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広島に残る古い町並み(1)
世界遺産「石見銀山」

ドライブライン

錦帯橋 広島といえば、悲惨な第二次世界大戦が思い出される。その平和記念公園にある「原爆ドーム」は、世界遺産となり、いまも毎日世界の恒久平和を祈る人々が大勢訪れる。60年の時は流れ、市内には高層ビルやホテル、官公庁が建ち並び、日本のどこにでもある都市風景とかわりない。

遠い昔、戦国時代の武将毛利元就とその子孫ゆかりの地である広島は、村上水軍が暗躍した瀬戸内の複雑に入り組んだ長い海岸線を持つ。尾道から今治への「しまなみ街道」を結ぶ島々はもとより、朝鮮通信使が潮待ちしたという港町鞆の浦(とものうら)や、塩の生産地として栄えたを竹原の古い町並を残す。さらに内陸を通って日本海へ抜ける街道には、上下(じょうげ)という町がある。まだ観光の町としての知名度は高くはないが、石見銀山から尾道へと続いた銀山街道の中継地で、かつて金融の町だったという珍しいところでもあった。
平成19年(2007)ユネスコの世界遺産に登録された「石見銀山」(島根県)へは約150kmだ。今の網羅された高速道路では広島から日帰りのコースの道のりを、徒歩で運ばれた銀は、尾道港から船積みされ大坂へと向かった。


サムネイル1 サムネイル2 サムネイル3 サムネイル4 サムネイル5 サムネイル6

ドライブライン

<コース>
広島市−(国道2号線)−岩国錦帯橋−広島市−(広島自動車道)−(浜田自動車道)−大朝IC−(国道261号線)−石見銀山−(国道375号線)−三次市−(国道184号線)−上下町−府中市−広島市
行程 約450km

ルート付近のリンクポイントをクリックしてみてください

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●原爆ドームと広島平和記念公園

ヒロシマの原爆ドーム
ヒロシマの原爆ドーム

昭和20年(1945)8月6日午前8時15分、投下された原爆によって広島の町は消えた。語り尽くされても尽きない悲惨な事実を伝え続けようと、昭和42年(1967)から3回の保存工事が行われてきた原爆ドーム。平成8年(1996)核兵器廃絶と人類の平和へのシンボルとしてユネスコの世界遺産に登録された。
元安川と本川を挟んだ中州には平和記念館や原爆死没者慰霊碑をはじめ平和記念像から国際会議場などの施設が、広い緑の公園にある。この公園には市民の平和に対する思いが込められているばかりか、世界平和への祈りの聖地ともなっている。
平和記念資料館は本館、東館の2つに別れ、本館には原爆の恐ろしさを伝えるさまざまな資料が収集されている。東館では被爆前から現在に至るまでを紹介。ビデオシアターでは原爆の記録映画が上映されている。
/入館料 50円 、TEL 082-241-4004

原爆ドームと修学旅行生
原爆ドームと修学旅行生
平和記念公園
平和記念公園

賑わう夜の繁華街
賑わう夜の繁華街
活きた穴子をさばき、少しあぶった特殊な刺身
活きた穴子をさばき、少しあぶった
特殊な刺身


●錦帯橋

川面にもアーチ。夕暮れの錦帯橋
川面にもアーチ。夕暮れの錦帯橋

広島市街から約40km、岩国市にある五輪の反りが特徴の日本を代表する木造の橋で、国の名勝に指定されている。延宝元年(1673)、三代岩国藩主である吉川広嘉によって建造されたが、翌年洪水により一部が流失。しかし、その年には直ちに再建され、以来276年もの間、老朽による架け替えが行われたが流失することもなかった。
ところが昭和25年(1950)不落を誇った錦帯橋が台風による錦川の大増水で流失してしまった。3年後の昭和28年(1953)再建されたが、平成13年(2001)架け替え工事が行われ、平成16年に現在の橋が完成した。
錦帯橋
錦帯橋
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だが、僅か1年半も経たない平成17年(2005)9月の台風14号の豪雨により、新しい橋の橋杭が2本流失した。橋のたもとに並ぶ食堂の女将さんは、「上流から車や冷蔵庫、家具などが激流にのって流されてきた」とその時の洪水の恐ろしかったことを話してくれた。
平成18年に修理工事も完成し、現在は元の姿を見せている。
/渡橋料 300円、問い合わせ岩国市観光課、TEL 0827-41-1477

●岩国城

錦帯橋から見上げる横山山頂に建つ城は、慶長13年(1608)初代岩国藩主吉川広家が築城したもの。蛇行した錦川に囲まれた山頂は天然の要害の地でもあったが、幕府の一国一城令により、僅か7年で取り壊された。現在、高く聳える天守閣は昭和37年(1962)に復元されたもの。天守閣へはロープウェイで上れる。
/ロープウェイ往復料金 540円
  問い合わせは錦帯橋と同じ。
岩国美術館
岩国美術館

○紅葉谷公園と吉香公園

錦川の対岸、錦帯橋を渡った横山の麓にある2つの公園は、一般的な観光コースから少し離れたところにあるため、訪れる人も少なく、この界隈はいつも静寂を保っている。濃い緑に包まれ、秋には見事な紅葉に彩られ四季の美しさは、岩国の中でも随一ともいわれている。また、吉川藩主代々と一族の豪壮な墓所もあり、かつての武家屋敷跡も多く残されている。
錦帯橋と平行して車も通れる橋があり、駐車場も完備しているので、錦帯橋ばかりではなく、ぜひ訪れたいところだ。

●紅葉谷公園

一帯は、昔、寺谷ともいわれ寺院が多く集まっていたところ。これら寺院の庭園を大正時代に公園として整備したという。樹齢300年を越える枝垂れ梅「臥龍の梅」(がりょうのうめ)をはじめ、約10本の梅の古木がある。公園内には、吉川藩主一族の墓やゆかりの寺である洞泉寺やエキゾチックな建物「六角亭」などがある。
六角亭は古くから韓国で、身分の高い人々が、景観の良いところに建て憩いの場所として利用していた。この六角亭は、岩国出身で朝鮮総督を勤めた長谷川好道元帥が、朝鮮から贈られたものを大正7年(1918)にここに移築したものだ。

吉川家墓所
吉川家墓所
六角亭
六角亭

●吉香公園

明治18年(1886)旧岩国藩主吉川家の居館跡を公園として開放。このとき、旧藩時代の矢倉に似せて造られたのが堀に面して建つ錦雲閣と呼ばれる「絵馬堂」だ。
この園内には岩国藩家老香川氏の長屋門が残されている。門は表門で元禄6年(1693)に建てられ、岩国市の建造物としては、最も古いものの一つでもある。
また江戸時代中期に建てられた中流武家の屋敷「目加田家住宅」(国の重要文化財)などがある。さらに園内の奥には岩国藩吉川藩主歴代の神霊を祀る吉香神社がある。社殿は享保13年(1728)横山の白山神社内に造営され、明治18年(1886)に旧城跡の現在地に移築された。本殿、拝殿、神門が同一時期の建築で揃っているのは大変貴重とされ、国の重要文化財に指定されている。

錦雲閣
錦雲閣
吉香神社
吉香神社

吉香公園に近い武家屋敷跡
吉香公園に近い武家屋敷跡
目加田邸
目加田邸

武家屋敷跡。洪水に備え石垣がある
武家屋敷跡。洪水に備え石垣がある
「美しき天然」の作曲者、田中穂積の像
「美しき天然」の作曲者、田中穂積の像

●石見銀山

銀山遺跡がユネスコの世界遺産に登録(平成19年6月28日)されてから約1年、にわかに脚光を浴びどっと観光客の数も増えた。
以前は、現在公開されている鉱山の入り口付近まで車が乗り入れられたが、世界遺産になってからはバスのみになった。だが、このバスも今年のゴールデンウイークから乗り入れ禁止となっている。太田市の観光協会では5月31日までの期間だけとしているが、急増したバスなどの排気ガスや騒音のため、地元住人等との話し合いはついていないということらしい。
出かける前には確かな情報を手にいれることが必要。また、銀山へ向かう国道261号線沿いにある景勝地断魚渓を車を駐めて覗いてみよう。
見物用の坑道から横に掘られた採掘坑。這って動くスペースだ
見物用の坑道から横に掘られた
採掘坑。這って動くスペースだ


石見銀山に近い岩穴の五百羅漢
石見銀山に近い岩穴の五百羅漢
(画像をクリックすると拡大写真を表示します)

断魚渓
断魚渓
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坑道を間歩(まぶ)という。銀山には沢山の間歩があるが、このルートで公開されているのは「龍源寺間歩」だけ。山の奥にあるため、距離にして片道3.2kmの登り坂を歩く。所要時間約50分。間歩見学や休憩時間を加えると往復3時間は必要だ。

龍源寺間保(坑道)入り口
龍源寺間保(坑道)入り口
銀採掘を願ったのだろう
銀採掘を願ったのだろう

石見銀山は、いつ発見されたという正確な記録はないが、1300年ころには露出した自然銀のみを採っていた、という資料は見つかっているという。そして、大永6年(1533)、鉱山主・三嶋清右衛門が3人の技師を伴って採掘したのがはじまりと伝えられている。
毛利氏の直轄地だった銀山も関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康が、全国の都市や鉱山と同様に直轄地(天領)とした。銀山の資料によれば、慶長(1595〜)のころより人数20万人、米の消費量一日1,500石、馬車の往来昼夜を分たず、家は家の上に建て、軒は軒の下に連なり、とある。20万人の人は誇張らしいが、最高の産出量は年間1,340kgあり、260年間採掘が続けられた。いまでも樹木に覆われた中に、沢山の家々が建っていたと思われる石垣が残っている。

石見銀山の代官所跡
石見銀山の代官所跡
石垣は住居跡。全盛期には2万人も働いていたという
石垣は住居跡。全盛期には2万人も
働いていたという


城神神社(大森)
城神神社(大森)
隠れキリシタンの像と徳川家康が同居する勝源寺
隠れキリシタンの像と徳川家康が
同居する勝源寺


代官所が置かれた麓の町大森は、かつての繁栄を偲ぶ代官所跡や商家熊谷家住宅(国の重要文化財)上流層の屋敷や隠れキリシタン地蔵の安置された勝源寺などがあり、約800mの古い町並は国の重要伝統的建造物保存地区に指定されている。

●上下(じょうげ)町

三次への国道は狭い区間が多い
三次への国道は狭い区間が多い
赤いマークの右寄りに縦線を引くと上下と読めるのが自慢のシンボル
赤いマークの右寄りに縦線を引くと
上下と読めるのが自慢のシンボル


広島の内陸の都市、三次から東南へ約35kmのところにある古い町が上下町。代官所も置かれた幕府直轄の天領として、また石見銀山から銀を運んで尾道へ向かう銀山街道の中継地として栄えた町であり、地方の政治経済の中心地でもあった。上下という珍しい地名は、この町の中心部を流れる芦田川水系と江の川水系の分水嶺からついたという。
現在の商店街は、昔はさまざまな商いを営む店が軒を連ね賑わいをみせていた。そのころの名残を偲ばせる白壁の土蔵や町屋が並ぶ。なかでも江戸時代の町屋の一つで、昔は掛屋(幕府の公金を扱うところ)を営んでいた旧田辺邸は必見だ。陣屋も務めたという大きく立派な屋敷は、江戸末期には造り酒屋にも利用されていた。時代が進むにしたがい増改築が行われ、各時代の様式が見られる。
上下町の代官所跡。この付近が日本海と瀬戸内海の分水嶺
上下町の代官所跡。この付近が
日本海と瀬戸内海の分水嶺


上下の街並
上下の街並
上下一の豪商・田辺邸。橋には荷運び用にトロッコのレールがある
上下一の豪商・田辺邸。橋には
荷運び用にトロッコのレールがある


上下教会。元豪商の倉庫。十字架は避雷針に横棒を取りつけたという
上下教会。元豪商の倉庫。十字架は
避雷針に横棒を取りつけたという

上下人形。目のつり上がったところが特徴
上下人形。目のつり上がったところが特徴

その他、大正時代に建てられた劇場「翁座」は大正ロマンを偲ばせる。上下教会は明治時代、当時の財閥「角倉家」の蔵として建てられたが、戦後、キリスト教会に買い取られている。広島県文化百選定建築物となっている。

大正ロマンを偲ばせる翁座
大正ロマンを偲ばせる翁座
(画像をクリックすると拡大写真を表示します)

民話の郷。田山花袋「布団」のモデルとなった女性の家だった
民話の郷。田山花袋「布団」の
モデルとなった女性の家だった


歴史文化資料館となっている「旧岡田邸」は田山花袋の小説『布団』のモデルとなった岡田美知代の生家だ。花袋がこの家を訪ねたときの思い出を『備後の山中』に詳しく書いている。
/入館 無料、問い合わせ 上下町商工会 TEL 0847-62-3504

中国山地の農村
中国山地の農村



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ひろしまナビゲーター
広島観光コンベンションビューローによる。観光情報を検索したり、モデルコースの案内やムービーが見られる。
岩国市観光協会公式サイト
山口県岩国市の観光地や年間行事、名物、宿泊施設などを紹介。錦帯橋周辺のマップも用意されている。
石見銀山
世界遺産石見銀山の歴史や関連資料、ガイドマップなどが見られる。
上下町
町の見どころやイベント、食事どころ、宿泊施設などの情報のほか、観光案内のムービーがある。

取材:2008年5月