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赤城山から榛名山へ(2)

ドライブライン

榛名富士 渋川市から西へ約12km、赤城、妙義山とともに上毛三山の一つにかぞえられる榛名山がそびえる。榛名山は赤城山と並んで外輪山で標高1,446mの掃部ヶ岳(かもんがたけ)を最高峰に、烏帽子岳、相馬山などがある。なかでも中央火口丘の榛名富士は秀麗な円錐形の山容を見せている。
外輪山に囲まれた榛名湖は東西約3km、南北約2kmのカルデラ湖だ。一帯は県立公園に指定され、湖畔には温泉宿や山荘、ビジターセンター、スポーツ施設などが揃った観光地となっている。榛名山山頂へはロープウェイが通じ、1,391mの頂からは一面に広がる関東平野、赤城山をはじめ上信越の山々、好天に恵まれれば遠く富士山までもが望める。
いま榛名山は休火山だが6世紀には2度の大噴火があり、1982年に火山灰の下から古墳時代の集落が発掘され、麓の旧・子持村に「黒井峯遺跡」として残されている。
山麓には伊香保温泉など多くの温泉が湧き、山岳信仰で名高い古刹、榛名神社や草津街道を経て信州へと続く大戸関所近くで処刑されて果てた国定忠治の痕跡など、興味深く巡れるところが多い。


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ドライブライン

<コース>
(関越自動車道)−高崎JCT−(北関東自動車道)−伊勢崎・養寿寺−伊香保渋川IC−伊香保温泉−榛名湖一周−(県道28号線経由、県道58号線)−大戸関所跡、忠治地蔵−(国道460号線)−鳩ノ湯・温川・薬師温泉
全行程 260km

ルート付近のリンクポイントをクリックしてみてください

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●伊勢崎・養寿寺

伊勢崎市東村JR両毛線国定駅近くに国定忠治の菩提寺でもある養寿寺がある。群馬県では県が生んだ中曽根、福田、小渕氏の歴代総理大臣より知名度や人気が高いといわれる国定忠治である。
養寿寺への道はすぐわかると思っていた。だが、どんなに人気があっても忠治は任侠者、さすがに地元の教育委員会も道標や説明看板など一切立ててはいない。知る人ぞ知る世界らしく、すぐには見つけられなかった。
忠治の墓。左がオリジナル。右はあとで作られた
忠治の墓。左がオリジナル。右はあとで作られた

一般墓地の奥に忠治の墓はあった。愛妾お徳が信州街道大戸の処刑場から持ち出したという忠治の頭部が埋葬された墓は、後世の勝負師たちがお守りにと、削りとられたため柵で囲われていたが、その隣には大きな墓石が立てられていた。
本堂に隣接する平屋の建物は「国定忠治遺品資料館」だ。内部には、縞の合羽や道中差し、火縄銃、お徳が持っていたというピストルがあった。映画や芝居では縞の合羽に脇差し姿だが、銃も使用していたことになる。また、強奪した千両箱の金を貧しい庶民に与えたというが、その千両箱なども展示されていた。忠治の遺品を通じて、江戸時代末の賭博師たちの姿が浮かぶ。
/入館料 200円

忠治の道中ガッパ
忠治の道中ガッパ
忠治は出入りに火縄銃も使った
忠治は出入りに
火縄銃も使った

御用金を盗み、農民に与えた。その奪った千両箱
御用金を盗み、農民に与えた。
その奪った千両箱


●善応寺

伊勢崎市曲輪町(伊勢崎駅近く)にある愛妾お徳が忠治の身体の一部(腕といわれている)を埋葬し、追慕の念の墓石を建てた「情深墳」がある寺。本堂は現在改築中だが、墓地の入り口付近にその墓がある。男勝りで気が強く鉄火肌の姉御だったというお徳は、埋葬された大戸から忠治の遺体を盗み、頭部などを養寿寺へ収め、腕は自宅に墓を建てて供養したが、その後、この善応寺に移された。
小さく古い墓石に刻まれた「情深墳」の文字もかすれていた。こうした歴史上の人物の墓は、たいていどこの寺でも案内版などが立てられているが、やはり人の道をはずした人物は表舞台には上がれないのだろうか。寺の人に尋ねてやっとわかった。
お徳が忠治を弔った情深墳=左=(伊勢崎・善応寺)
お徳が忠治を弔った情深墳=左=
(伊勢崎・善応寺)


●伊香保温泉

草津温泉と並んで群馬県を代表する名湯温泉だ。長い石段街には温泉旅館、みやげ物屋、飲食店などが軒を連ねる独特の風景は、伊香保のシンボルだ。この石段の下には「黄金の湯」の褐色の湯が湧き出る様子が見られ、流れ出る湯は、小間口といわれる引湯口から各旅館に分湯されている。石段の途中には共同浴場「石段の湯」もある。
石段の上には「伊香保神社」が祀られ、源泉までの遊歩道には飲泉所もある。毎分1400リットルの湧出量を誇る湯は「源泉湧出口観測所」があり、ガラスを通して源泉湧出の様子を見ることができる。その傍には日帰りの露天風呂がある。泉質は硫酸塩泉で通称「黄金の湯」と呼ばれている。
新婚さんも階段で記念写真
新婚さんも階段で記念写真


伊香保源泉に近い橋
伊香保源泉に近い橋
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伊香保の露天風呂
伊香保の露天風呂

伊香保の飲泉場
伊香保の飲泉場
伊香保の関所。女性の調べがきびしかったという
伊香保の関所。女性の調べがきびしかったという

旧・ハワイ国大使別邸
旧・ハワイ国大使別邸
万葉集にも登場するほど温泉の歴史は古く、現在の温泉街が形成されたのは戦国時代で、石段もこのときに出来た。明治時代以降は竹久夢二、徳富蘆花、夏目漱石、野口雨情、与謝野晶子などの文人も多く訪れ、こうした人々の記念館や美術館、モニュメントなどもある。
また、温泉街入り口近くには、木造二階建ての旧ハワイ王国大使別邸もある。内部には当時の資料がある。見学無料。

2004年、各温泉地で問題化した“温泉偽装問題”は水道水を湧かした“温泉”も伊香保にもあった。現在も「黄金の湯」の温泉は利権問題が絡んでいると、地元の人の話。不足を補うために1996年に「白銀の湯」が開発されたが、増加した旅館数にはすべて行き渡らないのが現状という。利用者は湯の泉質を知った上で、ホテルや旅館を選びたい。

●榛名湖

榛名湖畔、竹久夢二の歌碑
榛名湖畔、竹久夢二の歌碑
外輪山に囲まれた森の中を走る榛名湖一周道路がある。榛名富士を中心にスポーツ施設やコテージ、オートキャンプ場などがあり、周囲には外輪山へ登るハイキングコースや季節の花々を楽しむ散策路がある。湖畔には遊覧馬車、湖水には遊覧船やボートが浮かび、冬の凍結期にはスケートやワカサギ釣りと四季を通して訪れる人も多い。
榛名富士山頂へはロープウェイで約3分、徒歩の登り口は西と南の2ヶ所でどちらも約30〜40分、かなり急斜面を登ることになる。訪れた日はあいにくの曇り空で視界はゼロに近かったが、晴れた日には眼下に榛名湖、そして関東平野、上信越の山々を望むという。

榛名富士
榛名富士
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榛名湖畔で客を待つ馬と馬車
榛名湖畔で客を待つ馬と馬車

●仙人窟

榛名湖より西北、県道28号線を吾妻川沿いの郷原まで下ると、渋川と高崎へと通じる分岐点へ出た。これより県道58号線を高崎方面へと続く道を辿る。間もなく右手にそそり立つ岩肌が見え、小さな文字で「仙人窟」と書いてある看板があった。

吾妻町の仙人窟
吾妻町の仙人窟
仙人窟の胎内くぐり
仙人窟の胎内くぐり
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道沿いに3台ほど車がとめられる駐車場があり、そこからは狭い急な山道を約200mほど登ると、切り立った岩にぽっかり開いた岩窟がある。
高さ8m、幅14m、奥行き26mの岩窟には、高さ80cmの18の石像羅漢と聖観世観音が安置されていた。左上には胎内くぐりといわれる岩穴があり、その先には奥の院があった。立て看板によると、これらは江戸時代の修行僧が作ったものだという。訪れる人も少なく、このあたりでは穴場といえそうだ。
仙人窟の羅漢さん
仙人窟の羅漢さん

●大戸関所跡

大戸関所跡(忠治はこの関所を破った)
大戸関所跡(忠治はこの関所を破った)
大戸が信州街道(草津街道)の要所だったことから設けられた関所だ。この関所が有名になったのは、渡世人であり関所破りの常習犯であった「国定忠治」が関所破りしたところからだ。
関所跡から国道406号線を南へ500mほどのところには忠治とその子分たちが処刑された場所があり、墓石といわれる石塔もある。ここには「忠治地蔵」も祀られている。いまでも勝負事にはご利益があると信じられ、訪れる人も少なくない。

大運寺の石像
大運寺の石像
忠治地蔵(処刑されたところ)
忠治地蔵(処刑されたところ)

●薬師湯・鳩ノ湯・温川温泉

かつて上州と信州を結んだ街道は、現在は国道406号線となって草津への道は続くが、途中はとても国道とは思えないほど狭いところもある。そんな中にある3つの温泉は秘湯中の秘湯だったが、6年前、薬師温泉の広大な敷地に茅葺き屋根の集落のような宿が出現。各地の古い屋敷や民家を移築、または民具などを利用したり、かつての陣屋を模擬した建物からなる温泉宿だ。
しかし、岩山にへばりつくように建つ「鳩ノ湯」や温川沿いにある「温川」は素朴な一軒宿で、それぞれ泉質も異なる。とくに温川温泉は“目の湯”といわれ昔から眼病に効くという。

薬師温泉
薬師温泉
鳩ノ湯の近くには眼病も治す“目の湯”温川温泉もある
鳩ノ湯の近くには眼病も治す“目の湯”
温川温泉もある


●子持村・日本のポンペイ

黒井峯遺跡(旧・子持村)
黒井峯遺跡(旧・子持村)
温川温泉から須賀尾峠を越え、吾妻川沿いを渋川への帰路、北群馬の旧・子持村(現在は渋川市)へ寄り道してみた。“日本のポンペイ”という看板が目に入ったからだ。正確には「黒井峯遺跡」という。
国道353号線、北群馬橋交差点または吾妻橋から北へ少し入った子持中学校脇に「ここが遺跡」という広場があった。だが、遺跡らしいものは見あたらず、広い草原に案内版だけがあった。

「約1400年前の古墳時代に榛名山二つ岳の爆発で噴き上げられた軽石で、一瞬にして廃墟となった村だ。軽石の厚さは2mにも達し、住居や道や畑もすっぽり覆われたため、当時の村の様子や人々の暮らしぶりが、発掘調査で詳しく解明された。この遺跡は日本のポンペイ」と書かれ、最後に環境庁(現環境省)群馬県 とあった。
子持村役場で尋ねたが町村合併で渋川市となったため、歴史資料は渋川市街の北にある北橘総合支所(役場)に移転したという。利根川を越え北橘へ。
資料によると、昭和57年、(1982)に発見され、竪穴住居や柱や壁のある住宅、牛や馬などの家畜など多くが出土し、中世から江戸時代のような豊かな暮らしぶりもわかり、発見当時は大きなニュースになったという。平成3年(1991)国の史跡に指定となった。遺跡は保存するために埋め戻された。

近くには「中之峯古墳」というのもあった。黒井峯遺跡と同じく榛名山の爆発で埋まった古墳で、当時の原型を留めている。基部は直径9m、高さ1m。石室には人骨5体、直刀2振り、銀製飾金具、玉類などの副葬品もあった。これらの一部は旧・子持村公民館の玄関脇に陳列されている。
寄り道からこれほど貴重な文化遺産に出会うとは思わなかった。

中之峯古墳。葡萄畑の中にある
中之峯古墳。葡萄畑の中にある
公民館に展示されている中之峯古墳の壺など
公民館に展示されている
中之峯古墳の壺など


●白井宿

渋川から沼田方面国道17号線バイパスに沿いにある「道の駅・こもち」は江戸時代の宿場町を再現した黒塀の黒瓦屋根の建物だ。この「道の駅」の裏通りは、まさに昔の宿場町“白井”の本通りである。
白井は古く、鎌倉時代、利根川と吾妻川の合流点で、河岸段丘である自然の要害に築城された白井城の城下町だった。沼田街道西通りの、沼田、中之条、渋川、前橋のほぼ中間点として草津街道、三国街道にも接し、利根川、吾妻川両河の利点を生かし経済が発展。宿場というより市場町であった。幕末には問屋場も設置され、一般には“白井町”と読んでいた。
道路の中央を流れる白井堰は、いまもきれいな水が流れ、つるべのある8つの古井戸や草津、江戸へなどの道しるべ、白壁やうだつのある家などが残る。
「道の駅」には地元農家の新鮮な農産物などが安く売られているが、広い駐車場に車を置いて裏道散策することを薦めたい。
日光、江戸への標識
日光、江戸への標識

白井宿の表示
白井宿の表示
白井宿(旧・子持村)
白井宿(旧・子持村)



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取材:2006年7月