り、その山に向かって寺やかつては裕福だった商人たちの住居が建ち並ぶ。
そして約30km西には、白壁、入母屋の屋敷が並ぶ、塩の生産で栄えた竹原の町並みに出合う。現代から江戸時代へのタイムスリップを繰り返しながらのドライブだ。


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ドライブライン

<コース>
広島市−(山陽自動車道)−福山東IC−鞆の浦−尾道−(国道2号線)−竹原−(国道2号線)−広島市
行程 約250km

ルート付近のリンクポイントをクリックしてみてください

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●国宝・明王院

山陽自動車道を福山東ICで降りて、国道2号線を尾道方面へ少しもどると芦田川に出合う。橋を渡ると山肌に朱塗りの大きな「草戸稲荷」神社が目を引く。元は明王院の鎮守社だったそうだが、隣接する重厚で美しい国宝の明王院とは対照的な派手さに驚かされる。

福山・芦田川に近い明王院。五重塔と本堂。ともに重文指定
福山・芦田川に近い明王院。
五重塔と本堂。ともに重文指定

明王院の隣にある派手な草戸稲荷
明王院の隣にある派手な草戸稲荷

明王院の境内はほとんどが山林で、山に向かって長い石段を上ると四脚門があり、その門をくぐると正面には鎌倉末期建築の本堂(国宝)がある。本堂に向かって右には庫裡、中門、書院などが建つ。左には、これまた国宝である五重塔。古い鐘楼、蔵がある。
是非立ち寄ってみたいところである。

この明王院の前、芦田川には「草戸千軒」といって鎌倉時代から室町時代に、港町として商業・生産活動が活発な町があった。しかし、江戸時代初期の大洪水で消滅したという記録がある。平成の遺跡調査で実際に門前町が存在したことがわかった。

●鞆の浦

芦田川に沿って県道22号線を瀬戸内海へ向かって約10km、昔の港町の面影を残す鞆の浦に着く。十万石の城下町でもあり、瀬戸内海の交通の要衝として栄えた町である。
瀬戸内に半島のように突き出た鞆の浦は、干潮から満潮へは半島に向かって潮が流れ、満潮から干潮へは潮の流れは逆になる。潮流を利用して航行する船が、鞆の浦の港で潮の流れを待つ「潮待ち港」でもあった。
鞆の浦
鞆の浦

懐かしいボンネット・バスも現役
懐かしいボンネット・バスも現役
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江戸時代からの船具店
江戸時代からの船具店

港町特有の狭く入り組んだ道に商店や民家がびっしりと建ち並び、車同士のすれ違いも大変な町だ。海岸通りには広い駐車場(有料)がある。狭い町なので、観光は徒歩だ。

●福禅寺・対潮楼

港の高台に建つ福禅寺は平安時代に創建されたとされている。江戸時代に寺の客殿として建立された対潮楼は朝鮮通信使のための迎賓館として使用された。通信使がこの客殿からの眺望を「対島から江戸までの道中で、一番美しい景勝地」と称賛し、その書を残したことから「対潮楼」と名付けた。境内からも、あまりの美しさに仙人も舞い降りたという「仙酔島」が見渡せる。

鞆の浦・福禅寺
鞆の浦・福禅寺
仙酔島(後ろ)と弁天島
仙酔島(後ろ)と弁天島

●常夜灯

江戸時代の灯台で灯籠燈(とうろうどう)とよばれている。高さが11mもあり、港の常夜灯としては日本一。もちろん町のシンボルでもある。
この常夜灯の一帯が、古い町並みだ。

鞆の浦の船着き場
鞆の浦の船着き場
鞆の浦港の灯台を兼ねた燈籠。安政6年(1859年)に再建された
鞆の浦港の灯台を兼ねた燈籠。
安政6年(1859年)に再建された


●太田家住宅

江戸初期に薬味酒・保命酒の醸造をはじめた旧保命酒屋の建物で主屋や保命酒醸造蔵など9棟からなり、四方を道路で囲まれている。天明8年(1788)から10年ほどかけて酒醸造所や蔵などが建てられ、明治期に太田家が受け継ぎ今日に至っている。
平成3年(1991)に国の重要文化財に指定され、平成8年(1996)から6年の歳月をかけて保存修理事業が行われた。

太田家住宅(重文)
太田家住宅(重文)
太田家の祖先は薬用酒で財をなした
太田家の祖先は薬用酒で財をなした

太田家の蔵
太田家の蔵
衣装蔵の中央が掘られ“金庫”になっていた
衣装蔵の中央が掘られ“金庫”になっていた

港から北へ歩くと寺町通りだ。中国風の風変わりな山門の南禅坊、鎌倉時代に創建され、南北朝に足利尊氏により安国寺と改称された寺。堂内には国の重要文化財である木造法燈国師座像が安置されている。この通りの寺だけでも20数寺あり、さらに京都の八坂神社の歴史とほぼ同格の格式を誇り、豊臣秀吉が愛用したという能舞台(国の重要文化財)のある沼名前神社もある。

●尾道

「尾道の海はなつかしい。汽車が尾道の海へ・・・赤い千光寺の塔が見える、山は爽やかな若葉だ・・・」林芙美子『放浪記』の一節だ。古くから港町として栄え、運河のように穏やかな尾道水道の海岸線まで山が迫る。海岸通りの商店街からJR山陽本線の踏切を渡った山麓の斜面には寺院や民家が軒を連ねる坂の町である。
この起伏に富んだ斜面にへばりつくように建つ寺や土塀、石垣、そして民家の瓦越しに臨む瀬戸内の景観は、尾道そのものである。
尾道の旧・高級住宅地は急坂にある
尾道の旧・高級住宅地は急坂にある
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●千光寺

千光寺本堂舞台から尾道市街、しまなみ海道・尾道大橋
千光寺本堂舞台から尾道市街、しまなみ海道・尾道大橋

ロープウェイで千光寺山へ
ロープウェイで千光寺山へ
千光寺・本堂は観光客に人気
千光寺・本堂は観光客に人気

尾道水道を真下に見下ろす千光寺山(144m)のほぼ山頂にある開運厄除祈願寺。一帯は公園になっている。尾道の風景を楽しむには、ロープウェイでこの山の山頂付近まで上る。寺の町でもある尾道には三つの塔があり、その一つ、天寧寺の塔越しに見る町の佇まいは千光寺からの代表的な風景だ。さらに港町として栄えてきた東西に延びる尾道の町の町並みが箱庭のように望められ、東には尾道大橋と「しまなみ海道」の尾道新大橋が重なり合うように続く。
千光寺より、地図を片手に、神社、路地、記念碑や民家の塀沿いや窓辺の咲く花々などを眺めながらゆっくり散策しよう。千光寺から中腹までの小道は「文学の道」と呼ばれ、林芙美子や志賀直哉、正岡子規など、尾道ゆかりの文人たちの石碑に出会う。もう少し下ると「志賀直哉旧居」(現、文学記念館、TEL 0848-23-6243)がある。

尾道・天寧寺
尾道・天寧寺
天寧寺の五百羅漢
天寧寺の五百羅漢

天寧寺・海雲塔(重文)
天寧寺・海雲塔(重文)
尾道地方で最も古い磨崖仏(千光寺)
尾道地方で最も古い磨崖仏(千光寺)

その他、映画のセットのような町は、昔から多くの映画のロケ地にもなっている。尾道三部作といわれた「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」という作品の撮影は、この町で行われた。これらの映画の監督である大林宣彦監督の実家が、尾道であり、入り組んだ狭い坂道の途中にある。
しかし、昔は石畳だった路地や細い石段が続いた道はコンクリートだ。昔は豪商や商人たちの別邸であった家々は人手に渡り、若者が去っていく。車が乗り入れられない狭く急な坂道は老人の生活にはつらい。リュックを背負い、買い物でいっぱいになったスーパーの袋を両手に提げて息を切らしながら登ってくる老婦人は「いつまでこの家に住めるのか心配です」といっていた。 「坂を振り返れば海がある」と林芙美子はいった。だが、いまは海岸沿いに建ち並ぶビル、無数に張り巡らされた電線の向こうに振り返っても海は見にくい。坂の町、ノスタルジックな尾道の風景よ、いつまでもと願う。

風呂屋を廃業、商店に。脱衣駕籠も巧みに利用
風呂屋を廃業、商店に。
脱衣駕籠も巧みに利用
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魚を商う
魚を商う

尾道商店街入り口にある“放浪記”作家、林芙美子像
尾道商店街入り口にある
“放浪記”作家、林芙美子像

尾道では山側にあるお寺を見るためにこんな踏切も渡った
尾道では山側にあるお寺を
見るためにこんな踏切も渡った


でべら、とは何だ?タマカンゾウヒラメの干物です
でべら、とは何だ?
タマカンゾウヒラメの干物です

これが「でべら」です。ちょっと炙ると芳ばしく珍味です
これが「でべら」です。
ちょっと炙ると芳ばしく珍味です


●竹原

町の歴史は、遠く平安時代に遡るが、現在残る町並み保存地区は、江戸時代製塩業で成功し財をなした商人たちの屋敷が軒を連ねている。安芸の小京都と呼ばれている町家の特徴は、各戸にそれぞれ工夫を凝らした「格子」が見られることだ。
格子が太く、着脱できるものや二階の窓などにはめ込んだ塗格子など、出格子、平格子、塗格子に分けられるという。

町家の格子
町家の格子
町家の格子
町家の格子

町家の格子
町家の格子
町家の格子
町家の格子

町家の格子
町家の格子
初代竹原郵便局跡。「書状集箱」は1871年郵便事業当時と同じ形。ポストはいまも利用できる
初代竹原郵便局跡。「書状集箱」は1871年郵便事業
当時と同じ形。ポストはいまも利用できる


製塩や酒造業で栄えた屋敷と由緒ある寺の町は、町の中心部を走る本町通り、狭い路地に高い塀や長屋門のある大小路(おおしようじ)、ゆるいカーブの道の両側に漆喰の平入りの町家が並ぶ板屋小路(いたやしょうじ)や古くから水路の通る中ノ小路(なかのしょうじ)、その他、山側に由緒ある寺院がある。狭い町ながら当時の町並みや人々の暮らしぶりが一度に見ることができる貴重な町である。

竹原の伝統的建造物保存地区
竹原の伝統的建造物保存地区
松阪家住宅
松阪家住宅

竹原は塩で栄えた。古い町並み(手前)の先からは全て塩田だったという
竹原は塩で栄えた。古い町並み(手前)の
先からは全て塩田だったという

竹原の古い町並みはこじんまりと落ち着いている
竹原の古い町並みはこじんまりと
落ち着いている
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竹原小早川氏代々の子弟の学問所であった照蓮寺から延びる本町通りには儒学者頼山陽の祖父頼惟清が紺屋を営んでいた白壁格子の町屋をはじめ、出格子の吉井邸や塗り込め窓の松阪邸及びハイカラな洋館の歴史民俗資料館が並ぶ。 大小小路の春風館・復古邸は竹原で医者を開業していた頼山陽の叔父、頼春風の邸宅で武家屋敷風の数寄屋風建築で国の重要文化財だ。(江戸末期の学者頼山陽は、生まれは大阪だが、祖父、叔父など竹原に居を構えていた。頼山陽はたびたびこの地を訪れていた)

照蓮寺は竹原の名刹。銅鐘は重文指定
照蓮寺は竹原の名刹。銅鐘は重文指定
頼山陽の祖父・惟清邸
頼山陽の祖父・惟清邸

復古邸と大小路
復古邸と大小路
竹鶴酒造。ニッカウヰスキー創設者、政孝氏の生家
竹鶴酒造。ニッカウヰスキー創設者、
政孝氏の生家


繊細な千本格子の亀田邸、市の重要文化財の森川邸、江戸中期から続く酒造元小笹屋など竹原町には、約40軒もの古い家が建ち並び、江戸時代へタイムスリップしたようだ。
また普明閣(西方寺)の観音堂は京都の清水寺の舞台を模して建てられたといわれ、朱塗りの美しい観音堂からは、甍の屋根が続く古い竹原の町が一望される。
/問い合わせ 竹原市観光協会、TEL 0846-22-4331

竹原の西方寺普明閣。清水の舞台を模したという
竹原の西方寺普明閣。
清水の舞台を模したという

普明閣から見る竹原の町。手前の町並みの先は全て塩田だったという
普明閣から見る竹原の町。
手前の町並みの先は全て塩田だったという


竹原から広島への海には牡蠣棚が並んでいた
竹原から広島への海には牡蠣棚が並んでいた



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取材:2008年5月