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箱根旧街道

ドライブライン

面影を残す旧街道(小田原側) “箱根の山は天下の険”と詠われた昔はもう遠く、快適なドライブウェイが縦横に走る箱根路は、四季を問わず観光客で賑わっている。首都圏から日帰りができるとあってドライブコースとしての人気が高い。なかでも富士山を間近に眺め、眼下にコバルトブルーの芦ノ湖が一望に楽しめる好天の休日などは、クルマの渋滞が激しく、駐車場はどこも満車状態ということもある。
不運にも天候に恵まれない日もある。そんなときのドライブに、箱根の昔を偲べるところを訪ねてみた。


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ドライブライン

<コース>
首都圏−東名高速・小田原厚木道路−箱根口−(県道732号線)−畑宿−甘酒茶屋−(国道1号線)−元箱根−三島−(東名高速)−首都圏
行程 約250km

ルート付近のリンクポイントをクリックしてみてください

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●箱根旧街道

日本橋から数えて9番目の宿場、小田原からいよいよ天下の険の箱根路を行く。といっても徒歩ではなく車。山越えも一日がかりではなく、往時の面影を残す地点をピックアップしながらの旅である。
箱根湯本まで一気に走ってきたが、湯本の約300m手前、早川に架かる三枚橋で国道1号線と分かれ、県道732号線(旧東海道)へ。この三枚橋とは、当時、三枚の板でできていたことからこう呼ばれている。この橋より箱根峠への上り坂四里を「箱根東坂」、峠から三島へ下る坂四里を「箱根西坂」といった。

面影を残す旧街道(小田原側)
面影を残す旧街道(小田原側)
現代の標示です
現代の標示です

箱根温泉の開湯は奈良時代、釈浄定坊により発見され、箱根山は、治承4年(1180)源頼朝が平家との合戦「石橋山の戦い」で敗れたあとに潜んだ場所だ。その後、平家を打倒し、勝利を祈願した箱根権現(神社)は頼朝以下、鎌倉の将軍により厚く信仰された。鎌倉の武者たちも参詣の行き帰りに温泉で心身を癒したという。
この箱根温泉が一般庶民の間に広まったのは、豊臣秀吉の小田原攻めに、全国の武士を集め、長期滞陣し、温泉に入ったことからだといわれている。

国道に残る旧街道の面影(三島側)
国道に残る旧街道の面影(三島側)
北条・豊臣。戦った武将が仲良く葬られている(宋閑寺)
北条・豊臣。戦った武将が仲良く
葬られている(宋閑寺)


箱根・旧東海道の杉並木
箱根・旧東海道の杉並木
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杉並木の標示(箱根町)
杉並木の標示(箱根町)

●早雲寺

旧東海道に入ってすぐ、杜の中にひっそりと佇む寺。関東における代表的な戦国大名で、1590年に豊臣秀吉によって滅ぼされるまで、約100年続いた北条家五代の菩提寺だ。北条早雲(1432〜1519)の嫡男、二代氏綱によって、大永元年(1521)に建立された。
境内の鐘楼は県の重要文化財であり、同じ境内には早雲の三男、北条幻庵作庭といわれる枯山水の名園がある。
近くには曽我兄弟の供養塔を祀る正眼寺もある。

早雲寺(北条五代の墓所がある)
早雲寺(北条五代の墓所がある)
早雲寺の梵鐘(県・重文)
早雲寺の梵鐘(県・重文)

●畑宿

まだ街道として整備される以前の戦国時代から「畑の宿」と呼ばれ、旅人の休憩所であった。後に本陣も置かれたが、宿場町としてというより集落であった。現在は寄せ木の里として、観光客も多く立ち寄るところでもある。

この箱根の伝統工芸品である寄木細工の発案者は、石川仁兵衛といい、江戸末期に生きた人である。天然の木肌の色を生かし幾何学模様を組み合わせ、これを特殊なカンナで薄く削り、箱やお盆などの小物に貼り付ける。昔は主な材料の木は箱根山中のものだったが、現在は各地から集め、輸入物も多いそうだ。技法など詳しいことは「寄木会館」で案内してくれる。
石川仁兵衛の墓が畑宿の入り口の千鳥橋の上にある。非常にわかり難いところにあり、訪れる人も少ないようだが、興味のある人は地元の人に尋ねるとよい。
/入館料 無料、TEL 0460-85-8170
見事な寄木の盆
見事な寄木の盆

畑宿の寄木会館で
畑宿の寄木会館で
寄木細工を考案した石川仁兵衞の墓
寄木細工を考案した石川仁兵衞の墓

●甘酒茶屋

畑宿と箱根宿の中継点にあるかつての茶屋で、県道沿いにあり無料休憩所になっている。併設された郷土資料館には「箱根八里」「湯治道」それに「生活道」の3つの重要な道をテーマに、当時の箱根の人々の暮らしや旅人との関わりに関する資料などが展示されている。現在修復中であった。茶屋の裏には石畳の旧道が通っているので、少し歩いてみると、江戸時代の旅人を偲ぶことができる。
/入館料 70円、TEL 0460-83-6871
甘酒茶屋の資料館
甘酒茶屋の資料館

●お玉ヶ池

県道沿いにある今はなんの変哲もない池だが、ここは江戸時代に関所破りの重罪で、処刑された娘の悲話を語る池なのだ。
元禄15年(1702)2月10日夜のこと、関所の裏山の木柵を越えようとした娘が捕まった。名は“玉”といい、南伊豆の百姓の娘で、2ヶ月前に江戸に奉公に出たばかりだった。主人に叱られ故郷に逃げ帰ろうと箱根まできたが、手形を持っていなかったと関所の記録に残っていたという。娘とはいえ重罪につき容赦なくお玉は処刑された。
憐憫をさそうお玉の悲話は当時の話題となり、首を洗った池も「お玉ヶ池」といつしか呼ばれるようになった。

お玉ヶ池
お玉ヶ池
お玉ヶ池標示
お玉ヶ池標示

●元箱根石仏・石塔群

芦ノ湖畔から国道1号線を大涌谷方面へ約1km戻ったところに精進池という名の池がある。
この池のほとりには大小数多くの石仏、石塔が立っている。高さ3mもある巨石で二十五菩薩といわれる26体の磨崖仏や五輪塔の他、国道を挟んで曽我兄弟の墓、鎌倉時代の優れた作、六道地蔵など国の重要文化財指定のものもある。保存修理が行われた遊歩道は、国道の下を立派なトンネルが通り、駐車場に隣接した建物は案内板や石仏などを解説展示している。

精進池
精進池
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二十五菩薩像
二十五菩薩像
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曽我兄弟(左の2基)と虎御前の墓
曽我兄弟(左の2基)と虎御前の墓
八百比丘尼の墓(宝篋印塔残欠)
八百比丘尼の墓(宝篋印塔残欠)

六道地蔵堂。灯籠の寄進者は江戸の人だった
六道地蔵堂。灯籠の寄進者は
江戸の人だった

六道地蔵。鎌倉時代の磨崖仏
六道地蔵。鎌倉時代の磨崖仏

多田満仲の墓(宝篋印塔)
多田満仲の墓(宝篋印塔)
追込坂(2町余とあった)
追込坂(2町余とあった)

●箱根関所跡と復元された関所

日本橋から数えて10番目の宿場として、元和4年(1618)年江戸幕府が、小田原と三島の間の芦ノ湖湖畔に箱根宿を設けた。もとは荒れた地であったため人が寄りつかなかった。そこで幕府は、小田原と三島から税の優遇策とともに、強制的に50軒づつ移住させ、できたのがこの宿場町であった。
翌年、徳川幕府は江戸の守りを固めるため、ここに関所を置いた。主として諸大名の謀叛防止のためといわれた。とくに「入鉄砲に出女」といって、江戸に鉄砲が入ることを禁じ、参勤交代で江戸に送られた大名や武士の妻女が、江戸から出ていかないよう厳しく取り締まられた。
以来250年以上にわたって厳しい掟で旅人にとっては、険しい八里の道のりと共に、恐れられていた。なかでも関所破りは重罪で、磔の刑であったが、実際には5件6人が処せられただけだったという。人々が掟を守ったのか、役人が寛大だったのか、映画や時代小説のイメージとは違うようだ。

箱根関所跡(小田原側)
箱根関所跡(小田原側)
関所跡には立派な看板があった
関所跡には立派な看板があった

明治2年(1869)に廃止され取り壊されたが、関所資料館として面影を残していた。昭和58年(1983)に、慶応元年(1865)の江戸末期に行われた関所解体修理の詳細な報告書である「相州箱根御関所御修理出来形帳」が発見された。
平成19年(2007)この報告書に基づき、かつての関所が復元された。真新しい建物には当時の関所風景が再現されている。
関所資料館
関所資料館

近くには資料館もあり、取り調べの様子や手形など約1,000点の資料が展示されている。
/入館料 関所と資料館共通 500円、TEL 0460-83-6635

●箱根神社

元箱根、芦ノ湖上の朱色の鳥居から三鳥居まで石段の参道が一直線に続く。石段の数は約200段、その上に本殿がある。
奈良時代、天平宝字元年(757)万巻上人が神託により、箱根山、駒ヶ岳、神山の三神を祀り、その中の主峰の神山を御神体として創建、現在のところに祀った。関東の山岳信仰の一大霊場「関東総鎮守箱根権現」として江戸時代には多くの参拝者が訪れた。戦国時代から関東武将の崇敬篤く、北条早雲、氏綱、また徳川家康などの寄進がみられる。明治初年の神仏分離により「箱根神社」となった。


●山中城

箱根峠から国道1号線を三島へ下ると間もなく、国道沿いに山中城跡が見えてくる。豊臣秀吉の北条討伐でたったの1日で落城した城として知られる悲劇の城だ。
戦国時代の末期(1558〜1569)に、小田原の北条氏康が国境防衛のため箱根一帯に城砦を築いた。山中城もその一つであった。普通山城は山の頂などに造られるが、この城は箱根火山の標高580mの外裾の一峰の斜面を利用。本丸、二の丸、三の丸など、城を守る堀は、石を使わず土だけの空堀で、全国的にも珍しいものである。
山中城は地形を利用。石垣はない
山中城は地形を利用。石垣はない

広い敷地に堀障子と呼ばれる空堀や曲輪、土塁、櫓台、井戸、池などが残る。みどころは空堀で、いまでも結構深いが、往時は今より2m以上も深かったというから、急な赤土の斜面を登るのは攻める側も大変だったと推測できる。

山中城近くの旧東海道石畳
山中城近くの旧東海道石畳
旧東海道の野仏(山中城付近)
旧東海道の野仏(山中城付近)

錦田一里塚と東海道
錦田一里塚と東海道
三島郊外の標示
三島郊外の標示

富士を詠んだ芭蕉の句は稀と言うが、ここでは見えなかったようだ
富士を詠んだ芭蕉の句は稀と言うが、
ここでは見えなかったようだ

山中新田(別名・富士見平)
山中新田(別名・富士見平)



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箱根彫刻の森美術館
美術館へのアクセス、展覧会情報、VRMLギャラリーなど。視野を変えられる「トンボビュー」で疑似体験。

取材:2009年3月