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姫路城から備前焼のふるさとへ(2)

ドライブライン

広々とした敷地に建つ閑谷学校の講堂 龍野町から揖保川の土手沿いに走る県道441号線を瀬戸内海へと下る。海岸沿いに相生へ抜ける国道250号線は通称“はりまシーサイドロード”と呼ばれ、好天に恵まれると穏やかな青い海に浮かぶ小島をながめながらの絶好のドライブ・ウェイだ。またこのあたりは梅林も多く、早春には潮風とともに甘い梅の香りが漂う。
この日はあいにくの雨空、フロントに激しく動くワイパーが視界を遮っていた。
途中宿をとった翌日は時折晴れ間ののぞくまずまずの天気だった。
忠臣蔵四十七士で名高い赤穂から、備前市へと向かった。


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ドライブライン

<コース>
龍野町−御津町−(国道250号線)−相生市−赤穂市−日生町−備前市−(国道2号線)−閑谷学校−(山陽自動車道)−姫路
行程 約150km

ルート付近のリンクポイントをクリックしてみてください

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●赤穂市

古くから塩の産地だった赤穂の海岸はすでに塩田の跡もなく、千種川の河口には海洋科学館や海水浴場、オートキャンプといった施設のある県立海浜公園となり、対岸には発電所や、整備された工業団地、ホテルなどが建ち並んでいる。
だが赤穂といえば「忠臣蔵」で有名な浅野内匠頭の居城と四十七士の屋敷跡などがある歴史の名所。

●赤穂城跡

赤穂城
赤穂城
赤穂藩初代城藩主であった浅野長直が慶安元年(1648)から13年の歳月をかけて築城した。泰平の世に建てられたので天守閣はない。
また変形輪郭式の珍しい造りで、本丸、二の丸、本丸と同一平面上に配置されている。だが、石垣を複雑に組み守りを固め、城から海へ舟を出せる工夫もされている。

明治に入って城塞は取り壊されたが、昭和30年(1955)に大手門や隅楼櫓などが復元された。国の史跡に指定されている。
/問い合わせ 赤穂市観光商工課、TEL 0791-43-6839

●大石神社

四十七士の君主である浅野家3代、そして浅野家の後に赤穂の藩主となった森家7代を祭る神社だったが、大正元年(1912)大石内蔵助及び四十七義士と江戸からお家の一大事を知らせにかけつけた萱野三平を合祀して創建された。
参道には等身大より大きい四十七士の討ち入り姿の石像が並ぶ。目にした瞬間、違和感のある義士像は“中国製”だった。
「中国産黒大理石製・兵馬俑工芸技術伝承者作製」とある。日本人の知る義士像とは髪型はもとより刀などの形や衣服と様子も違う。まるで中国の兵馬俑のようだ。
宮司に尋ねると「制作費の安い中国に依頼したから」と、また「たしかにお叱りをうけています。観光の像と考えて観てください」とも。複雑な気持ちであった。
赤穂城
四十七士像

境内には義士宝物殿があり、ここには日本製のなじみの義士たちの木像が安置され、内蔵助が討ち入りに用いた呼子笛や武具、書画などが収蔵展示されている。

●大石邸長屋門

城の回りには21義士宅の跡がある。ほとんどは屋敷跡の特定または発掘中だ。そんな中、復元された「近藤源八宅跡長屋門」や「大石邸長屋門」がある。
とくに浅野家筆頭家老大石内蔵助の一家三代が57年にわたり住んだ長屋は、間口約26.8m、奥行き約4.8mの建物で、屋根瓦には二双ッ巴の大石家の手紋がついている。

安政3年(1856)と昭和に2度の大修理や解体工事が行われているが、この長屋門は元禄14年(1701)3月、君主の刀傷による悲報を伝える早打ちがたたかれた門である。国指定遺跡となっている。
大石屋敷の門にあった
大石屋敷の門にあった

大石内蔵助屋敷の門
大石内蔵助屋敷の門
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赤穂武士の平均的な家(長井源八郎宅)
赤穂武士の平均的な家(長井源八郎宅)

●赤穂市立歴史博物館

赤穂歴史博物館
赤穂歴史博物館
城内本丸に近いかつての米蔵跡に建てられた土蔵風の建物。館内には江戸時代から近年まで続いた入浜塩田による塩つくりの製塩法をはじめ、製塩用具、作業の過酷さなどが説明展示されている。
「赤穂義士」コーナーでは芝居・絵画・出版物と、いまなお日本人の心を揺さぶる「忠臣蔵」の世界を紹介。三面マルチビデオによる“義士シアター”では文楽「仮名手本忠臣蔵」の一部を収録した映像を上映している。

●備前へ

再び国道250号線を西へ。赤穂から20kmほどにある日生(ひなせ)あたりは鹿久居島を近くに見る漁港などを眺めながら走る。だが残念なことに車を止め美しい風景を楽しむ場所はない。日生港からは鹿久居島、曽島、鴻島の間を縫って行き交う小豆島行きのフェリー乗り場がある。

静かな日生海岸はあいにくの雨
静かな日生海岸はあいにくの雨

備前市は日生から10kmほどだが、国道250号線の終点、JR赤穂線伊部駅を中心として焼き物の窯元、作家、陶商・陶材料店が約800ある。その一つ一つを探訪することはできないが、好みの作家の作品や由緒ある窯元を時間に合わせて訪ねるのもよいだろう。
ただし、窯元やこうした作家たちの仕事場は備前市内にとどまらず、かなりの広範囲に集中、あるいは点在しているので自分好みなど、あらかじめ下調べしておいた方がよい。幸い、大抵の窯元などには駐車場がある。

●備前焼

焼き物の六古窯といわれている瀬戸・常滑・丹波・越前・信楽と並ぶ一つとされる。
古墳時代の須恵器の製法が次第に変化し、元は素朴生活用品として作られたのがはじまりで、鎌倉時代には、主に山土を主体とした粘土のよる壺、甕(かめ)擂鉢が多く作られるようになった。当時からの無釉焼き締めの伝統を守り一千年の間、窯の煙は絶えたことがないという。
平安末期から鎌倉初期にかけて、茶道の流行で、土味を生かした土と炎の出会いのごく自然で素朴な味は日本美の原点であり、時代の風潮や流行を超越したものとして多くの人に愛されてきた。

備前焼の本拠、伊部の街
備前焼の本拠、伊部の街
備前焼・伊部の街
備前焼・伊部の街

これらの体制は江戸末期まで続いたが、このころになると京都、有田、瀬戸などの磁器の生産が盛んになり、備前焼は衰えていった。
現在の繁栄のきっかけは、故金重陶陽が現代の焼き方である「胡麻 (松割木の灰がが焼成中に作品に付着し、胡麻をふりかけたようになるもの)」や「牡丹餅(皿、鉢などの作品の上に別の作品を置いて焼成して、その部分だけが火があたらず赤く焼けたもの)」など様々な趣向をこらしたことから。また1250度の高温で約10日間も焼き付けるという技法で芸術性を高めたのだと、ある窯元で働く作家から聞いた。

陶匠たちが信仰する忌部神社
陶匠たちが信仰する忌部神社
備前焼の窯
備前焼の窯

備前の町は備前焼の窯元や作家の家、またこれらの作品を売る店ばかりが目につく。とくに伊部周辺には、ともすれば見落としそうな天津神社本殿と古い4基の北大窯跡があるのも知っておきたい。

窯元が店も出している
窯元が店も出している
土産は備前焼
土産は備前焼

●天津神社本殿と北大窯

応永18年(1411)以前の創建という。備前焼瓦で葺いた門、現代備前焼作家の陶印入り陶板を敷きつめた参道、初夏には紫陽花の花で埋める閑かな境内だ。
急な石段を上った奥に本殿があり、本殿の裏山の山道をさらに上ると北大窯の一基であった跡がある。採集資料から桃山時代の窯跡とされている。いまは立て札で窯跡の痕跡を知るしかない。
また天津神社周辺には全長45m、幅4.7mの江戸時代の窯跡の一部が保存されている。
参道に沿う民家の塀にも備前焼が飾られ、境内にも多くの焼き物が置かれている。
天津神社の瓦や敷石は備前焼だった
天津神社の瓦や敷石は備前焼だった

七福神も備前焼
七福神も備前焼
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伊部の民家にあった備前焼の猫よけ?
伊部の民家にあった備前焼の猫よけ?

●岡山県備前陶芸美術館

JR伊部駅の隣にあるこの美術館は千年の歴史を持つ備前焼について語り、古備前から現代に至る作品及びその資料を一堂に集め、展示している。
1階は備前焼入門展、2階は古備前名品展、3階は人間国宝の代表先品展、そして4階は現代作家の作品が展示されている。
備前焼とはどういうものかがよくわかるばかりか、なかなか見応えのある美術館だ。
/入館料 500円、TEL 0869-64-1400
備前陶芸美術館
備前陶芸美術館

●閑谷(しずたに)学校

伊部駅前を走る国道2号線を12km姫路方面へ戻ると三石のトンネルの手前で、旧閑谷学校への標識にしたがって左折。さらに2kmのところに特別史跡「閑谷学校」がある。
寛文6年(1666)備前藩主池田光政が庶民にために開いた道場でその2年後には手習い所を設けた。後に学校として統一、池田氏は庶民教育の重要性を説いた。そして江戸時代を通じて岡山城下にある藩学校と並んで二大教育道場として明治維新まで続いた。その後も歴史と伝統は受け継がれ、岡山県立高等学校を経て、現在は和気閑谷高等学校及び、青少年教育センターとして至っている。

広々とした敷地に建つ閑谷学校の講堂
広々とした敷地に建つ閑谷学校の講堂
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閑谷学校の講堂は磨き上げられている
閑谷学校の講堂は磨き上げられている

この閑谷学校の建造物は屋根瓦すべてが備前焼を用いて、学校の周囲765mに及ぶ石塀はかまぼこ型に積み上げられている。建築材は欅、楠、檜で主な建造物は黒漆またはすき漆に仕上げられている。とくに講堂の床板は今も鏡のように黒光りしている。講堂は国宝だ。だが、廊下を歩いて見学できる。
校門から1kmほど手前に、土の中からわずかにのぞく石柱の頭がある。元禄10年(1696)に閑谷学校の表門として造られたものだが、現在は地上わずか1.5mを残すだけで、地中に埋まっている。
/問い合わせ (財)特別史跡旧閑谷学校顕彰保存会 TEL 0869-67-1438

学校を囲む石垣は丸みを帯び城壁とは異なる
学校を囲む石垣は丸みを帯び城壁とは異なる
閑谷学校のかつての校門は3分の2が土の中
閑谷学校のかつての校門は3分の2が土の中



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■姫路城から備前焼のふるさとへ(1)(2004/4)



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取材:2004年4月