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姫路城から備前焼のふるさとへ(1)

ドライブライン

書写山・圓教寺 兵庫県姫路市は400年の戦火や天災を逃れて建つ姫路城を中心に広がる西播磨最大の都市である。この西播磨には脇坂藩五万石の城下町として栄えた龍野の町、さらに西には赤穂浪士で名高い浅野内匠頭と四十七士のふるさと赤穂城がある。
姫路近郊には民俗学者「柳田国男」の生家や剣豪「宮本武蔵」にまつわる古寺や道場が残る。
新緑の内陸と瀬戸内の海岸沿い美しい入り江を辿って走る。初夏の香りの風に誘われるように、西播磨地方から岡山備前へと楽しいドライブが続く。

1回目のコースは姫路市とその近郊を、2回目は“はりまシーサイドロード”を西へ瀬戸内海沿岸を備前へ。焼き物の町備前をじっくり探索、帰路は山陽自動車道と国道2号線を使って一気に姫路へ。全行程2泊3日、約300kmの旅であった。


サムネイル1 サムネイル2 サムネイル3 サムネイル4 サムネイル5 サムネイル6

ドライブライン

<コース>
姫路−書写山−暮坂峠−(国道312号線)−福崎町−姫路−(国道2号線)−龍野町
行程 約100km

ルート付近のリンクポイントをクリックしてみてください

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●姫路城

山陽新幹線姫路駅南側にあるニッポンレンタカー営業所から北側の大手前通りに出る。姫路城大手門前に大きな駐車場があるが、満車の場合は大手前通りの地下にも公共の広い駐車場があるので、城を見学したい人は2つの駐車場を利用するとよい。
長い間工事中だった桜門付近は広い公園になり、沢山あった土産屋も市の建物の中に落ち着いていた。

花見時期の姫路城
花見時期の姫路城
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五層七階の天守閣は関ヶ原の合戦後、姫路入りした池田輝正によって築かれた城で、その姿は羽ばたく白鷺に似て美しいというところから、別名“白鷺城”とも呼ばれている。築城以来400年もの間、戦火や天災にも遭わず往時の姿をいまにとどめる日本では数少ない城である。国宝であり世界文化遺産でもある。
城内は急な階段を天守閣まで上ることもできる。各階には古文書など貴重な資料も展示されている。
/入場料 600円、TEL0792-85-1146

●書写山圓教寺

康保3年(966)性空上人が開基した天台宗の古刹だ。全国から多くの学窓、修行僧が集い、いつの頃からか「西の比叡山」と呼ばれるようになった。数々の重要文化財の指定を受けた寺である。
姫路城の北、約10kmにある標高371mの書写山の中腹から頂上にかけて仁王門、摩尼殿、大仏、大講堂、から奥の院へと十数もの建物が続く。麓からケーブルで4分、終点から徒歩で山頂近くの奥の院まで約1時間。すべての建物を見学するには少なくとも3時間くらいは必要だ。
書写山・圓教寺
書写山・圓教寺
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巨木の多い木立の中を登り、仁王門から10分のところにある本堂「摩尼殿」は京都の清水寺に似た舞台造りで、国の重要文化財“四天王像”が安置されている。
さらに瑞光院や本多家の廟所などをたどった奥にある三つの堂(講堂、食堂、常行堂)があり、これらは建物そのものが重要文化財に指定されている。重厚な建造物である。
2年前、この講堂や食堂の回廊、そして境内は話題の映画「ラスト・サムライ」のロケが行われたところでもある。案内してくれた僧は「私もエキストラでちらっと出ています」と笑っていた。
/問い合わせ 0792-66-3327

書写山の境内には美しい院も
書写山の境内には美しい院も
書写山はラスト・サムライの舞台ともなった
書写山はラスト・サムライの舞台ともなった

圓教寺・奥院
圓教寺・奥院
奥院の梁を支える餓鬼。左甚五郎作と書いてあった
奥院の梁を支える餓鬼。
左甚五郎作と書いてあった


圓教寺の回廊
圓教寺の回廊
本田利家の墓所
本田利家の墓所

●日本玩具博物館

姫路から北15kmほどにある民俗学者柳田国男の生家を訪ねる途中、国道312号線沿い香寺町付近にある。
表示板に従って行くと白壁の古い民家風の建物に、江戸時代から今日に至る玩具、及びひな人形など世界140ヵ国8万余点の資料を所蔵し展示されている。
展示品の多くは、館長である井上重義氏が、失われゆく子供の文化財を後生に伝えたいと全国を歩き集めたもの。規模や内容は世界的にも数少ないユニークな博物館と館長は胸を張る。懐かしいおもちゃ、珍しい人形、面白いゲームなど見飽きない。
/入館料 500円、TEL0792-32-4388

玩具博物館は民家を改造したもの
玩具博物館は民家を改造したもの
玩具博物館の入り口
玩具博物館の入り口

また博物館の前には「一斗、二斗…」と書かれた丸い石が5つ置かれ小さな屋根までついていた。これは大正時代までに行われた村の祭の中で男たちの力自慢に使われたものだそうだ。

懐かしい人形のおもちゃ
懐かしい人形のおもちゃ
力石。大正時代までは村の力自慢大会で使われた
力石。大正時代までは
村の力自慢大会で使われた


●柳田国男の生家と記念館

庶民の生活のなかに生き続ける信仰、習慣、伝承、儀礼、行事などを訪ねて全国を歩き「民間伝承」「郷土研究」など著作は100点を超える日本民俗学の創始者。
柳田国男は父、医を業とした松岡操の六男に生まれた。兄弟5人がそれぞれ医師、国文学者、言語学者、日本画家として大正から昭和時代にかけて活躍、その彼らが幼いころに暮らした家だ。

柳田国男の生家
柳田国男の生家
土間、3畳間4畳半の座敷と納戸、3畳の台所のある日本の民家だが、彼はこの生家を「日本一小さい家」といい「私はこの小ささという運命から、私の民俗学への志の源だったといってもよい」と著書にある。
確かに大きな家ではないが、両親と8人(2人は幼くして、また次男は19歳で没している)が暮らすには小さすぎた家だろう。
隣接して建つ「記念館」は柳田国男はじめ兄弟5人の著作物、研究の経歴、原稿、画稿などが展示されている。
/入館料 200円、TEL 0790-22-1000

柳田国男の生家に隣接した「もちむぎのやかた」という製造、展示即売と食堂がある。播州・福崎特産“もちむぎ麺”が食べられるところ。
“もちむぎ”とは大麦の仲間で、この地方では古くから団子として食べられていたが、現在は大麦の需要が少なくその上小麦に比べ麺に加工するのは難しいという。だが、健康食として見直され加工技術も向上して「もちむぎ」として福崎町の名物になった。
一見すると蕎麦だが食べるとコシのあるうどんのようだ。また福崎町より約20km西に流れる揖保川沿いはソーメンの生産地として有名だ。
/問い合わせ TEL 0790-22-0569

●城下町・龍野

揖保川沿いにあるこの町は龍野城の城下町として栄えた。室町時代に築城されたという龍野城はその後、何代か城主が替わり、寛文12年(1672)から廃藩で脇坂氏が城主を治め、明治維新後取り壊され昭和54年に現在の本丸御殿が再建された。
この町は童謡「赤とんぼ」の作詞者・三木露風の生誕地であるため“童謡の里”と名乗っている。町を見下ろす山の中腹には国民宿舎赤とんぼ荘があり、ここには『夕焼け小焼け』の歌碑が立っている。

龍野城
龍野城
三木露風の筆塚もある如来寺
三木露風の筆塚もある如来寺

「播磨の小京都」といわれる城下町は、町には白壁に格子窓の家屋が狭い路地に連なり、うすくち醤油で知られるヒガシマル旧本社の醤油蔵や味噌蔵などを見ることができる。
また「龍野市立武家屋敷資料館」は江戸時代後期に鉄砲師や鍛冶職として仕えていた芝辻平左衛門の屋敷だったという本物の武家屋敷の内部を見ることができる。
「うすくち龍野醤油資料館」は約300年前にできたうすくち醤油作りを大豆炊きから仕込みまですべて手作りで行った昔の行程を資料や当時の道具などを展示また紹介している。

龍野は醤油の町。醤油記念館があった
龍野は醤油の町。醤油記念館があった
焼いた板囲いと白壁は醤油製造と結びついている
焼いた板囲いと白壁は
醤油製造と結びついている


●龍野御坊圓光寺

宮本武蔵の伝記は不明なことが多く、出生の年についても天正12年(1584)が有力とか没年は正保2年(1645)といわれるが確かなことは分かっていないように、出生地もさだかでない。その土地の伝記も確かなものはないが、宮本武蔵の生誕地の一つとされる太子町説がここ地元では有力だ。
その太子町の隣である龍野町にある圓光寺には武蔵が滞在して、弟子たちに指南した証があるという。昨年のNHK大河ドラマ「宮本武蔵」でこのあたりは一躍脚光を浴び、あちこちに武蔵由来地が出現している。「宮本武蔵修練之地」の碑も新しい圓光寺も龍野町の由緒ある地の一つに数えられている。
武蔵修練の地とある石柱
武蔵修練の地とある石柱



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■姫路城から備前焼のふるさとへ(2)(2004/4)



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龍野観光協会
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取材:2004年4月