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上州の姫街道・佐久の中山道(1)

ドライブライン

工場倉庫 江戸時代の五街道の一つ、内陸を経由する中山道は東海道に次ぐ主要街道であった。江戸日本橋から近江草津宿まで(533km)、東海道と合流し京都を結ぶ街道で、東海道より約40km距離が長く、宿場数は16も多い69宿であった。碓氷峠や木曽などの険しい山々があり、冬の寒さが厳しいが、東海道の大井川や七里の渡しのような障害が少なく、途中、中山道に合流する支線街道も多い。
街道の中で呼ばれる姫街道とは、本街道に山越えや川越えなどの難所などがあった場合、それらを避けるための別ルートとして利用された。距離は長いが難所を避けるということから女性が歩きやすい道として将軍家の姫たちも通り「姫街道」または「女街道」とも呼ばれるようになった。また、東海道の脇往還という意味で中山道を「姫街道」という説もあるが、一般的には迂回路を指すようだ。

皇女和宮が徳川十四代将軍家茂へ御降嫁の際、中山道を江戸へと下った。街道には大行列の痕跡も少なくないが、信濃の和田宿と佐久の坂鼻宿は御宿泊された文献や御道具などが残されている。その他、いまも古い町並や神社仏閣に昔の面影が色濃く残る街道である。


サムネイル1 サムネイル2 サムネイル3 サムネイル4 サムネイル5 サムネイル6

ドライブライン

<コース>
高崎市−(国道18号線)−板鼻宿−(県道10号線)−富岡−(国道254号線)−一宮貫前神社−宮崎宿−下仁田−(国道254号線・姫街道)−本宿−山内峠−中込−(県道2号線)−龍岡城五稜郭跡−(県道93号線)−新海神社
行程 約100km

ルート付近のリンクポイントをクリックしてみてください

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●板鼻宿(皇女和宮資料館)

家康の側近であった井伊直政が築いた城下町・高崎を後に約5km、板鼻に着く。一見、なにもない普通の町で、思わず通り過ぎてしまいそうだが、ここは、皇女和宮が御下向の時の宿泊地であったのだ。
文久元年(1861)本陣木島家建屋の一部、奥上段の間書院にお泊まりになられたときの御様子が、現在の公民館の奥に移築され、二間のみのお部屋に保存されている。この小さな部屋に和宮一行を迎える準備のための宿絵図、往還図、間取り詳細図、宿割図から、宿場の総人数、諸修理状況、入用品から橋や渡しなど、各種の取り調べ書などなど、ほとんどが散逸せず残され、展示されている。

和宮の賄いに使用したまな板(史跡保存会)
和宮の賄いに使用したまな板
(史跡保存会)

宮用の草履(史跡保存会)
宮用の草履(史跡保存会)

板鼻の皇女・和宮資料館
板鼻の皇女・和宮資料館
板鼻宿には綺麗な流水が引かれている
板鼻宿には綺麗な流水が引かれている

なによりも驚かされるのは、その行列の凄さだ。総勢8万数千人。京都方1万人、江戸方1万5,000人、京都からの通し人足4,000人、警護各藩1万人、助郷人足2万3,000人、遠国雇人足7,000人、馬士2,000人、馬2,000頭という大集団の列は約50kmにも及び、一つの宿場を通過するには、なんと4日間もかかったという。そのほかにかり出された近郷の人たちを合わせると、20万人にも達したという話も伝わっている。
資料館には、和宮が履かれた草履が2足、料理用まな板がかつての床の間に鎮座。花嫁行列の様子が絵と文字で描かれた巻物など多数展示されている。

板鼻宿を流れる水路は、慶長年間中期から後期(1604〜1614)ころに造られ、安中市板鼻、高崎八幡町、豊岡町などを潤す灌漑用水だ。現在もなお水量豊かに流れ、川面に映える樹木の緑が美しい。
/入館料 無料、公民館で鍵を借りるので土・日は入館不可
  板鼻公民館 TEL 027-382-4967

●富岡製糸場跡

日本の工業化は製糸からはじまったとさえいわれるほど、明治とともに産声を上げた製糸工場だ。機器製糸技術者、フランス人のもとで指導が行われ、技術伝習生として15〜25歳までの若い女性が育った。後にそれぞれの地元で指導者として活躍。日本生糸産業を支えた女工時代の始まりでもあった。
昭和62年(1987)に操業停止するまで115年続いた工場は、レンガ造りの繭倉庫、木造つくりのフランス人女性教師の居住した女工館、同じくフランス人男性技術者の住まいであった検査人館、繭から生糸を繰る作業所など、創業当時のまま残されていた。
富岡製糸場
富岡製糸場

工場倉庫
工場倉庫
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工場作業場
工場作業場

平成17年(2005)建物の多くが国の重要文化財に指定されるとともに、現在、この工場を中心に周辺の市町村にある生糸生産関係の農家などを含めて世界遺産登録に向けて活動している。
/入館料 500円、一部を除いて館内は入れない。建物の外観のみの見学が多い。
  TEL 0274-64-0005

●一之宮貫前神社

富岡の町を出ると、間もなく国道254号線上にこんもりと樹木の茂る小山が見えてくる。国道に面した南側から階段を上ると朱色の大きな鳥居をくぐるが、車では東の鳥居から道なりに上ると総門の前の駐車場へ着く。総門を入ると階段を下る。下りの参道は、熊本県の草部吉見神社、宮崎県の鵜戸神社と並んで「日本の三大下り宮」といわれている、珍しい参道だ。
御祭神は経津主神(ふつぬしのかみ)と比売大神(ひめおおかみ)といわれ1400年の歴史を持つ。現在の社は三代将軍家光公の命により建てられたもの。江戸時代初期の建造物である社殿は、国の重要文化財でもある。
一ノ宮貫前神社
一ノ宮貫前神社
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●宮崎神社の大杉

貫前神社近くにあるこぢんまりとした古い神社。もとは広鉾神社といったが、明治40年(1907)に諏訪神社と白山神社を合祀して宮崎神社となった。境内にひときわ大きく高く聳える杉は、樹齢800年といわれ、高さ25m、幹周り7m60cmの巨木だ。

宮崎神社
宮崎神社
宮崎神社の大杉。樹齢800年
宮崎神社の大杉。樹齢800年

●旧茂木家住宅

宮崎神社の近く宮崎公園の中にある建物。戦国時代の大永7年(1527)の建築で、現存する民家のなかでは、最も古い板葺き・石置きの民家といわれている。板葺き屋根、古代の建築様式である掘建柱建物、小屋組という方法を用い、棟持柱が屋根まで達していることなどから、古い建物の特徴を残しているといわれる。
明和5年(1768)に大修理が行われたことを示す墨書きも残っている。昭和45年(1970)に国の重要文化財の指定を受けている。
/入館料 100円、TEL 0274-62-1511
宮崎・茂木家。日本で最も古い板葺き・石置き民家
宮崎・茂木家。日本で最も古い
板葺き・石置き民家


茂木家の屋根裏は竹が組まれていた
茂木家の屋根裏は竹が組まれていた
馬の足洗い桶。ヒトの風呂はなかったが…
馬の足洗い桶。ヒトの風呂はなかったが…

●下仁田

妙義山、荒船山、神津牧場と豊かな自然に囲まれたところであり、下仁田ネギとこんにゃくの産地でもある。国道沿いからもネギやこんにゃく畑は観ることができるが、少し脇道に入ると、2つの食材の産地ということがうなずける。
ネギの原産地は中国の西部ではないかといわれているが、日本書記にも登場するというから、その歴史は長い。文化2年(1805)「ネギ200本至急送れ」という大名旗本からと思われる名主宛の手紙が残されているという。別名「殿様ネギ」ともいわれていた。
生では辛いが、火を通すと短時間で、特有の風味と甘味がでる。「群馬(前橋)では育ちが悪く、長野では育ち過ぎる。 下仁田ネギは下仁田におけ」という。

名物・下仁田ネギ
名物・下仁田ネギ
こんにゃく畑
こんにゃく畑

もう一方のこんにゃくの原産地は東南アジア・インドシナ半島で、強い日差しを嫌う。雨の多いところで、水はけのよいところを好むという。下仁田は山間の河川に沿って集落が点在し、段々畑が多く栽培に適している。
このごろの人は、こんにゃくは、カンテンやトコロテンと同じ海からのものと思う人もいるとか。「こんにゃくは畑からだよ」と畑で働くオジサンが笑いながら言った。
道の駅「しもにた」からこんにゃく畑を抜けると「不通(とらず)渓谷」という珍しい名の景勝地がある。
下仁田の土産屋には、こんにゃくの山
下仁田の土産屋には、こんにゃくの山


●姫街道

中山道の脇往還であり、上州姫街道などとも呼ばれている。中山道本庄宿(埼玉県)から分岐し、上州(群馬県)藤岡宿(藤岡市)・吉井宿(高崎市)などを経て下仁田宿・本宿、信州借宿から本中山道へ抜ける道だ。現在は国道254号線に重なる部分も多く、沿道にコスモスが植えられていることから「コスモス街道」の名前もある。
本宿・旧街道にはこんな標示がある
本宿・旧街道には
こんな標示がある


本宿の街道筋
本宿の街道筋
内山峠への道から見る荒船山
内山峠への道から見る荒船山
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下仁田から本宿を過ぎると、荒船山(標高1,423m)を巻くように山内峠のトンネルを抜け、佐久市へと入る。

●龍岡城・五稜郭

佐久中込の交差点手前から県道2号線経由、約5km、県道93号線沿いに龍岡城・五稜郭がある。

三河藩最後の藩主松平乗謨(のりかた)が信州佐久への本領移転として、慶応3年(1867)に、新陣屋五稜郭を建設、地字名をとって龍岡城と名づけた。しかし、僅か5年後の明治4年(1872)廃藩置県とともに取り壊しとなった。そのとき、御殿の一部の御台所は、学制発布により学校としての利用が認められ、現在に残っている。大手門、石垣城内の大半は田口小学校の敷地となっている。
この龍岡城、函館の五稜郭とともに、日本に2つしかない星形様式の城。
龍岡城祉
龍岡城祉

龍岡・五稜郭
龍岡・五稜郭
五稜郭の堀
五稜郭の堀

●新海三社神社

古くから武神として崇敬あつく、源頼朝が社殿を修理再興し、後に武田信玄の戦勝祈願の願文も残されているという。大きく太い縄が掛けられた鳥居をくぐり参道の奥にはケヤキの大樹が並ぶ。
荘厳にして静寂な広大な境内には人影もなく、その奥深く、鬱蒼と茂る木々の中に社殿がある。階段を上ると正面に拝殿、右には神楽殿と拝殿後方には二棟並んだ本殿がある。本殿の右奥には美しい三重塔がそびえていた。
その三重塔の下には東本社があり、この二つの建物は国の重要文化財であった。神社仏閣に興味のある人はともかく、この新海三社神社の奥にひっそり佇む苔むしてなお、美しい三重塔があることを知る人は少ないだろう。

新海三社神社の大鳥居
新海三社神社の大鳥居
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新海神社の参道は欅の大木に覆われている
新海神社の参道は欅の大木に覆われている

武田信玄建立の社
武田信玄建立の社
東本殿(重文)
東本殿(重文)

新海神社の三重の塔(重文)
新海神社の三重の塔(重文)
三重の塔の屋根は見事なカーブを描く
三重の塔の屋根は見事なカーブを描く

新海三社神社への道、県道93号線をこれより6km先にある不老温泉付近は、日本で一番海から遠いところと、案内板に書かれていた。
このあたりは日本で最も海から遠い地域
このあたりは日本で最も海から遠い地域



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あんなか観光ガイド
安中市観光協会のサイト。旧中山道や碓氷峠鉄道施設をはじめ歴史・文化財や温泉、宿泊施設情報などが見られる。

取材:2009年7月