ニッポンレンタカーHOME > 旅のお役立ちガイド > ドライブガイド > 北海道・道南の旅(1)

北海道・道南の旅(1)

ドライブライン

基坂は函館の街発祥の地でもある 世界三大夜景の一つと地元の人が自慢する“函館の夜景”からはじまった今回の旅は函館の町をじっくり探索し、大沼・小沼、洞爺湖、それに支笏湖と3つの湖をめぐった。
紅葉にはまだ幾分早いが、秋は駆け足で通り過ぎていき、白い雪で覆われる長い冬を前にした9月末、観光客の数も少なくなった道をゆっくり車を走らせてみた。
函館のみどころは多く、目的地に車を走らせ、そこから徒歩で訪ねてたっぷり2日間を要した。
観光地は訪ねるたびに開発という名のもとに変わる。函館も例外ではない。変わらないはずの山や湖もその周囲に巨大なホテルや真新しい遊歩道、護岸工事などで、大きく景色が変わる。時代の要求というのだろう。だが、こうしたホテルも護岸もいつしか、一つの風景として見ているのだから不思議なものだ。北海道はやっぱり自然が大きく豊かだからだろう。
いまの季節をも楽しみながら、間もなく野山を五色に染める深い秋の町の風景や美しさを増す山や湖を想像したいと思う。


サムネイル1 サムネイル2 サムネイル3 サムネイル4 サムネイル5 サムネイル6

ドライブライン

<コース>
函館

ルート付近のリンクポイントをクリックしてみてください

<ルート付近のリンクポイントをクリックしてみてください>



●函館

ナポリ・香港と並んで世界三大夜景といわれる函館の夜景を一目見ようと、旅装を解く間もなく車に飛び乗ったが函館山は「営業車以外は17時〜22時の間は通行禁止」ということを知った。もちろんレンタカーもだめ。

後でわかったことだったが、夜景の名所「函館山」への道は急で狭い。大型観光バスや路線バス、タクシーだけで身動きできない状態であることがわかった。
ケーブルカーもあるが、その乗り場まではホテルの多い函館駅周辺からは車(ケーブル駅近くに駐車場がある)、バス、そうでなければ歩くことになる。
夕方は函館駅前から30分間隔で運行される函館山行きの路線バスに乗るのがいい。

函館山からの夜景
函館山からの夜景

函館市は津軽海峡と函館湾の間に突き出た小さな半島で、中程は左右ともに大きくくびれ、北側の山に向かって扇形に広がっている。山頂には3層の展望台があり、記念撮影の写真屋さんのカメラが何台も並び、観光バスから降り立った客相手にフラッシュの強い光を浴びせていた。団体観光客が去るとそこにはまばゆいばかりの海が広がっていた。
地形のもっともくびれたところは約1km、海岸線をふちどる光の外は漆黒の海。そこに浮かぶ漁り火の、なんと幻想的なことか。あちこちで上がる感嘆の声を聞きながら“函館の夜景”が、この町の観光のハイライトであることを実感!

●坂の町の函館

日本初の国際貿易港・函館は異国情緒漂う独特の町並みをいまに残す。その中心は港から函館山へと続く元町公園界隈だ。
道南の行政の中心だった現在の元町公園には、かつての箱舘奉行所や開拓使支庁、北海道庁支所などが置かれた明治から昭和にかけての官庁街だったところ。当時の北海道庁函館支庁舎や開拓使書籍庫などの建物が残っている。木造洋館建ての旧北海道庁函館支庁庁舎2階は函館市写真資料館となっている。
また近くには安政6年(1859)初代領事ホジソンが着任してから、昭和9年(1934)まで機能していた旧イギリス領事館がある。現在は「開港記念館」として函館開港の歴史を伝える資料館となっている。
奉行所跡
奉行所跡

旧道庁支庁舎(左)と旧公会堂(右上)
旧道庁支庁舎(左)と旧公会堂(右上)
旧ロシア領事館
旧ロシア領事館

基坂は函館の街発祥の地でもある
基坂は函館の街発祥の地でもある
(画像をクリックすると拡大写真を表示します)

函館港に沿って市電の走る大通りから函館山に向かって広がる住宅街は開港当時に建てられた建造物が多く残り、函館を代表する風景だ。市電通りから山へと続く幾筋もの坂道にはプロテスタント、カトリック、ロシア正教など宗派の異なった建物の教会が並ぶ。
港を見下ろす特徴ある坂道は8つあり、なかでもそのロケーションの素晴らしさから、ドラマや映画の舞台として登場する「八幡坂」、旧函館区公会堂のある「基坂」、正ヨハネス教会、カトリック元町教会、函館ハリストス正教会などのエキゾチックな建物や洋館が並ぶ石畳の「大三坂」だ。

カトリック元町教会
カトリック元町教会
函館ハリストス正教会
函館ハリストス正教会

とくに大三坂は日本の道百選にも選ばれている。アイヌの言葉で“チャチャ登り”といい、チャチャとはおじいさんの意味で、腰を曲げて登るほど急な坂道と言われている。車でこの坂を上るとき、サンフランシスコを想わせるほどの勾配がある。
その他、道幅が二十間(約36m)あったことから名づけられた「二十間坂」、ここには東本願寺函館別院があり、日本初の鉄筋コンクリート造寺院だ。緑の並木の見事な「弥生坂」や「東坂」など、たっぷり時間をかけて異国情緒を味わいたい。
駐車場は二十間坂近くにある。

●外国人墓地

外人墓地は海の見える丘にある
外人墓地は海の見える丘にある
外国人墓地は函館港から造船所を隔てた漁港側の海を望む高台にある。
安政元年(1854)ペリーが来航したとき、亡くなった2人の水兵の墓をこの地に造ったことがはじまり。その後、明治3年(1870)開拓使函館支庁との間で正式に外国人墓地として認められた。様々な国籍や宗教を持つ人々がどんな気持ちで人生を終えたかを考え、そして異国に葬られた人々の望郷の念を感じられる場所でもある。

●高龍寺

現存する函館最古の寺。寛永10年(1633)曹洞派寺院として創建された。3回の移転を経て明治の末期に現在の場所に移った。明治44年(1911)に建築したという山門は東北以北最大級といわれる総ケヤキ造りで威厳に満ちている。
最近、本堂、山門などの屋根瓦の葺き替えを終えたばかりのようで、濃い褐色の艶のある瓦屋根が折りからの夕日をあびて不釣り合いに光っていた。

高龍寺の山門。東北以北では最大という
高龍寺の山門。東北以北では最大という
(画像をクリックすると拡大写真を表示します)

会津藩士の追悼碑
会津藩士の追悼碑

●称名寺

正保元年(1644)の創建というから北海道では古刹といえよう。幾度かの大火に遭い、現在の鉄筋コンクリート造りになったのは昭和4年(1929)だ。この寺を訪れる人の絶えないのは函館の歴史を語る上では欠かせない人物、高田屋嘉兵衛一族の眠る墓があるからだ。
明和6年(1769)、淡路島に生れ貧しい幼少時代を過ごした高田屋嘉兵衛はやがて神戸へ出て商人として成功。当時、最大といわれた和船を建造し函館へと渡る。
高田屋嘉平の墓は質素だった
高田屋嘉平の墓は質素だった

ここで海運業(北前船)、特に未開地であった千島の漁場開発、根室、日高開発の先駆者として巨万の富を築いた。資産は、現在の国の予算に直すとその4分の1ともいわれた。しかし、まだ寒村だった函館で埋め立てや植林などの公共事業に私財を投じ、今日の函館の基礎を築いた。
なかでも有名なのは日露友好のきっかけとなった「ゴローウニン事件」。ロシアの北方探検と調査を皇帝から命ぜられたゴローウニン艦長以下が日本海侵犯で日本に捕らえられたあと、嘉兵衛は逆にロシア船に捕らえられ、ロシアに連れ去られる。その後、ゴローウニン釈放を幕府に働きかける約束で帰国。嘉兵衛の尽力で、無事本国に帰国できた。高田屋嘉兵衛の資料は港に面した「北方歴史資料館」にある。
/入館料 300円、TEL 0138-26-0111

高田屋嘉平の資料が展示されている北方資料館
高田屋嘉平の資料が展示されている
北方資料館

高田屋嘉平の像は函館山を背景に立つ
高田屋嘉平の像は函館山を背景に立つ

●赤レンガ倉庫群

港は“ベイ・エリア”と呼ばれる地域がある。旧市街に面したところだ。かつての赤レンガの倉庫を利用した観光スポットだ。レトロなこの建物にはレストラン、ビヤホールからガラス細工、おしゃれなブティック、函館みやげの小物店などがびっしりと詰まっている。水辺の石畳の道には「金森倉庫群」があり、その裏には旧函館郵便局だった蔦のからまる建物は「はこだて明治館」で若い女性がよろこぶような小物などの店があった。
これらの赤レンガ群は夜になるとライトアップされ光に包まれる。
今、倉庫群はレジャーセンタに変わった
今、倉庫群はレジャーセンタに変わった
(画像をクリックすると拡大写真を表示します)


●青函連絡船記念館・摩周丸

保存されている連絡船、摩周丸
保存されている連絡船、摩周丸
明治41年(1908)から昭和63年(1988)まで本州青森と北海道を結んだ連絡船の中の「摩周丸」を保存。船内は青函連絡船が海峡に刻んだ80年の航海史のすべてがわかるミュージアムなっている。
/入館料 500円、TEL 0138-27-2500

なお、青函連絡船が初めて着岸した「北海道第一歩の地」は金森倉庫群の近くにある。

旧函館駅は連絡船の発着所でもあった
旧函館駅は連絡船の発着所でもあった
開拓時代の青函連絡船は東浜桟橋に着いた
開拓時代の青函連絡船は東浜桟橋に着いた

●函館朝市

JR函館駅近く、港に面した朝市は、5時からはじまる。近海の漁場から満載してきた魚介類が並ぶ。カニ、ウニ、サケ、ホッケ、ツブ貝、ホッキ貝や昆布と大小さまざまな店に溢れる。足を踏み入れたとたん、その量の多さと威勢のいい売り手のかけ声に圧倒される。
函館近海漁はいまイカが旬とか。透き通るような生きたイカをそのまま刺身で食べさせてくれる店も多い。また縁日のうなぎ釣りのように、店頭で生きたイカ釣りをし、釣ったイカを刺身にしてるところもある。これからは鮭のシーズンだ。
海産物以外の商品も多く、じゃがいも、とうもろこし、かぼちゃ、メロンといった収穫されたばかりの新鮮な野菜や果物も豊富だ。
ただし、注意してよく見ると輸入品もある。最近は産地を明記するようになったが、明記されていないものや小さい文字で書かれているものもある。承知で購入する場合はいいが、不明のときは店の人に尋ねよう。

水槽のイカを釣って刺身にする店もある
水槽のイカを釣って刺身にする店もある
タラバガニを茹でる
タラバガニを茹でる

水槽の中のタラバガニ
水槽の中のタラバガニ

朝市内では朝から盛り上がる人たちも…
朝市内では朝から盛り上がる人たちも…
朝市では農作物も売っている
朝市では農作物も売っている

●立待岬(たちまちみさき)

函館山の東、津軽海峡に面し、山が海に落ちる断崖の岬。タチマチとはアイヌ語でヨコウシという。岩の上で魚を待ち捕獲するところ、という意味だ。西に松前半島を、津軽海峡をはさんで下北半島を望む。
岬への手前には「石川啄木一族の墓」がある。啄木は東京で死んだが生前「死ぬときは函館で」と友人に手紙をのこしたことから、ここに移された。共同墓地の一角にある。

立待岬
立待岬
岩手生まれの啄木だが、墓は函館にある
岩手生まれの啄木だが、墓は函館にある

●碧血碑(へっけつひ)

岬からの帰路、二股に分かれた道の左、山側の山林を辿ると、旧幕府軍兵士が祀られた墓へ続く道に行き会う。2台がやっとと思われるスペースに車を止め、深い林の中700mをを歩く。函館戦争で死亡した新撰組・土方歳三をはじめ、約800人旧幕府軍の兵士の霊が祀られている。

幕府軍の戦死者を弔う碧血碑
幕府軍の戦死者を弔う碧血碑
土方歳三最期の地
土方歳三最期の地

●五稜郭公園

元治元年(1864)武田甲斐三郎の設計で、日本初の洋式城郭が建築された。明治新政府に抵抗した旧幕府軍が幕府海軍副総裁・榎本武揚を中心に五稜郭を占拠、明治2年(1869)政府軍が攻撃を開始したのが「函館戦争」だ。
この戦いで土方歳三は戦死、榎本らは降伏し、日本の武士時代の幕が下ろされた。
一辺が255mの五角形の星の形のように見える城郭の中はソメイヨシノやサトザクラなど約1,600本が植えられた北海道有数の桜の名所となっている。
五稜郭。来春には右の長い影の展望台ができあがる
五稜郭。来春には右の長い影の
展望台ができあがる
(画像をクリックすると拡大写真を表示します)


この五稜郭を一望に眺められるようにと、来年4月に完成予定の展望塔が建設中だ。現在60mの展望塔があるが、さらに36m高い96mの塔になる。



○ニッポンレンタカーの車種・料金

詳しくは車種・料金一覧表をご覧ください。

○北海道のニッポンレンタカー営業所

ニッポンレンタカー ホームページの営業所検索で、北海道の営業所リストをご覧いただけます。


函館観光情報
函館市ホームページ内。地区別観光カイドやおすすめ観光モデルコースのほか街の歴史案内や坂道散歩もある。
函館(HAKODATE)
道南地域の市町村・公共施設や観光、宿泊施設などの総合情報サイト。温泉情報も充実している。

取材:2005年10月