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奥飛騨 合掌造りの村へ



昔、金沢・富山方面に国道が通っていなかったころ、五箇山村、白川郷を経て高山へ通じる飛騨の山中は秘境とまで言われたところ。
それでも、江戸時代、白川は煙硝(火薬)の集荷や木工、竹細工などが盛んだったが、豪雪地帯のため冬は外部との交通も絶たれたという。降り積もる雪の中で、人々は過ぎ行く冬をじっと待っていた。その代表的なものが、五箇山、白川郷に残る合掌造りの建築であり、食や工芸の文化でもある。
また、高山には江戸時代から明治維新に至るまでの177年間、江戸幕府の直轄領として政務を行ってきた旧陣屋をはじめ、当時を偲ぶ武家屋敷をいまに残す。
これから秋にかけて北アルプスや白山の山懐に佇む歴史ある集落を訪ね、色移りゆく山々を縫いながら心豊かなドライブが楽しめる。




富山空港−(北陸自動車道)−小矢部砺波JCT−(東海北陸自動車道)−福光IC−(国道304号線)−五箇山−(国道156号線)−白川村−荘川村−高山市
全行程 約120km、1泊2日




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●五箇山へ

富山空港から高速道路で一気に福光ICまで走ってしまうこともできるが、途中、砺波ICを出て木工彫刻の町、井波経由(「北陸の歴史と味を訪ねて 富山・金沢編」を参照)で五箇山へ向かうのもよい。

●五箇山

福光または井波より国道304号線を南に約20km、五箇山トンネルを抜けて山を下り、庄川の谷あいに延びる国道156号線沿いに、 合掌造り の集落や民家が点在する。古くは平家の落人の隠れ里とも言われ、江戸時代には加賀藩領として火薬の原料である煙硝などを製造。
また、藩の罪人流刑地でもあった村や越中豪族の建てた豪邸など、当時の合掌造り建築、人々の生活様式や用具など、見るものは多い。
その他、山の清水を利用した豆腐や和紙、そば、地酒と山村ならではの特産品も数多くある。

●相倉合掌造り集落

五箇山トンネルを下ってすぐ出会う最初の集落は、平村の相倉合掌造り20戸。
山間の僅かな平地に寄り添うように建つ茅葺き屋根の大きな民家は、合掌造りの原形とも言うべき古い様式を伝える集落。土蔵、石垣や雪持林などの環境物件とともに、平成7年に世界文化遺産の指定を受けた。
昔ながらの板張り障子の庭先には野菜や花などが植えられ、生活の匂いがある。
世界文化遺産とは言っても、現在も人々により生活が営まれている。多くは民宿や蕎麦、茶屋、土産屋などだが、民家もあるのでむやみに覗かないよう気をつけたい。

●村上家

平村の合掌造りで典型的な家屋の村上家は、16世紀後半に建てられたもの。 国の重要文化財に指定されている。
国道156号線に面した家屋は、茅葺き屋根の4階建て。高さ10.9mという大建築でありながら、釘やかすがいなどは一切使われていない。
1階は塩硝を製造していたという作業場と居間など、2〜3階には煙硝や和紙の製造道具、民俗資料、4階には日常生活用品などが展示されている。陳列された数千点に及ぶ道具や資料から、五箇山の文化を見ることができる。
/入館料 300円、TEL 0763-66-2711

村上家と国道をはさんで建つのは、羽馬家。五箇山で最も古い建築様式を残している。その他、縄文から現代までの平村の生活を紹介する“平村郷土館”、紙すきが体験できる“和紙工芸館”など見どころも多い。
/問い合わせ 平村産業観光課 TEL 0763-66-2131

●菅沼集落

平村から6kmほどで上平村に着く。
ここには相倉合掌造りと並んで五箇山二大合掌造りとして知られる“菅沼集落”がある。相倉集落ほどの規模はないが、同じく世界遺産に選ばれた日本の風景だ。
これより数km先には、約300年前の藩政時代に煙硝の揚荷役を務めた豪族が建てたという間口が26mもある大規模な合掌造民家“岩瀬家”がある。
国の重要文化財の指定を受けた民家は、1階は総ケヤキ造りで役人などをもてなす書院がある。3〜5階は養蚕に使われていた。当時の生活様式や道具類が展示されている。
/入館料 300円、TEL 0763-67-3338

●白川郷

五箇山から白川郷への国道156号線は、別名を飛越峽合掌ラインという。
現在はいくつものトンネルで結ばれているが、東海北陸自動車道の工事が急ピッチで進んでいる。
白川郷(萩町合掌集落)の合掌造りの民家は、旧国道をはさんだ山あいに広がっている。
江戸時代には唯一の現金収入であった火薬の原料煙硝。その集荷の元締めであり集落で最大の合掌造りである民家“和田家”は、代々名主を努めてきたという家格にふさわしく、約400年の風雪にも耐え、いまなおどっしりと力強い佇まいをみせている。現在も住宅として使用されているため内部の見学はできない。

民家へは小道が続き、さまざまな角度から合掌造りの集落を眺めることができるため、記念撮影から写真マニアの被写体にもこと欠かない絵になる風景が広がっている。また、民家の中には民宿、食堂、甘味処や土産屋などを営むところもあり、観光客の足を止める。
国道バイパス沿いには「合掌造り民家園」がある。集団離村した集落から民家や小屋などを移築、公開し、5月〜11月中旬の間は竹細工などの民芸品、茶碗や壷などの陶芸、木工伝統工芸の「手仕事」の実演が見られる。
/入場料 700円、TEL 0576-96-1231

また、10月14〜15日には白川郷のビッグイベントである“どぶろく祭り”が行われる。白川八幡宮で神様に供えられたどぶろくがふるまわれる。

●高山へ

白川郷を過ぎて荘川村へ向かう国道156郷線は、通称白川街道と呼ばれ、飛騨高山へと続く。
岐阜方面へ上る越前街道(飛騨街道)は荘川村で分れる。高山へは約70km。
途中、ダム湖である御母衣湖のほとりにある駐車場で湖の眺めを楽しみながら一休みする。ここで荘川村にある合掌造りを訪ねるのもよいだろう。

高山市に入ると、JR高山線の線路を越え最初の信号を左折し、高山駅前の観光案内所へ。ここで市内観光地図を手に入れよう。車は市内6ヶ所にある市営駐車場(1時間300円)か私営駐車場(1時間400円)に置いて、徒歩で散策したい。

●高山陣屋

JR高山駅から東、宮川沿いにある江戸時代の御役所飛騨の歴史を語る「陣屋」が最初にして最大の見どころだ。
重厚な門構え、公式の会議に使用されたという大広間や年貢米を収めた蔵、拷問も行われた取り調べ所など、300年の時をいまに語る。
元禄5年(1692)、徳川幕府はここで177年間の明治維新に至るまで、幕府直轄領の行政・財政・警察などの政務を行ってきた。明治維新後も、この主要な建物はそのまま地方官庁として使われてきたが、昭和44年、飛騨県事務所が移転したことで役所としての役割を終えた。その後修復工事が行われ、平成8年に完成。江戸時代の姿が再現された。
/入館料 420円、TEL 0577-32-0643

●上三之町

高山で最も古い面影を残す町並みは城下町。商人の町として栄えた一之町、二之町、三之町の三つの町を称して「上三之町」と呼び、市の真中を流れる宮川の東に広がっている。
低い軒、出格子軒下には用水が流れ、狭い道の両側には味噌屋、漬物屋、酒屋、旅館、料亭、民芸品店などの商店が続き、 飛騨の味 にも出会える。
また、こうした町並みには白壁の土蔵や老舗らしい店構えも多く、古い看板など通り全体にノスタルジックな風情が漂う。
これからの季節、飛騨の山々は紅葉の彩られ、10月9、10日に行われる桜山八幡宮祭り「高山祭」など、晩秋にかけて観光シーズンだ。
/高山市商工観光課 TEL 0577-32-3333
/飛騨観光と交通情報 TEL 0577-33-5566

○高山の見どころ

飛騨の伝統工芸として知られる春慶塗りの代表作品約1,000点を展示する「春慶会館」(TEL 0577-32-3373)、重要文化財の明治建築の町家「日下部家住宅」(TEL 0577-32-0072)、代々酒造りを営んできた商家で造り酒屋の住宅を一般公開している「吉島家住宅」(TEL 0577-32-0038)、飛騨に伝わる獅子舞とからくり人形の実演が見られる「獅子会館」(TEL 0577-32-0881)、その他、郷土館や美術館、高山城址公園、山寺めぐりと、高山見物には見どころがたくさんあり、1泊はしたい。

○朝市

「宮川朝市」と「陣屋前朝市」がある。
宮川朝市は、宮川にかかる鍛冶橋と弥生橋の間に約90点のテントが張られ、店が並ぶ。ここでは食料品から日常雑貨、衣類、みやげもの屋と商品の種類も多い。
一方、陣屋前朝市は、近郊の農家の人々によってその日に採れた新鮮な野菜や果物、自家製の味噌や漬物などが並ぶ。旬のもの、しかも露地ものが扱われている。
これからは栗、りんご、きのこの季節。売り手のおばさんたちと話がはずんでいるうちに袋いっぱいの野菜などを買い込んでしまった。

高山から富山へ戻るのは国道41号線で約90km。松本へは国道158号線で約110kmだ。



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取材:2000年9月