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琵琶湖と若狭湾(5)
「御食国(みけつくに)」と京都を結ぶ「鯖街道」

ドライブライン

鞍馬寺山門 「京は遠ても十八里」といわれ、古代より朝廷に食材を送っていた「御食国」、若狭から京都へ至る数多い街道には、本来それぞれ固有の呼び名があった。小浜から上中町の熊川宿を経由、滋賀県の朽木村から京都大原に至る「若狭街道」、京都へ最短距離で結ぶ「針畑峠越え」や、熊川から滋賀県の琵琶湖のほとりの今津に至る「九里半越え」、そして多数の峠を越える「鞍馬街道」などがあった。
これらの道は、江戸時代以降、運ばれた物資の中で「鯖」が多く、注目されるようになったことから、「鯖街道」と、いつのころからか呼ばれるようになった。
その中で最も、利用されたのが「若狭街道」だ。若狭の小浜港で水揚げされた鯖が海産物の主な物であったことが鯖街道の呼び名となった。運ばれた鯖が京の都に着くころは、ほどよい塩加減になったといわれている。
現在、鯖街道が代名詞となった「若狭街道」を辿ってみた。


サムネイル1 サムネイル2 サムネイル3 サムネイル4 サムネイル5 サムネイル6

ドライブライン

<コース>
小浜−(国道27号線)−上中町−(国道303号線)−熊川町−(国道367号線)−朽木村−大原−(県道40号線)−鞍馬山−京都
全行程 約100km

ルート付近のリンクポイントをクリックしてみてください

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●熊川宿

小浜から「みほとけの里」をたどりながら、上中町で三方五湖方面へ行く国道27号線と分かれると、間もなく「旧熊川宿」の標識を目にする。
旧街道は国道303号線とほぼ平行に走り、上ノ町、中ノ町、下ノ町と続く約1,200mの平入と妻入の町家が混じって建ち並ぶ宿場町だ。
鯖街道には静かな風景も…
鯖街道には静かな風景も…

熊川宿の標識
熊川宿の標識
熊川宿にある鯖街道の表示
熊川宿にある鯖街道の表示

3つの町と町の間には「まがり」といって道に折れ曲がりがある。町の中心部である中ノ町には町奉行所、蔵奉行所、問屋や社寺があり、下ノ町や上ノ町には旅籠や茶屋、また上ノ町の端には関所が設けられていたものが復元されている。
秀吉のころ諸役免除されて宿場町になってから400年の歴史を持つ。現在は国の「重要伝統的建造物群保存地区」の指定を受け、住民は先祖からの遺産を守ろうと努力している。町の中を流れる前川はこの宿場町が設けられたころに造られたもので、生活用水だった。
中ノ町には、昭和15年に熊川役場として建築された洋風の建物はいま「鯖街道」の資料館となっている。
/入館料 200円
  問い合わせ 若狭熊川宿まちづくり特別委員会 TEL 0770-62-1111

熊川宿は古い建物が並ぶ
熊川宿は古い建物が並ぶ
熊川宿の茶店
熊川宿の茶店

熊川宿関所跡には人形の役人
熊川宿関所跡には人形の役人
徳川家康が腰掛けたといわれる松は枯れ、切り株だけがあった
徳川家康が腰掛けたといわれる松は枯れ、
切り株だけがあった


●熊川・松木神社

関ヶ原の戦いのあと若狭の領主となった京極高次は、領内の百姓に年貢の増徴と労役の提供を求めた。その後、領主が酒井忠勝になっても改められなかった。
苦しみにあえぐ百姓たちは年貢の引き下げを願ったが、全く聞き入れられなかった。そこで年貢の軽減を求めて立ち上がった上中町・新道村庄屋松本庄左衛門が直訴、慶安5年(1652)5月16日、悲願は聞き入れられたが、庄左衛門は、直訴の罪で処刑された。28歳の若さであった。

松木神社
松木神社
この若狭の義民、松木庄左衛門が祭られているのが松木神社。熊川宿の背後にある。旧小浜藩は近郊の年貢米を収納するために神社境内に12棟の米蔵を建て、約3万俵の米を貯蔵していた。ここより人馬により大津へ出荷していたという。
この神社下にある逸見勘兵衛家で生まれた伊藤竹之助は現在の伊藤忠商事二代目の社長で、故郷熊川のことを思い、松木神社義民館や熊川村役場、青年学校を建てた。その顕彰碑が松木神社参道口に立っている。

●朽木宿

滋賀県で唯一の村である朽木は、熊川宿と並んで鯖街道の宿場町である。織田信長が越前の朝倉義影を討つため敦賀まで兵を進めたが、浅井長政の裏切りにより急遽京へと戻るとき、鯖街道の、ここ朽木宿で一泊したという。そのとき殿(しんがり)を務めていた羽柴秀吉は、針畑峠(根来)を越えて京へ帰ったとされている。
安曇川(あどがわ)沿いに走る国道367号線上に「朽木宿新本陣」という道の駅があり、これより「鯖街道ロマン朽木宿へようこそ」の看板から旧道を辿れば、かつての宿場町へと入る。

水路は宿の生活用水でもあった
水路は宿の生活用水でもあった
朽木宿
朽木宿
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司馬遼太郎の「街道をゆく」の中に「道路わきを堅固に石がこいされて溝川が流れており、家並みのつづくかぎり軒が低く…」とある通りの町並みだ。
だが、指定保存地のように観光地化されたものではなく、この町には普通の生活がある。細い道には電柱と不規則に張られた電線や、床屋やスーパーの賑やかな色彩もあるが、古い建物も多く昔の街道の風景を色濃く残している。

●朽木の名刹・興聖寺(こうしょうじ)

「かっての朽木氏の檀那寺で、むかしは近江における曹洞宗の巨刹として、さかえたらしいが、いまは本堂と庫裡それに鐘楼といったものがおもな建造物であるにすぎない。」(司馬遼太郎『街道をゆく』より)
この古刹の本堂には、重要文化財である木造釈迦如来坐像が安置されている。国宝や重要文化財など多くは撮影禁止となっているが、ここでは「どうぞ、ご自由に」という。もちろん触れることやフラッシュ撮影はダメ。
お茶の接待を受けながら如来像をこころゆくまで拝顔させていただけた寺など、めったにないことだけに本当の仏さまに出会えたようでうれしかった。
/拝観料 400円、TEL 0740-38-2103

朽木・興聖寺
朽木・興聖寺
釈迦如来座像(重文・興聖寺)
釈迦如来座像(重文・興聖寺)

境内には、享禄元年(1528)朽木稙綱が将軍足利義晴のために館を建てた際に築造したと伝えられる「旧秀隣寺庭園」がある。

●大原・三千院

「京は遠ても十八里」おおよそ65kmの道のりを熊川と朽木の2つの宿を継いで、大原まで来たとき京の都はもう間近である。
その昔、平安京への薪炭の供給地だった大原はいまも緑に包まれた山里だが、柴や薪などを頭に乗せて売り歩く大原女の姿はない。観光用に大原女の衣装一式を貸すところもあり、衣装を身につけた観光客が僅かに残る棚田や三千院の門前で賑やかに個人的撮影会を楽しんでいた。
(三千院は「新緑の古都1 京都から大津へ」を参照)
三千院門跡
三千院門跡
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大原の棚田
大原の棚田
三千院前の茶店
三千院前の茶店

後鳥羽天皇、順徳天皇大原陵
後鳥羽天皇、順徳天皇大原陵
大原にあった地蔵さん
大原にあった地蔵さん

●勝林院

大原問答の霊地として知られる。平安の初期、慈覚大師が声明の道場として開いた大原寺といわれる本堂。大原問答は、鎌倉時代、比叡山の高僧顕真法印、法然上人がともに念仏往生について大議論し、理解し合ったとして有名である。
閑静な佇まいと庭、そこに建つ梵鐘を打つ心しみる音が、いまにも聞こえて来るようだ。隣接する「宝泉院」は平安時代に宿坊として建てられた勝林院の塔頭のひとつ。書院庭園は竹林と大原の里の代表的な風情が展開され、柱を額縁にたとえ日本庭園の絵である。
/拝観料 600円(抹茶・菓子付き)、TEL 075-744-2409

法然など学僧が論議した大原問答の旧跡、勝林院
法然など学僧が論議した
大原問答の旧跡、勝林院

勝林寺の梵鐘(重要文化財)
勝林寺の梵鐘(重要文化財)

●鞍馬山

三千院から国道367号線、鯖街道の出入り口である出町柳へ達する。だが、これより県道40号線を経て鞍馬山へと急いだ。陽は長いとはいえ鞍馬寺は5時で閉門だ。
鞍馬寺への道のりは鞍馬街道の途中の山門前で車を降り、ここから先は杉木立に覆われた薄暗い山道を登る。
鞍馬山は“尊天”の活力がみなぎるところ。尊天とは「宇宙の大霊であり大光明、大活動体」をいう。この世の生きとし生きる物、万物を生かし存在させてくれる宇宙生命・宇宙エネルギーのことと信じられている。鞍馬山信仰とは尊天を信じ、尊天の世界に近づき、尊天と合一することという。

鞍馬山中、木の根道
鞍馬山中、木の根道
鞍馬寺
鞍馬寺

鞍馬寺山門
鞍馬寺山門
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奈良時代、鑑真和上の高弟・鑑禎が毘沙門天を祀り創建した。鞍馬山中腹に本殿を構え鞍馬弘教の総本山となっている。本尊は魔王尊、毘沙門天、千手観音で奥の院魔王殿に祀られている。

山には牛若丸や天狗の伝説もあり、義経を祀る義経堂や義経と鞍馬天狗が出合った場所など義経にまつわるみどころも多い。

鞍馬寺本殿
鞍馬寺本殿
鞍馬山本殿の獅子
鞍馬山本殿の獅子

●仁王門

木立に囲まれた門前へは個人が運営する駐車場から大きな石段を上ると俗界から浄域への道を守る仁王門をくぐる。ここから奥の院までは約1時間の登山コースだ。幸い本殿まではケーブルカーがある。
ここではケーブルに頼らずゆっくり上る。まず最初に出合う建物は天慶3年(940)鞍馬寺が御所から鎮守社として勧請した由岐神社だ。その少し上には牛若丸が7歳から約10年間住んだ東光坊跡に祀られた義経公供養塔と牛若丸の守り本尊であったという川上地蔵堂がある。
由岐神社(鞍馬山)
由岐神社(鞍馬山)

清少納言が『枕草子』の「近うて遠きもの」の中にある「くらまの九十九折といふ道」と記された道を登る。
そこからは中門、寝殿、などを経て本殿金堂に着く。ここから奥の院までの道は険しく長い。途中には義経が喉を潤したといわれる「義経公息次ぎの水」(800年後の今も湧き続けている)や牛若丸が山をあとに奥州平泉へ下るとき名残を惜しんで背を比べたといわれる「義経公背比べ石」は上り詰めた峠にある。
こうして奥の院まで薄暗い山道を行く。人の姿も少なくなった夕暮れ中、もと来た道を下る。

義経公息つぎの水
義経公息つぎの水
奥の院への峠、頂上にある義経背比べ石
奥の院への峠、頂上にある義経背比べ石

山道には「女性のひとり歩きは危険」という注意書きがある。また「僧侶の姿をした男が賽銭をせびることがある」といった注意書きがあった。俗界と離れ尊天の活力が満ちる鞍馬山といえども、いまの世は油断はできないことも教えてくれた。



○関連記事

「新緑の古都1 京都から大津へ」(2003/4)



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若狭おばま観光協会
「御食国」(みけつくに)小浜の歴史や名所、文化財などを紹介。毎月のイベント案内も見られる。
朽木村
イラストマップやグリーンパーク「想い出の森」案内のほか、朽木歴史散歩には「鯖街道」の解説もある。
京都大原観光マップ
三千院を含む周辺エリアの観光情報を見ることができる。

取材:2005年6月