四十七士の君主である浅野家3代、そして浅野家の後に赤穂の藩主となった森家7代を祭る神社だったが、大正元年(1912)大石内蔵助及び四十七義士と江戸からお家の一大事を知らせにかけつけた萱野三平を合祀して創建された。
参道には等身大より大きい四十七士の討ち入り姿の石像が並ぶ。目にした瞬間、違和感のある義士像は“中国製”だった。
「中国産黒大理石製・兵馬俑工芸技術伝承者作製」とある。日本人の知る義士像とは髪型はもとより刀などの形や衣服と様子も違う。まるで中国の兵馬俑のようだ。
宮司に尋ねると「制作費の安い中国に依頼したから」と、また「たしかにお叱りをうけています。観光の像と考えて観てください」とも。複雑な気持ちであった。
|
 四十七士像
|